埋まらない隙間
今回出てくる赤島未来六段にも元ネタがあります。未来という名前ですが、男性です。現実世界のプロ棋士にもいます。最近は男性なのか女性なのかわからない名前も増えてきました。とりあえずこの作品、今のところカップル女さん以外女性キャラは出ていません。
河津は将棋界において決して弱いわけではない。なんやかんやしっかり勝っている。それは研究を異常なまでに行なっているからである。
河津は2戦目の村山慈聖八段戦には敗北したものの、3戦目の赤島未来六段には勝利した。その後も勝ったり負けたりを繰り返しながら3月までの勝率は6割ほど。これがトップ棋士ならよくやっているだろうというレベルの勝率である。ただ最初のうちはロートルと当たることも多いので、成績は良くなりがちである。
4月、小野寺はタイトル戦に出場した。タイトル戦というのは将棋界において檜舞台と呼ばれる晴れ舞台であり、全棋士の中で1人しかその棋戦の挑戦者になれない。タイトル戦を戦い勝った方がその棋戦の名前を名乗ることができるというものである。河津は今四段なので河津稜四段と呼ばれているのだが、タイトルホルダーは、谷本浩司名人などといった形で段位ではなくタイトル名で呼ばれる。基本的に将棋界はタイトルを持つものが偉いのだ。タイトルに一生縁のない人もいるレベルである。小野寺はそんな最高峰の戦いに弱冠17歳で挑んだ。
タイトル戦は一発勝負ではない。何度か戦い先に規定数勝利した方が次のタイトルホルダーとなる。
小野寺の挑戦する棋戦は龍棋戦。1日制の持ち時間4時間の5番勝負という一般的なタイトル戦である。1日制というのは1日で決着のつく対局のことを指す。2日制ならば、1日で終わらず次の日も続けて指す。持ち時間は考える時間。時間が無くなれば1つ手を指すのに1分しか使えなくなる。(ここは棋戦によって異なるが、一般的には1分)その為、持ち時間を使うタイミングというのが大事である。
現在龍棋のタイトルホルダーは、木村一也龍棋、将棋界の受け師と言われる受け将棋が得意だ。攻めの反対は守りが一般的だが、将棋界では攻めの反対は受けという。攻めはその名の通り相手陣地へ攻めていく将棋を指し、受け将棋はそれを受け切る将棋を指す。
解説には村山八段と味谷九段が入った。村山八段は先程河津が負けた相手として紹介した棋士であり、序盤は慈聖に訊けという言葉があるような序盤研究の鬼である。
タイトル戦は現在、旅館などで行われることが一般的である。かつては連盟が持つ施設で行っていたが、最近は滅多に聞かない。
第1局は愛知県岡崎市で行われた。家康公の街で、有名な動画クリエイターもいることからかなり人気の街である。
河津はこの対局の中継を見ていた。タイトル戦は将棋界最先端の戦いが見られる場所であり、プロ棋士も研究目的で閲覧することがある。
タイトル戦は原則として和服で挑む。稀にスーツを着る人もいるそうだが、対局の規定で和服を着るよう指定されている棋戦があったりするなど、あまりよろしいとは言い難いものである。
龍棋戦は午前9時、小野寺の先手で始まる。戦型は相がかりである。対局が始まりしばらく経つと長考を始める。話すことがなくなるのか解説も段々と雑談を始める。河津はそれが鬱陶しいと感じていた。ただのおっさんの会話など誰が好むのか。勝負メシ?興味ない。自分はただ他の棋士はこの局面でどう考えているのかを知りたいのに、最近何があったのかとか交流関係がどうのこうのとか、ヒューマンドラマなエピソードは全く必要としなかった。河津は消音にして盤面に集中する。自分ならこの局面でどのような手を指すか。
昼食休憩中も河津は自分のパソコンで研究しながら盤面を眺め続ける。対局者がご当地の美味しいご飯を食べる中、買ってきたコンビニ弁当を片手にひたすら考える。元々自炊はしない性格であったが、プロ入り後は時間を大切にするためにコンビニ弁当で済ませるようになった。
