ジセイの勘
福島の地で、虎王を懸けた戦いが始まる。
虎王戦第三局は、福島県いわき市で行われた。タイトル戦は東北地方での実施が非常に少なく、東北で行われることは非常にレアだったりする。立会人は中原、補佐で味谷も付く。
常磐線特別急行ひたち3号仙台行は8時ちょうど定刻に上野駅を出発した。
「仙台は私の故郷ですから、本当は仙台でやって欲しいんですけどね。」
中原の故郷は宮城県の仙台市。対局場のいわきより常磐線を更に北上した所にある。この列車の行き先でもあり、東北の大都市である。
列車は柏、土浦、水戸、勝田と停まっていき、目的地いわきまで辿り着いた。
「太平洋だな」
味谷は呟く。いわきは福島の浜通り。太平洋に面した福島県を代表する街の一つである。海が綺麗な場所であり、ハワイをイメージした施設もあるほど、海を推している。
対局場もまた海の見える場所である。今回は旅館で実施される。
対局場となった部屋の名は「初音」和をしっかり感じられる伝統的な部屋である。
谷本と村山はそんな癒しを満喫することはできない。既にお互い集中して、隙を見せないように心掛けている。彼らに心休まる時間はない。
「さてと、対局場の検分を始めます。」
十六世名人の言葉で検分がスタートした。
「座布団、少し柔らかいものに変えてください。」
谷本が要求した。
「自分は問題ないです。」
村山は最初の座布団を選択。
「駒はどちらにしますか?」
中原が問いかける。味谷が駒を持ってきて二人に見せる。
「うむ、では二つ目の駒でお願いします。」
谷本が選んだのは、地元の駒であった。
「空調はどうですか?」
前回は空調で少し意見が割れたが、今回は
「沖縄じゃないし、これで大丈夫です。」
「これで明日も対局を」
と同意見であった。
「久しぶりだよ、この雰囲気は」
かつて多くのタイトル戦に登場した中原にとって、この場所はある意味故郷なのだ。
第三局が始まった。今回の先手は谷本浩司。飛車先を歩を突き村山も同じようにする。今回は居飛車の対局だ。
「行けると思った時、人はそこに隙が生まれる。何事も初心が大切だ。」
検討室に来た中原はそう呟く。大山との数多くのタイトル戦を戦った男にとって、今の谷本、村山の気持ちは痛いほど分かる。
「味谷は最初の名人格戦で私相手に先に3勝した。そこに隙が生まれ信じられない凡ミスをして、結果は私の防衛。十六世を名乗る資格を得たものだ。」
中原はよく色紙に「油断大敵」と書く。子供たちにもそう教える。油断した者は非常に脆く、そして儚い末路を迎えると。
今回、現地の人向けに解説が付くことになった。解説を担当するのは、小野寺、河津、澤本である。
「言ってはアレだが、小野寺と河津を一緒にするなんてな」
人気棋士と不人気棋士、抱き合わせ商法ではないが、この配置は何か意図があるようにしか見えない。なお河津にとっては初めての解説である。
最初の担当は小野寺である。立会人補佐の仕事を終えた味谷が途中から合流する。検討室とは違い、素人相手に教えるような形で行われるため、専門用語は極力使わずに行う。
観客にとって、小野寺の解説は待望というもの。多くのファンがカメラを向け、天才から発せられる言葉の一つ一つを噛み締める。
「現在、20手目です。」
(村山駒は玉将除きひらがなで記載
歩 ふ 香 き 桂 け 銀 ぎ 金 ん 角 か 飛 ひ)
後手 村山 持ち駒 なし
き ん玉 ぎけき
ひぎ んか
ふ け ふふ ふふ
ふふ ふ
ふ
銀歩飛
歩歩歩歩歩歩 歩
角金
香桂銀 王金 桂香
先手 谷本 持ち駒 歩
20手目は村山の7三桂、まだ始まったばかり
「ふむ、何か仕掛けてきそうな雰囲気だな」
そう感じとったのは中原だった。
(何か仕掛けてくる…!?)
村山もまた心の中で谷本の何かに警戒していた。まだ始まったばかりだが、既に中盤を読んでいる。
「私も何度かこのような盤面にしたことがありますが、まだここから谷本虎王がどう動くのかは読みきれません。だからこそ挑戦者村山八段も警戒しているはずです。」
天才であってもこの盤面からどう攻めるか確実な答えは出せない。
慈聖の勘は正しいのか、それとも…
少し経って解説が河津に交代した。するとどうだろうか。客席にいたファンは次々席を立ち、お手洗い目掛けて歩み出す。時間的な都合もあり、昼食を取る者もいた。誰も孤独の棋士の解説を聴こうとはしなかった。であれば当人は解説なんかしなくても良いと思うのだが、残念ながら中継カメラだけはそこにあるため、いるかもわからないファンへ向けて解説をせざるを得ない。動画配信者のあるコメントでは「河津になった途端、同接が激減した」とあった。どうやら画面の前のファンもいなかったようだ。
大体動画配信のサムネやタイトルも悲しいものだ。「小野寺龍棋登場!」だの「天才棋士小野寺の解説あり!」など多くは天才棋士を推し出している。「渚一二三ペア」と書いたチャンネルもあったようだ。
先程は小野寺と味谷のペア解説だったが、このターンは河津単独解説である。本来、解説には聞き手という存在がついてくるモノだが、時々単独解説もあったりする。今回は彼だけが単独解説となり、澤本は時々木村と解説する予定である。会長という立場で来ている為、厳密には解説というより聞き手なのだが、プロ棋士である以上、何かあったら解説も担当できるというもので、実際こういう場合何故か聞き手であるはずの側が解説をし出すこともあるようだ。
中原と対局者の村山が感じていたモノを河津は言語化した。
「谷本は瑞希システムを使おうとしている。」
瑞希システムとは何か、棋士番号267の六段棋士、城ヶ崎瑞希、あの角頭歩を使っていた昔のプロ棋士城ヶ崎千尋の曾孫でもある彼が生み出した戦法である。本人は燻っているようだが、彼が得意とする戦法には未来があった。瑞希システムの1番の弱点は瑞希本人が指していることなどと言われ、当人がかなり気にしているようだが、今回谷本はこのシステムをこの檜舞台で披露しようとしていた。
「浮き飛車…か」
この発言は何十手も先を読む男だからこそ出てくるモノである。残念なのはそれを聴いている人がいないこと。
違和感止まりの村山、核心に触れた河津。
対局は続く…
この話は大体1ヶ月ぐらい掛けて書いております。ストックがどんどん減っていくのでなかなか大変です…
瑞希システムの元ネタは村田システムです。
ところで河津王棋はここでもぼっちですね…




