衝撃(後編)
後編です。
「タイトル戦だろうと、不戦敗は不戦敗だろう。俺は、北村不戦敗の河津王棋案に賛成だな。」
村山が声を上げた。
「まだ開幕前なら、谷本虎王との番勝負も良かったが、既に一局終わってるからな。ならば、このタイトル戦は始まっていると考え、不戦敗を適用すべきだ。」
この手の話は非常に込み合うものである。実際の世界でもプロ棋士が亡くなり不戦敗となるケースはそれなりに存在する(某十五世名人や某九段など)ただし彼らは皆、タイトル戦を戦っている最中というわけではないので、リーグ戦やトーナメント戦でこのような措置が取られたに過ぎない。特に病気で休場してからという事例が殆どの為、事前にある程度考えることができる。ただし、北村のような殺害されるケースも現実世界で残念ながら発生しており、その際の措置は残りの棋戦の不戦敗扱いであった。だが、やはりタイトル戦を戦っている最中の棋士ではなかった。その為北村の件もタイトル戦以外の棋戦については既に不戦敗として扱うことが決まっていた。
「会長としてはどうお考えですか?」
と聞いてみればいいものの、挑戦者決定戦は河津四段(当時)と谷本虎王であり、会長自身もこの件に深く関わっていた。これも混乱するきっかけであった。今回、進行が木村九段メインなのはそう言った一面もある。
「自分は、苦労してタイトルを取った身ですので、やはり不戦敗は相応しくないと考えます。」
小野寺がそう発した。直近の龍棋戦では木村との熾烈な戦いを制してタイトルホルダーとなった。それもあってか、タイトルは苦労して取るべきとの考えであった。タイトルとしての格の問題である。
現在当事者の河津、谷本を除いた各棋士の派閥は次の通りである。
不戦敗賛成派は、村山、味谷、藤井、白河、中野、赤島。
不戦敗反対派は、小野寺、新庄、萩原、三橋である。まだ決めきれてない棋士もいる。
賛成派の村山、味谷は今回の挑戦者決定トーナメントで河津に敗れた者であり、その点も考慮していると見られている。一方同じトーナメントで敗れた棋士でも小野寺は反対派である。
「味谷さん、自分はやっぱり反対です。」
小野寺が味谷に話す。そして続けて
「タイトルというのはやはり、熾烈な戦いがあってこそです。それが格というものです。幸い、河津五段は1勝してますから、挑戦者決定戦の1勝をそのまま持ってきて1勝対0勝で続けることができます。タイトル戦を楽しみにしている棋士もいるのですから。」
とした。しかし味谷はこう返した。
「ただ、第一局はどうなるんだ?確かに小野寺の言う通り、タイトル戦は格が重要だ。格を重んじるのは将棋界の習わしだ。しかしこの案では第一局をぞんざいに扱っているんだ。」
そんな話をしている中、森井が声を上げた。引退棋士でも退会しなければ棋士のままである。その為棋士総会にも出席する。
「そういえば、戦時中に、タイトル戦の挑戦者が決まらず、タイトルホルダーの不戦勝として扱ったことがありましたね。それでいいじゃないですか。」
この鶴の一声とも言える言葉、戦時中確かに挑戦者が決まらず不戦勝でタイトルを獲得した棋士がいた。今回はそれを使えば良いということである。
谷本花子は嫌な顔をしたが、この場で花子につくと大変なので、谷本はトイレに行くといい木村に「森井先生の案を採用すべきだと私も考える」と伝えた。この案なら自分に得はない。問題はないのだ。
結果として棋士総会は、河津の不戦勝でタイトルホルダーと決まった。この瞬間、河津は七段昇段と王棋のタイトルホルダーとなった。
棋士の間、特に賛成派の棋士の間では問題とはならなかったが、世間一般の声は非難の応酬となった。孤独の棋士も相まってかなり炎上していた。犯行予告までされる始末である。本当によろしくない。
異例の形でタイトルホルダーとなったが、村山は今回の一件は、河津の孤独からの卒業が遠くなってしまったとも感じていた。
「本当のタイトル戦は来期の王棋戦だな。」
そう呟いた。
さて、棋士総会が終われば次は事情聴取である。河津、村山、味谷、谷本、新庄が警察署に呼ばれた。
警察署では松岡と小柳津が聴取にあたる。と言っても第一容疑者は北村の妻であるので、そこまで詰問はされない。
松岡の担当は河津、村山、味谷。小柳津の担当は、谷本、新庄である。
初めに河津王棋から話を聞く。
「河津さん、北村駿について詳しく教えてもらえますか?」
「知らねえ、ただ対局で当たっただけの棋士。プライベートの繋がりなんてプロ棋士にはない。」
「あ、そうですか…」
松岡は喧嘩腰の河津を前に少し後退りする。
河津からはそこまで話を聞き出せなかった。村山の時も同様といった感じである。
しかし味谷の時はある程度予想を聞くことができた。
「北村はかなりのメンヘラで、相手棋士をメンヘラにさせようとしていた。河津はそういうの効かない棋士だからアイツは焦ってミスをして負けた。もしかするとその腹いせに何か揉めることしたんじゃないかな?メンヘラって大変だと聞くしな。」
流石人生経験豊富な味谷一二三の言葉である。
結局、小柳津側も谷本、新庄からそこまで話を聞き出せず、結果として味谷の予想ぐらいしか意味のない結果となった。まぁこの5人に動機は無いと確認できたので良かったが。
警察署から出るとマスコミが大量発生していた。河津に問い詰めるマスコミ達、河津は無視して先を行こうとするがそれを許さない。
「あの!河津王棋!あの!!!」
こんな感じのマスコミの声が何度も何度も響いて止まない。
「いい加減にしてくれ!プロ棋士の研究時間を削られて苛立ってんだ!退け!!!」
思わず大きな声で叫んでしまった。マスコミはこういうのを欠かさずネタにしてくる。
「おい!てめぇら!人が迷惑してんのがわかんねぇのか!」
村山が応戦する。味谷も続き
「発表は連盟が出す。それまで大人しくしてろ!」
と発言した。
何はともあれ無事自宅へ帰ることができた。途中だった研究を進めていく。
「全く、今日は災難な一日だった。誰だよ、プロ棋士殺した奴」
現実世界でプロ棋士が殺害されるなんてあったの?という声が聞こえてきそうですが、残念ながら実際にあった事件です。Wikipediaに載ってますので、プロ棋士 殺人事件などで調べてみてください。
戦時中のタイトル戦では、挑戦者が現れず不戦勝でタイトルホルダーとなった事例が確かに存在します。流石にプロ棋士がタイトル戦中に亡くなることはなかったですが、現実世界の考え方を見るに、不戦敗、不戦勝が基本となるようですね。