孤独VS穴熊攻略のプロ
お待たせしました。河津の対局です。
「第五局の立会人、任せたよ。」
第五局が開かれるので、味谷は新庄に電話を掛ける。立会人を任せる電話だ。
「任せてください。この新庄伊織、立会人務めさせていただきます。」
「萩原伊吹、直近の対局はこの新庄との名人格か。」
孤独の棋士、次の相手は萩原伊吹。麻雀のプロもする二刀流。穴熊攻略のプロ。
「囲うのは愚策か。」
対局場にはある男がいた。後藤匠、棋士番号311の棋士である。現在は七段だ。
311と言う番号から、河津と同じ期に四段プロデビューを果たした棋士である。
この男は今日赤島との対局に臨むわけだが、同じ日に河津萩原戦があったものだから、プロデビューの日、最終局以来久々にあの男の姿を視認した。
「あの男が急激に強くなったのは睡眠だと言っていた。違う、尋常じゃない量の研究をできる才能があっただけだ。小野寺が才能の塊と言うならば、あの男は努力だけは持っていた才能のカケラだ。」
今日は対局場に城ヶ崎や白河、平泉、中野も来ていた。失礼な言い方をするが所謂有象無象のプロ棋士達である。
小野寺らがそこにいれば空気は変わるが、彼らでは残念ながら変わることはない。
当然ながらそんな状況で納得する棋士ではない。当然誰もが上を目指してやっていくものである。
河津が対局場に入る。タイトルホルダーのプロ棋士、普通なら空気が変わるはずだか、そうはならない。誰もこの男を見ていない。興味がない。
萩原が対局場に入る。少しだけ空気が変わる。穴熊攻略のプロ、穴熊を決め込んだ小野寺相手に無慈悲にも勝ったことのある男、棋士の間でも話題にはなっていた。
決勝トーナメントの対局は午前10時に始まる。振り駒の結果、先手は河津に決まった。
先手2六歩、後手3四歩
以後7六歩、4四歩、4八銀、9四歩、9六歩、4二飛と続く。
(四間飛車か)
振り飛車はどの筋に飛車を移動させるかで決まってくる。大体は四間飛車か三間飛車である。稀にダイレクト向かい飛車など特殊な形もあるが、振る位置により、相手の作戦を変えさせる為、振り飛車は戦法の幅が広い。
「俺はアマに負けるプロが大嫌いでね、例えプロ入り直後のやつでも負けることは認めないし許さない。お前は前に他の奴らをアマだと言ったらしいな。つまり俺に負けるならお前はプロを辞めてもらう」
萩原はアマに負けるプロが大嫌いである。前に新入り直後の白河が負けた際、かなり叱責して藤井に止められたこともあった。普段は優しいおじさんだが、ここだけは譲れないようだ。
河津はこの言葉を無視した。いや耳に入ってなかっただけかもしれない。
19手目、7七角、20手目、6四歩、以下8八玉、7四歩、6六歩、7三桂、9八香と続く。
「そうか、この俺に穴熊で挑もうと言うのか。愚かだ。実にお前は愚かな棋士だ。」
この手順でくれば間違いなく河津は穴熊を選ぶ。相手が穴熊攻略のプロであっても、敢えてそれで挑むことを決意したのだ。
8四歩、9九玉。これにて四間飛車対穴熊の戦いに決まった。
愚策かと考えていたこともあったが、逆に穴熊で相手を倒せばメンタルをズタボロにできる。それこそ自分はプロじゃないと思わせることができる。特に人に興味がない河津という男にとっては相手が不調になろうが関係ない。
「おいおい、萩原伊吹相手に穴熊で挑む奴がいるとは。前に小野寺がそれで負けたんだぞ…相手に興味がないからか?」
穴熊選択は衝撃的だったようだ。対局場にいた人々が騒めき出す。
