初対局と喧嘩
登場人物は基本的に何かしらモチーフがあります。現実世界の将棋をご覧になる際は、その点を注目してみるといいかもしれません。
ヒント 小野寺渚は某トップ棋士が元ネタです。
プロ棋士になった河津を取り上げるメディアはなかった。当然である。中学生棋士のような大物ではない。毎年4人はプロ棋士が生まれるのだから、いちいち報じる必要もない。小野寺のような天才でない限り、世間は注目などしない。将棋好きはネット掲示板にて四段棋士について語る。河津の評価は以下の通りであった。
「普通。面白くないただの棋士。」
「友達がいないぼっち。本物のぼっち。」
「まぁ有象無象でしょ。」
「小野寺がデカすぎるんだよ、比べちゃダメさ。」
「どうせすぐ弱者棋士扱いだろうによ。」
河津は子供時代から目立った成績は無かった。大会に出ても優勝は基本無し。良いところまで行って負けるというのはそれなりにあったが、目立つ成績は無かった。掲示板でも最初こそ批判の声は聞こえたが、次第に河津という名前すら出なくなった。応援スレッドもすぐに落ちたようだ。
連盟会長の谷本浩司は、名人に長いこと在位したレジェンド棋士である。谷本自身も中学生棋士としてデビューし、当時世間を賑わせた。
谷本は小野寺ブームにあやかり将棋を世の中に発信することにした。お陰で今まで将棋と縁の無かった人たちにも将棋という文化が流れ、日本は将棋ブームを引き起こす。谷本のプロ入り当時より大きな波であった。
小野寺渚、この男は今までの記録を片っ端から塗り替えていた。河津がプロ入りした時点で、最多連勝29連勝、勝率8割、最年少七段、最年少棋戦優勝を達成、トップ棋士である新庄伊織にも勝ちマスコミはほぼ毎日小野寺を取り上げた。
羽島が入水した時、世間は羽島ではなく小野寺の対谷本戦勝利を報道した。無情な世界である。
彼らを太陽とするなら、河津は月、いや小惑星ぐらいだろう。それだけ谷本や小野寺の功績は大きいのだ。勿論トップ棋士の新庄や味谷一二三、木村一也も功績は大きいが、小野寺の前に霞んでいた。
霞んではいたが、それでもファンはかなりの数いた。特に新庄は貴族と言われ、その立ち振る舞いから女性ファンが多い。異世界転生してもあの男は貴族だろう。なんて言われるレベルである。当人もそれを理解しているのか、対局場にバラを持って行ったり、優雅にクラシック音楽を嗜んだりしている。家は芦屋の高級住宅街にあり、近所から新庄邸はお洒落なこともあり、芦屋の顔と言われている。味谷や木村もそのカリスマ性や愛嬌の良さからファンが多く、彼らが主催する将棋教室はいつも満席なのである。そんな推す人が多いのが今の将棋界だ。
河津は東京に家を借りた。小さなアパートである。プロになれば対局するだけでお金を手に入れることができる。まぁプロなので当然ではあるが。
対局場のある千駄ヶ谷までは電車で約20分だった。かなり近い場所に家を借りることができたと考えた。往復でも40分。1時間を切るのは河津にとって都合が良い。家で研究する時間が増える為である。
プロ入りして2ヶ月後、とうとうデビュー戦が行われた。相手は平泉薫五段。若手の棋士である。
河津はプロになったばかりなので、下座に座る。平泉は河津と目を合わせず上座に座った。無言で対局準備が進む。振り駒という先手後手を決める一連の所作を行い、先手は平泉に決まった。
平泉は対局開始すぐに飛車先の歩を突く。河津も同じように飛車先の歩を突いた。これはどんな作戦でも掛かってこいという意味と居飛車であるという意思を示す意味がある。世の中には居飛車と振り飛車というのがあり、居飛車は飛車を動かさないものである。現実世界でいう七冠がやっているものである。対局は横歩取りとなった。対局自体は普通に進み、98手までで河津が勝利した。本来対局が終わるとお互いが検討する感想戦というのが行われるのだが、この日平泉がこれを拒否。対局終了後すぐに解散となった。感想戦を拒否する理由は様々あるが、今回の場合、平泉が河津と感想戦をしたくなったというのが理由である。
対局場を出ようとすると谷本が誰かと話しているのが聞こえた。
「羽島は結果に絶望したんだとよ」
「弟子は関係なかったのか」
「あぁ、羽島はメンタル弱かったんだろうよ、弟子はスパルタ受けてだいぶメンタル強くなってるけど」
この時、河津に少しだけ心が戻る。師匠の入水は自分のせいでは無かったことを知ることが出来たのはプラスであった。
