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孤独の棋士  作者: ばんえつP
虎王編-意地と意地-
31/81

家族

第四局が始まります。

兵庫県神戸市、兵庫を代表する港町で、上には六甲山、下には大阪湾という恵まれた土地である。地下鉄は2路線(厳密には5路線)あり、新幹線の、北区の谷上、神戸の玄関口新神戸から、神戸の中心地三宮、巨大な像のある新長田、桃山台やジェームス山への入口の名谷、西神地区、復興地西神中央を結ぶ西神・山手線と和田岬やハーバーランドなどを結ぶ海岸線が人々の移動を支える。


のぞみ31号で新神戸に着いた対局者、早速谷本が一言

「ホームドア、新しくなったな」

と呟いた。新神戸のホームドアは二代目、初代は通過対応型であった。のぞみやひかりはかつて通過しており、最後の通過は2008年の0系ラストランの時である。

「まもなく、柵が閉まります。柵の内側まで…」

今はそんな放送はない。

「意外と山の中なんだな」

村山は神戸には普段行かないので、新神戸駅が山の中にあるのに驚いている。

「その通り、神戸は上に山、下に海が広がる街だからな。よく北区は神戸じゃないなどと言われるが、俺は北区も神戸だと確信している。」

「上?」

「あぁ、神戸じゃ北を上、南を下って言うんだ。登るとか、上行ったとか、よく使うんだ」

「ほう、確かに北に山があるから、そう言うのも納得だ。」


対局場はハーバーである。

「有馬でも良かったんだがな」

谷本がボソッと呟いた。


地下鉄に乗る一同、桐谷が

「神戸の地下鉄も新しい車両なんですね」

と言うと

「昔は古いのもいたんですよ、神戸らしくブザーでドアが閉まるやつが。」

と谷本が返す。神戸の街案内を任せたいぐらいだ。

「なんなら自動放送も無かったんですよ、今じゃホームドアも付いて、東のようなドアチャイムになって、びっくりですよ」


三宮で降りて乗り換えである。

「海岸線は遠いんで、これで行きましょう」

東海道本線の終点神戸は地下鉄ハーバーランド駅の目の前にある。

「東京から続く東海道線はここで終わりなんです。」


対局場に着くまで谷本の神戸トークは止まらない。ジェームス山のスーパーの上にあるボウリング場によく行った話や桃山台の道はその店が出来てから車線数が変わった話などである。

「これ、第三局仙台なら中原さんの仙台トークだったんかな?」

「さぁどうでしょう。」

段々BGMへと変わっていったが、対局場に着くと一瞬でプロ棋士の姿へ変わる。

「流石に対局場じゃプロ棋士か」


桐谷主導の検分はすぐに終わった。

「今日はチーズケーキでも食べるか」

とても美味しいチーズケーキがあるようだ。

「ほう、神戸は谷本さんに任せた方が良さそうだ。」

神戸の街案内を谷本に任せた村山。敵のはずだが、今は共に神戸を満喫する。


翌日、新神戸駅には森井一門が来ていた。当然村山の応援のためである。

「ほう、山が見えるのか」

村山と似た発言をする師匠である。


午前9時、村山の先手で始まった。飛車先の歩を突く無難な一手である。居飛車宣言だ。

谷川も同じように飛車先の歩を突く。居飛車の戦いがここに現れた。


2五歩、8五歩、7六歩、3二金、7七角、3四歩、8八銀


(角換わり…か)


7七角成、同銀、2二銀と続く。


「で、今回の対局は特に目新しくもないわけだが」

東京で将棋中継を見ている萩原は少し落胆していた。前回の瑞希システムのようなものが見られると期待していたからである。

「まぁそんなレアケース、そうそう無いってことですよ」

一緒にいた小野寺が呟く。なお萩原は前回対局により中継を見られていない。レアケースを目撃した男に多少なりとも嫉妬がある。


桐谷が検討室へ移動する。最近は株の方の仕事ばかりで、将棋関係の仕事は久しぶりである。

「ふぅ、株も将棋も、予測が大切だな。」

「桐谷さん、お疲れ様です。」

毎度のことながら木村も会長としてその場にいる。特に今日は挑戦者が勝った場合、会長としてこの後の行事を仕切る必要がある。

「森井一門も来ているようですが、逆にそれ以外の一門の棋士がいませんね」

「それはそうだろう。他人のタイトル獲得の瞬間なんて引退棋士ぐらいしか見れないさ。本当はあの一門の現役棋士も見たくは無いんじゃないかな?」

「まぁ、私も現役棋士ですから、その気持ちはわかりますよ。他の人にタイトルを取られるのは御免だと」

第三局までと異なり、味谷など普段遊びに来るメンバーがいない。なんだか不気味な雰囲気である。


森井は村山聡の写真を持ってきていた。今日は彼と共に慈聖を応援する。その写真を梶谷は不思議そうな顔で見ている。

「彼は守り神なんだ。森井一門の、村山君の。」

やっぱりよくわからない。


今日の進行は極めて遅かった。午前中こそ進んでいたものの、午後は2〜3手ほどで終了。封じ手は、37手目である。


「本番は明日ですから、今日はゆっくり考えるでしょう。角換わりは研究が進んでいる戦法ですし。」

角換わりは既にパソコン研究によってかなり深層部までたどり着いている戦法である。この場合、研究範囲をすぐに終わらせ手数が増えるパターンと、予想外を常に警戒し、手数が減るパターンがあるという。村山は後者である。


