コウジの城
第三局、終局です。
第三局は、夜が明け2日目へ突入した。村山は自身の身なりと整え対局室に足を踏み入れる。ここまで2勝している彼だが、油断の文字はどこにもない。何故なら相手は谷本浩司、今を生きるレジェンド棋士だからである。
「兄がよく口癖にしていたな、タイトルが欲しい、そのために強くなるって。大体の奴らはプロになる前にそんなことは言わねえ。ただ、俺の兄だけは違った。プロの先も考えてたんだ。」
村山にとってタイトルは兄の夢でもある。託された思いを胸に、封じ手開封の時を待つ。
「味谷君、昨日は助かったよ。今日は自分一人でやるから、検討室へ行くといい。」
立会人、中原は、立会人補佐として呼ばれていた味谷に上記のように告げた。長らく対局室に足を踏み入れてなかった彼だが、昨日で感覚を取り戻していた。検討室きは昨日公開解説を担当した小野寺、澤本、会長として来ている木村、そして孤独の棋士河津がいる。最もぼっちな彼は検討室にいるだけで輪に加わることはない。
「定刻ですし、封じ手を開封しましょう」
中原は封じ手の封筒を用意し、開けられた痕跡がないことを確認させる。そして封を破り、内容を読み上げる。村山が指す54手は、同金。53手目が5五飛だったので、それを金で取った形である。
「先を見ているんだよ、アイツは」
検討室内で味谷が声を発する。それを小野寺と澤本はこの対局の終局という意味で捉えた。一方木村はこのタイトル戦の後の話で考えていた。
「それは、虎王戦の後、ってことか?」
気になればすぐに質問してモヤモヤを晴らす。雑念を消す為には重要な行動である。
「流石は会長職に就くだけのことはある。その通りだ。この対局は、次にあるかもしれない別のタイトル戦への布石になるだろう。」
そのタイトル戦は現在決勝トーナメントが進む龍棋戦かもしれないし、名人格かもしれない。河津が持つ王棋かもしれない。いや、全てに可能性はある。当然そのタイトルを持つ者以外は自分が挑戦者になろうと意地を張る。あの男に挑戦者にらなってたまるかという精神だ。逆にタイトルホルダー、ここでいうなら龍棋の小野寺、名人格の木村、王棋の河津は、挑戦者に村山が来た場合、当事者となるのだから、この対局はしっかり研究する必要がある。無論谷本の場合の研究もする。
序盤の鬼として知られた彼は、気がつけば終盤の鬼へと姿を変えていた。終盤力が強い棋士は、トッププロに多い。何故なら将棋は終盤こそ命だからである。
一手で勝負が決まるからこそ、そこに全神経を集中させる。将棋とは、一本橋を命綱無しで渡るものだ。
55手目、8二角。以下8一飛、5五角成と続く。
一心不乱とはよく言うものだ。検討室内の雰囲気は一人除いてこの様子。誰が除かれているかは言うまでもないだろう。狂喜乱舞した民衆を見るかのように冷めた目でそれを視界に入れる一匹狼だ。
「検討が捗る。流石のタイトル戦だ。」
澤本がそう述べれば
「俺もこれ参考に対局したいものです。」
と小野寺が返し
「なら俺もこの手を研究するか」
と味谷が言えば
「味谷さん、あなたにできますかね?」
と木村が挑発する。
そこに加わらない男は独り言で
「村山が勝つ可能性が高い…谷本の隙を虎視眈々と狙っている。」
と呟いた。リズムを崩す言葉だ。
58手目の盤面は以下の通り
(村山駒は玉将、持ち駒除きひらがなで記載
歩 ふ 香 き 桂 け 銀 ぎ 金 ん 角 か 飛 ひ)
後手 村山 持ち駒 歩 歩 歩
きひ 玉 ぎけき
ん
ふ ぎふふ ふふ
け ふ馬 銀
歩
歩歩ふ歩角歩歩 歩
金 金
香桂銀王 ひ 桂香
先手 谷本 持ち駒 歩 金
58手目は4九飛打
以下、5九歩打、2九飛成、1一馬、1九龍、2一馬、5四香打、3一馬、4五桂打と続く。