そしてトップ棋士になると決意した。師匠に安心して貰いたい為だ。心が戻ったことで深く接した相手には思いやれる気持ちが帰ってきた。あくまでも深く接した相手にのみなので、初対面の人には思いやる気持ちは持てないままである。
駅はカップル達で溢れていた。今日はクリスマスイブ。河津はクリスマスというのを知らない。そんなものやったことも無かった。施設では特にイベント行事は無かったのである。
「なんでこんなに人が多いんだろ」
ボソボソ呟きながら駅に向かう。人が多かったので、あるカップルと肩がぶつかる。河津は無視して駅へ向かおうとしたのでカップルの男側が
「てめぇ、待てや」
と河津に詰め寄る。河津はそれでも無視をした。関わりたくないのである。
カップルの女側も河津に詰め寄っていく。通せんぼとなったので河津は仕方なく
「どけ」
と発言した。理由や言葉はともあれ河津が人と会話したのはこの日初めてである。実は先ほどの対局、誰とも会話をしていない。昼食もなぜか河津には聞かれなかった。なお女性との会話は数年ぶりである。
さてどけなんて言われたらカップルの怒りは頂点に達するわけで喧嘩となるのは至極当然である。
河津は女の顔を殴ろうと手を振りかざすがそのタイミングで近くを通っていた警察が制止して事なきを得た。
警察で事情聴取を受ける。河津は会話したらキレられたとの旨の説明を行った。とりあえずその場はお互い注意で終わったが、河津はこの日の経験を持って人と関わっても碌なことがないという考えになったのである。
「カップルなんていい年した大人が子供みたいに甘えやがって、甘えるのは子供までだろうが。自立しろよ。」
河津はイライラしながら呟いた。本心は自分も誰かに甘えたかったのである。それが許されなかった男の言葉である。人とまともに関わらなかったことで関わり方を知らず、結果として喧嘩となり更に拒絶する。悪循環である。
家に帰ると早速研究に入る。河津はこの時間が一番好きだった。自分の好きな事に集中できるこの時間が。
隣の住人がガサゴソ何か作業をしている。どうやらクリスマスパーティーをしていたようだ。最初こそ聞こえていたが、河津は集中し最終的には聞こえなくなった。
朝日が顔を出し、鳥の囀りが聞こえる。河津は徹夜で研究を行い、朝食を食べながら詰将棋を解く。詰将棋というのは終盤力が鍛えられる将棋の詰みに特化した問題で、実際プロ棋士の多くがこの詰将棋を解いている。この行程は河津のルーティンとして定着した。
朝9時になると対局中継が行われる。トップ棋士は中継されることもあるのだ。今日は小野寺と味谷の対局である。トップ棋士がぶつかる大きな一戦ということで解説に谷本、木村がつく豪華体制であった。
河津はパソコンに手順の研究をさせながら対局を観戦した。
昼になり、対局も休憩に入ったので、河津は仮眠を取る。3時には起床し、また研究を始めた。練習の鬼でも1日10時間ほどである。河津は14時間は研究をしていた。同年代の男性は、大体は彼女を作り、結婚し、子供を作り、幸せな家庭を築いているのだろうか。もっとも彼女を作るという行為は、大学進学や就職よりも難しい行為なので、大体作っているというのは言い過ぎの可能性も大いにあるのだが。
河津は睡眠時間も削って研究を続ける。例の対局は夜8時には終わり、味谷が勝利。珍しく小野寺がミスをした。
「なんだ、こんな結末か」
河津は残念そうに呟く。そしてまた研究に戻る。
近隣住民からは夜遅くまで電気をつけている変な家として認知されていた。河津は近隣住民とも交流しなかったので、どんな人が住んでいるのか知るものはいなかったが。
毎日研究を続け対局があれば対局場へ向かう。ただそれだけである。
「強くなって師匠が空で喜ぶように、俺はただひたすらに研究するだけだ」
ヒューマンドラマというのもちょっと違うだろう。と考えてたりします。ヒューマンドラマというのは関わりがあってこそだと思っている。河津は人と基本的に関わらない。それをヒューマンドラマというのだろうか。私はそうは思わないんです。河津が孤独でなければこの作品はヒューマンドラマだっただろうと思います。
今回の話は、色々なプロ棋士が出てきました。谷本浩司会長は、元ネタが分かり易いタイプの棋士ですね。味谷一二三や木村一也も元ネタからちょっとだけ弄ったタイプの棋士です。性格も元ネタの棋士に似ています。ということは味谷は過去谷本から上座を奪っているんですかね…?(元ネタではそんなことがあったと語られています。)
平泉五段は特に元ネタはありません。似た名前の棋士はいますが、その人はプロ編入試験合格者なので若手棋士だったことがありません。そもそも性格も全然違いますからね。