王棋戦 角道
タイトル戦開幕です。
孤独の棋士は毎週土曜日午後8時投稿予定です。
先手、河津五段、7六歩。後手北村王棋、3四歩。
角道が開く。角交換なるか、拒否をするか。3手目は…
先手2二角成、角交換である。
ここら辺でマスコミや立会人は控え室へ移動する。
今日の控え室、検討室は、村山と新庄がいた。そこに立会人の味谷が加わる。
「角交換か、別に普通の対局だが、研究がその分進んでいるわけだ。最先端、見せてもらうぞ」
村山は研究する気満々である。
「クラシックは音楽の王道、では角交換はどうなのか。王道なのだ。」
やはりクラシック中毒の新庄。平常運転である。少し前の村山ならキレてたが、今日は随分大人しい。
「ふん、河津は俺との対局で角頭歩をぶっ込んできた変人だ。何しでかすかわからねぇよ。」
味谷はこの前の対局で河津から角頭歩という変わり種を仕掛けられた経験がある。それもあってかただの角交換ではないと思っていた。
「その後の谷本とかの対局は普通だったろ」
村山はその後普通の対局があったことを指摘する。すると味谷は
「それは谷本の奴が残念なことに王道だったからだ。俺や北村は王道じゃない。だからこそ向こうも変わり種で突っ込んでくる。」
と言って反論した。確かに味谷も北村も変わり種の棋士である。
「ていうか、入ってきてから少し経ったが、角交換後なんで指さねえんだ?アイツは」
村山が時間を見る。確かに角交換ならもう既にある程度進んでいておかしくないが。
「おい、4五角って、筋違い角かよ!」
角が本来の道を外れた場所に打つことを筋違い角という。角は斜めに進む駒なので、持ち駒にしないといけない場所もあるのだ。
村山はまたしても変な対局が見られるとワクワクしていた。角頭歩ほどではないが、これもインパクトはある。
「やっぱりやりやがったな。まともな対局考えてるフリして実際変な戦法考えてたわけだ。」
「いえ、これはかなり優秀な手ですよ。」
新庄が指摘する。
「北村の弱点は王道以外に弱い点です。ある程度対策はしたみたいですが、彼は得意な戦法には滅法強くそれ以外には弱いんですよ。好きな人に執着する想いが将棋にも出ているんですよ。」
珍しくクラシック抜きの解説を聞くことができた。
以下5二金、3四角、6二銀、6六歩、6四歩と続く。河津は居飛車党なので、この後の手は振り飛車ではなく8八銀とした。その後6三銀、7七銀、5四銀、7八金、4四歩、6七角、4五歩、4八銀、3二金、5八金と続く。
「筋違い角の矢倉…か?」
村山はこの対局、河津ペースだと感じていた。
「さて、ここからはアイツの番外戦術だよ。俺のようにやってくる。」
味谷が北村の番外戦術を警戒する。
「さて、記録係に聞かれるのは不本意だけど、河津くん、そろそろ愛情の授業を始めましょう?」
北村がメンヘラモードになる。河津は無視して盤面に集中する。
「あなたは一切愛情を知らずに育ってきた。可哀想に。お師匠様である羽島誠八段にも愛情を頂くことはできなかった。でも大丈夫、たっぷり注いであげるよ、今まで貰えなかった分の愛情を、今ここで」
第三者目線で見ると北村の痛い独り言が続いているようにしか見えないのだ。実際この発言の最中河津の考えは次の一手だったのだから。
「そういえば、河津五段は愛情を知らないからメンヘラ攻撃も効果ないと言ってましたね。本当なんでしょうか?」
新庄が訊ねてみる。
「さぁな、ただ既に知っているものを失い、再度得られた時の感情と知らないものを得られた感情が違うのは事実だ。失って初めて大事なものに気がつくというのならそれは北村だ。逆に河津は失ってないから知らないんだ。」
と村山が持論を述べていく。
「ただメンヘラは伝染するからなぁ。小春から聞いたが、小春の友達はメンヘラによって自身もメンヘラと化したというしな」
味谷はメンヘラの恐ろしさを知っている。いや、村山も知っている。実際、花子夫人がメンヘラなのだから。