「まぁいい、俺がお前に教えてやるよ。穴熊で挑んだ哀れな奴の末路を」
「萩原の地雷見事に踏みやがったな。普通なら空気読んでやらないのに」
「あの男が空気読めると思うか?」
「確かに」
あちこちからそのような声が聞こえてくる。
38手目に萩原は4三銀と指す。
「4五歩、4四銀。それで小野寺は無惨にもやられたわけだ。」
天才を破った一手、居飛車穴熊を倒す一手を着々と進める。
2四歩、同歩
6五歩
「攻めの一手、弱い小野寺とかいうやつに勝って浮かれた奴を咎める一手だ。」
7七角成、同桂
「春だ。外へ出てきな」
6五歩、2四飛、2二歩打、2三歩打、4六歩、同歩、4九角打、6八銀、7五歩
この頃になると萩原に穴熊で挑んでいるという話が広まり他の棋士も集まってきた。無論対局の無い棋士のみだが。
「面白いのが観られると聞いてな。」
そこには村山の姿もあった。現在七番勝負の真っ最中。それでも河津が居飛車穴熊で萩原を倒そうとしているのに興味を持ったようだ。
「勿論俺は河津が嫌いだ。ただ他の棋士、まぁ一門以外は基本的に全員嫌いだ。俺はただ自分の将棋に活かすだけだ。」
平泉薫もまた河津の対局を見にきていた。桐谷門下の平泉研二と違い孤独の棋士のプロデビュー戦の相手の方である。プロ棋士といえど苗字が被ることは普通にある。なんなら同姓同名もいたりする世界である。
薫は初戦で感想戦を拒否した男である。ただ感想戦がしたくなかったという理由だが、孤独の棋士のを孤独と評するに値する出来事を作ったのは事実である。
「平泉…薫の方か。なんだ?」
「村山さん、貴方は河津という棋士に対して普通の人が感じる嫌悪感を示さない。何故ですか?」
「嫌悪感…か。確かに一般人は何故かあの男を嫌っている。孤立した棋士など珍しいものだ。ただ俺も別に仲間になりたいとは一切思っていない。嫌悪感よりもあの男を負かしたいという気持ちが強いんだ。」
午後になりスピードは遅くなってきたが、指し手は相変わらず面白いものだった。
後藤赤島戦が早期に終わり、勝った後藤が検討室へ入ってきた。
「まだやってるな。状況は…」
「穴熊攻略のプロ萩原に河津が穴熊で挑んでる。」
「これは村山八段、暇なようで。」
「研究を暇と言われるのは心外だな。」
現在の指し手は、57手目、7七歩成の手に同金の場面だ。
「見ろ、穴熊攻略のプロが押されている。」
村山の指摘通り、7筋の攻撃点を無くしていた。
「3三桂…まだわかりませんね。」
平泉はまだ互角と考えているようだ。
午後5時、他の対局は終了し、城ヶ崎と平泉研二が勝利。この二人は後藤と同じく検討室へやってきた。負けた人が来ないのは自分の反省でいっぱいだからだ。
「おっと、俺と同じ平泉のプロ棋士が来ているな。」
「自分の作った瑞希システムを攻略した八段もいますね。」
研二、瑞希の二名は現状を確認後、穴熊攻略のプロがまだ時を待っている可能性を指摘した。
「普通の棋士なら兎も角、相手は萩原伊吹という穴熊攻略のプロです。」
「平泉…研二、普段の萩原の棋譜を見ると良い。特に小野寺戦の棋譜をみりゃわかる。ここまで苦戦していると言うことは想定外なんだ。」
「村山八段、小野寺相手とは違うとは考えられませんか?」
「そうだな、考えても良い。ただ俺は苦戦しているようにしか見えない。」
59手目、2一飛成、以下4一歩打、3一竜。
「飛車よさらばか。ただへぼ将棋王より飛車をかわいがりだ。萩原なら潔く飛車を捨てるだろう。」
研二がそう話すと
「ここまで想定していたとなれば相当です。」
と薫が返す。