ここで昼食休憩である。この頃、瑞希システムは完璧に作られており、河津除いたメンバーは谷本勝利を確信するレベルとなった。
「2勝1敗でも村山優勢だからなぁ」
「ここで返してどう動くか」
既にタイトルホルダーの勝利前提で話が進む。当然まだ決着は着いていない。将棋は逆転のゲームだが、プロの目から見ても村山の逆転はほぼ不可なほど、谷本の城が出来上がっていた。
昼食中の挑戦者は、ひたすら挽回の手を考えていた。所謂毒饅頭である。どこで仕掛けるか、相手が予想しない所で難しい手を指す。勝負手は心理なのだ。
「早いな村山、もう帰って来やがった。いわきの名産品、勿体ない」
味谷が終盤の鬼の姿を見るやすぐに発する。
「これで変われば楽なんですけど、そうはいかない。相手はプロ、それもレジェンド」
小野寺が言う通り、谷本浩司は数多くのタイトルを知るトップの中のトップだ。相手がアマチュアならまだしも、この男には小細工など効かない。
その後持ち時間はお互いほぼ使い果たすも、79手まで進み、谷本の勝利を伝えようと報道陣もスタンバイをしていた。評価は谷本勝勢である。ここまで来ると形つくりといういかにも接戦でしたというのをアピールするための盤面整理の時間である。
80手目、村山、5九金。
「形つくりか。」
検討室もそのように捉えた。長かった対局も終わる。いわきに夜がやってくるのだ。
「着物を整え出した。」
味谷が村山の動作に注目した。着物を整える。つまり投了の準備をするということだ。瑞希システムを前に鬼は沈む。
「確信した。谷本の負けだ。」
空気の読めない一言が飛び出した。友達ができない男の言葉である。
「はぁ?テメェは逆張りが好きなのか?」
味谷が輪を乱す者へ制裁を与える。
「お前ら、谷本勝ちだと思うなら今すぐプロの肩書きを捨てろ、貴様らにプロを名乗る資格はねぇよ。」
「流石に看過できませんよ、貴方の発言は失礼です。」
澤本が援護射撃を行う。続けて
「評価値を見ても分かる通り、谷本勝勢です。それこそ、プロの先生なのですから」
小野寺は谷本を信じるような発言をする。
直後のことだ。81手目同銀。その手を指し少し間が開いた頃、青ざめていく姿を視認した。
「嘘…だろ…」
真っ先に声を出したのは味谷、続いて小野寺が
「そんな…」
と溢す。もうこの検討室にも活気はない。脱力感が支配する。
「アマチュア共、勉強しろ。プロの対局を」
そう言って河津は部屋を出た。誰もその男の姿を追う者はいない。
94手目、5七金打までで谷本の投了。村山は無傷の3連勝である。
感想戦の最中、村山がどこから5九金を考えていたのか問われていた。
「その手か、最初に思いついたのは31手目ですよ。瑞希システムの挽回は毒饅頭しかないって」
その頃といえば大体の人が瑞希システムを作るだろうと言っていた時、村山は既に挽回の手を見つけていたのだった。
「正直検討室は80手目まで谷本勝ちで一致してたんだ。」
中原がそう呟くと
「それ、本当に全員ですか?」
と村山が返した。一瞬舞台が冷え切ったような気がした。
「あぁ、検討室にいたが、谷本勝ちで投了の準備をしていると思われていたぞ。」
「そうですか、正直河津が谷本勝ちを読むとは思いませんけどね。あの時の不調なら兎も角、今はまた努力かなんか知らないが強くなっているはずだし。」
(河津と友達とか思われるのは御免だが、あの男は間違いなくできる。正直、天才だの持て囃されている小野寺よりも強いはずだ。)
というわけで村山の3連勝です。毒饅頭は前にも取り上げましたが、一手で変わる大きなモノです。心理戦でもあるので、難しいわけですが…
村山は一時期河津に失望していましたが、現状の対局結果から再度敵として認識しています。