河津が妙手を発見する。対局者はともかく解説者は気がついていない妙手である。この手を指した場合、河津の計算では木村が有利になるという結果が出る。
「無能な解説者は、小野寺の方が良いとかほざいているが、この妙手さえ指せば木村優勢だ。駄弁ってる暇があるなら検討しろよ。」
独り言をぶつぶつ呟く河津は、木村が妙手を指すのをじっと待っていた。
木村は長考し、その妙手を指した。消音を一時的に取りやめ解説の声を聞く。何も考えてなかったのか、考えつかなかったのか。「ヒェー!」とか「えー!?」とかしか言っていない。何が解説だ。お前らがやってるのはただの雑談配信だ。河津はそう思っていた。
しかしよく考えてほしい。河津は解説担当の村山に負けている。味谷との対局はまだ無いが、恐らく負けるだろう。村山や味谷は将棋に詳しく無い人のために雑談を設けているのである。専門的な話をベラベラされても小野寺ブームで増えた将棋ファンはついていけない。この妙手は知らないが、わかっていないのは河津の方である。
人は間違える。あなたの周りにも間違っている人はいるはずだ。その時、間違いを正してくれる人がいるというのは有り難いことである。そんな友達がいなければ、河津のようにいつまでも間違い続ける。「間違いを指摘してくれる存在は大事なんだよ」と言ってくれる人がいるなら、その関係は大事にした方が良い。
対局は午後6時、小野寺の投了で終了した。木村が防衛に向け一歩前進である。記者会見では以下のように話している。
小野寺「あの手(妙手)はその前の手を指した後に気がついてしまった。指すなと心の中で願ったが、指された。」
木村「正直ギリギリの戦いだったので、そこは反省。次の対局も負けないように戦う。小野寺さんは強いから。」
対局後、2人は感想戦へと入る。時々笑いも飛び交う和やかな感想戦となった。なお河津は現在まで何局か対局しているが、一度も感想戦を実施できていない。しかし感想戦は本来無い方が珍しいのである。
河津の置かれている環境というのはあまりに惨いもの。研究相手や友達がいないということは1人で情報を集める必要がある。他よりも無駄な労力を費やしている。小野寺も神童だからといって、友達が多いからと言って研究していないわけがない。むしろ研究の鬼である。そうなればいくら鬼より4時間多く勉強しているとはいえ、隙間を縮めるのは難しいのである。河津がタイトル戦に出られるのは果たしていつになることやら。
出られないと分かった時、人は焦る。焦るというのは河津も経験をしている。ミスをしやすくなるということ。諦めたくはない。この男にとって将棋で諦めるというのは許されないことである。
「俺は将棋棋士なんだ、絶対負けねぇよ。」
私は小学生の頃、遊びで少し将棋をやっていました。ほとんど勝てなかったのですが、楽しかったのは覚えています。その頃は将棋は斜陽産業などと言われており(それより前かな?)某七冠が出る前の将棋なんて年寄りしか見ないなんて言われてた時代です。まぁ私の小学校はかつてプロ棋士を輩出していたりするので(それもかなりのトップ棋士)、なかなか凄い学校ではあるのですが、当時の私は特に知らなかったというのが実情です。
中学では特に指さなかったのですが、高校生の頃は友達とよく将棋を指しました。その頃はほぼ負けなかったのを覚えています。青野流横歩取りとかもやってましたが、基本は守るタイプ、受け将棋を得意としていました。(友達はノーガードの攻め将棋でした)
将棋界は見事にブームを引き起こし、ファンも増えたわけですが、将棋の世界に足を踏み入れるとこの作品はより面白くなると思います。
(今回登場した村山八段。元ネタは二人の村山先生です。片方は今でも現役です。)