「ここからどう返していくか、興味がありますね。」
瑞希も続く。
「飛車を取られたのは麻雀で例えるならツモが相手に出た感じだな。」
村山だけが河津優勢の考えだ。なお麻雀の例えだが、別に彼が麻雀について詳しいわけでは無いので間違っている可能性はある。
62手目、2五桂。村山以外はこの手を見て良い手と評した。
「河津、この手を見てお前が負けるということがわかっただろう?飛車を取って満足している。哀れなもの。」
萩原が口を開いた。相変わらず対局相手は無視している。孤独はコミュニケーションというモノを忘れさせる。この場で何を返せば良いかわからなくなる。
「夜も更けてきたな。」
「研二さん、夜も更けてきたというのは大体午後11時〜午前2時ぐらいを言います。勿論、人によっては0時から3時とか様々ですが、流石に夜になった時に使う言葉じゃないですよ。」
「まぁ確かに薫の言う通りだ。」
薫と村山に指摘されている研二。難しい言葉を使おうとしてミスをすることはよくある。
午後7時、現在の手数は76手、8三馬の局面だ。
「まだ穴熊は無事…ですね。」
瑞希が話す。この時点で穴熊が無傷なのは萩原との対局では珍しい。
「4四歩打、6三桂打、6一角打…やってきたな。」
村山が口を開く。そして確信する。
「河津の勝ちだ。穴熊攻略のプロに穴熊で勝ちを掴むんだ。」
その言葉通り、103手7三角成を持って萩原の投了。河津の穴熊はとうとう破られることはなかった。
「これで次は味谷とか。なかなか大変そうだが。」
龍棋戦トーナメントも着々と進行している。
相変わらず河津の対局は相手が感想戦を拒否する。従って即座に自宅へ帰る。
「まぁいつも通り…か。一つだけ聞きに行こう。」
村山が帰ろうとする河津に声をかける。
「あ?なんだ?将棋以外ならお前を営業妨害で訴える。」
「将棋だ。萩原は穴熊攻略が得意な棋士、何故穴熊で挑んだ?何か確信があったんだろう?」
「それがわからないならお前にタイトルは無理だ。」
残念ながら教えて貰えなかったようだ。
「じゃ、俺が虎王取るしかないな。」
(俺が愚策を取ったのはただ一つ、アイツの棋譜を見て隙を見つけたからだ。その隙がわからないようじゃプロじゃない。)
次の相手は味谷一二三。番外戦術を使う棋士。当然角頭歩を仕掛けた頃よりは優しくなっているが、今でも番外戦術の鬼として知られる。
「あの野郎なら次は敢えて向こうの得意分野を使ってやろう。強引だろうが関係ねぇ。捩じ伏せてやる。」
「睡眠の質というのは本当に重要だという。育成機関、養成機関。プロデビュー直後。睡眠の質が悪かった頃のアイツは冴えなかった。ただ本当にそうか?確かにそれも一つの鍵だろう。ただアイツは凡じゃないと今日の対局で確信した。」
後藤が独り言を呟く。それを薫に聞かれる。
「努力というのを人一倍やった結果では?」
「あ、あぁ。それもあるだろうが。小野寺のような天才には及ばないとしても、何かあるんだろう。あの男の底力が。」
河津が勝利し、次戦は味谷戦です。
久々に平泉薫が出ました。ごめんなさい。すっかり彼の存在を忘れていました。どこかで小野寺渚の名前の話をした際に羽島誠がいたから小野寺誠という名前から小野寺渚に変えたと言いましたが、普通に被ってました。
ちなみに同姓同名は本当にいます。プロ棋士で。なんなら、その二人が対局したこともあります。
後藤匠は名前からなんとなくわかると思いますが、伊藤匠が元ネタの棋士ですね。今後ライバルになる…かもしれません。