「あぁ、疲れたよ」

桐谷、普段自転車で何十キロも走るほど体力のある男だが、立会人は責任の重い仕事。体力とは別の面で疲れるのだ。

「優待券、神戸で使えるものもあるんじゃないですか?あればそこで夜にしましょう。」

木村と共に神戸の街へ消えていった。


「普通の角換わりほど怖いものはない。気を引き締めていかないとな。」

村山はホテルの自室で一人呟いた。テレビもパソコンも携帯もない。ただ自分で考えるだけの夜。2日制というのはそういうものだが、慣れないと疲れるものである。


二日目も午前9時より始まる。


「封じ手は、6五歩」


「違和感があるだろ?」

昨日に続いて中継を見ている萩原が呟く。

「普通過ぎて怖いです。何か裏があるように見えますよ」

小野寺も同じように違和感を抱いた。角換わり故の見えない恐怖がそこにある。


河津も二日目の中継を見ながら研究をしていた。

「アイツが勝つな。」


二日目昼食時点で59手、3四銀打まで進む。


「終盤の鬼、どこまで読んでるんだ?」

「萩原さん、多分終局まで見えてるんじゃないでしょうか?」

「それなら本当に地獄だぞ。谷本浩司というタイトルホルダーにとっては…」


昼食明け、60手目、5二玉

すぐに7七桂と指す。


「終わらせに来ているのか?」

「谷本さんは第三局、瑞希システムで挑み負けてますから、相当来ているでしょうね」

桐谷、木村共に谷本の不調を心配する。


「舐めて貰っては困りますよ。私は神戸の男ですから。」

対局場から声がした。谷本の声だ。

「対局中にお喋りとは、随分と余裕なようで」

村山も返す。


「では教えてあげましょう。この対局の結末を。」

村山は黙り込む。

「貴方の隙、見つけましたよ。」

68手目、3一歩打

この一手を見て村山は表情を変えた。彼だけじゃ無い。森井一門も表情を変えた。その顔を見て桐谷や木村もハッと驚く。


「おっと?これは凄いことになってますな。」

「萩原さん、終盤の鬼相手に終盤で勝とうとしてますよ、この人!」

村山が序盤の鬼と言われたのは今は昔のこと。既に世間では終盤の鬼として知られていた。その男相手に谷本はタイトルホルダーとして、神戸という地元開催の意地で勝とうとしていた。


「神戸の地で恥を晒すわけには行きませんから。」

正直、村山は魂が抜けそうな姿だった。まさかこの手を見逃すとはという思い、師匠や弟弟子達の前で恥を晒したという事実、色々な思いが体を支配する。

気持ちの整理か、88手まで進むが、既に勝ち目は無かった。


「今日の所は、神戸に免じて譲りましょう。負けました。」

88手までで谷本の勝利。1勝を返す形となった。


感想戦が始まるが、途中で森井が加わる。

「すみません、師匠も兄も弟弟子達もいたのに、こんな将棋で…」

「いいんだ。失敗は誰にだってある。相手がプロなのだから、勝つ人いれば負ける人もいる。」

「やっぱここで勝てないあたり、終盤の鬼、兄には勝てないんだなって実感しましたよ。兄ならこんなヘマしないでしょうから。」

そのやりとりを見て谷本が声を掛ける。

「憧れは捨てた方が良い。勿論、君にとって兄は大切な存在だと思う。ただ、小野寺君などもそうだが、いつまでも憧れていては勝てない。憧れではなく、倒す目標として見るんだ。兄という壁を越えてやろうって想いが、きっと君を強くする。」


「兄への憧れを捨てろ…か。確かに、そうなのかもな。いつまでも兄の背中追いかけてても、兄を越えるなんて無理だもんな。」


神戸の夜、地元の温かさはこういうものなのだろう。

「小野寺君も昔は私のことを憧れの存在としていたそうだが、いつからか憧れはいないと言い出している。俺を越える為に憧れを捨てたんだ。」


「ハックシュン!!」

「大丈夫か?小野寺、流石に夜は寒くなって来たな。俺らも研究終えて家に帰ろう。」


「花子夫人と別れてから、谷本さん、だいぶ元に戻りましたね。」

「あぁ、そうだな。棋士総会で谷本夫妻が色々問題行動を起こしたという話を聞いて驚きを隠せなかったのを今でも覚えているが、本当に別れてから知っているアイツに戻ったようだ。」

「花子さんには悪いですけどね。」

木村と桐谷は、谷本の言葉に変わったという印象を抱いた。恋は盲目、恋は考えを変えるというが、別れると呪縛から解き放たれたかのように元気になる者もいる。

「その点、味谷一二三さん、小春さん夫妻はよくやってると思うな。あそこは長い連れ添いだろう。今でも夫婦仲は良いらしいし。よく味谷一二三さんという狂犬を飼い慣らしているよ。」

桐谷が呟く。夫婦仲はそれぞれだ。


翌日、谷本以外は朝の新幹線で帰路に就く。では残った男はどこへ行くのだろうか。


「先祖の墓があるのだから、勝った報告はしておかないとな。虎王谷本浩司として。」


この男にとって神戸は心安らぐ良い街なのだ。


「さてと、また東京へ行きますか。チーズケーキだけ買っておいて、行こう。」

というわけで谷本が勝ちました。


谷本の元ネタの谷川浩司先生は1995年の王将戦で当時六冠で最後の一つを取りに来た挑戦者、羽生善治先生と対局しているのですが、この年起きた未曾有の大災害により谷川先生の地元は被災してしまいます。当時は羽生先生の七冠が期待されていましたが、この王将戦、地元の為に戦い抜き、見事防衛を果たしています。

残念ながら翌年、全てを防衛し再度挑戦して来た羽生先生に負けてついに羽生先生は七冠を達成するわけですが、この95年王将戦は歴史に残る名勝負だったと言えるのです。

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