記録係は北村の独り言を止められずにいた。やはりプロ棋士相手に注意など容易ではない。谷本の件は三段にも伝わっており、注意できない環境だと悟っている人も多かった。
「僕が君のトモダチになってあげる。君の空っぽの心を埋めてあげる。だからほら、飛び込んでおいで」
北村はまだ続ける。精神攻撃である。実際何人かのプロ棋士は北村の手によってメンヘラと化した。
「さっきアイツの師匠の悪口言われてましたよね。これで師匠の悪口を言うな!とか言えば、それが弱点となりそこを詰められ隙ができて入り込まれる。河津は強いと言えます。」
新庄は素直な気持ちを吐露する。近寄り難い雰囲気はあるが、強い棋士ではあると。
「なんだか北小路と羽島の対局を見ているみたいだな」
味谷は回想に入る。
2004年の王棋戦は北小路劔王棋と羽島誠七段の対局だった。当時味谷は羽島の勝ちを予想していたが、結果は北小路のストレート勝ちだった。北小路も精神攻撃を得意としており、羽島はそれを無視していた。しかし最終盤に今までの積み重ねからかミスを犯し、北小路が勝ったのである。
「最終盤にミスをする。それも信じられないミスである。精神攻撃は今は無意味かもしれないが、終わるまでわからないんだ。」
「ん?そういや、立会人は味谷か…
おい、お前は立会人として、あれ止めねえのかよ。」
立会人の存在を思い出した村山が味谷を問い詰める。
「口の聞き方が、と言いたいがお前はそういう奴だったな。
止めることはできない。俺も番外戦術はやるクチだし、相手を殴るとかそういう行為をしているわけじゃない。別に喋ってはいけないというルールはないわけだからな。」
味谷はルールの観点から無理だと結論付けた。無言が基本ではあるが、別に会話しても問題はない。独り言なら尚更である。いやー、うーん、えーと言った言葉は知らないうちに出ているものである。それを対局者が不快と思わない限り、他の人が止めることはできない。実際静かに指しましょうと言ったプロ棋士が、公式戦でいやーなどと言った独り言を連発して後日自分も五月蝿かったと謝ることもあった。結局大きな独り言で片付く話である。特に今回は対局者の発言である。前回の花子夫人の行動と異なり、部外者ではない。それに花子夫人の件を有耶無耶にした今の将棋界が裁くとは思えない。
「大体、三橋肇はアイツによって精神を病むことになっただろう。あの時に止めてなきゃダメなんだよ、今更もう遅いんだ」
味谷の発言により、河津を救うことは三橋も救えただろうということになると気付かされた。それでも村山は意地を張り言葉を投げ捨てる。
「じゃお前が溺愛している大切な小野寺渚が同じ状況でも、助けないんだな?」
「あぁ、勿論終わった後のアフターケアはするが、それはあくまでプライベートの関わりだ。対局中は口出すつもりはない。」
味谷ははっきりとその言葉を口にした。
「まぁまぁ落ち着いて、クラシックでも聴きながらリラックスですよ。検討はのんびりやっていくのも悪くないですよ。」
新庄が仲裁に入る。クラシックの点除けば、のんびりやる検討も悪くない。
「お前は音楽狂だな。」
村山はそう呟いて、また検討に戻った。
「矢倉となって暫く経ちました。お互い研究を外れたようで時間が掛かってますね。」
新庄は次の一手を考えながら呟く。
「俺はここで相手陣地に攻め込むかな。今6四の地点に歩がいるだろう?」
味谷が発した。現在例の盤面からいくつか進んでいる。6四の歩は6三歩成、同飛車とすれば、筋違い角を4五の地点に指し、飛車に睨みを効かせられる。
「筋違い角、活かせてるな。その手。ただその後はどうするんだ?」
「そうだな、村山ならどうする?」
「谷本みたいなこと言うんだな、まぁいい、俺なら5四銀だな。」
「同じだ。俺もその手が一番だと考える。」
「そうすると同角同歩で筋違い角終了ですね。」
「まぁ8八飛だろうな。八筋は今駒ねぇしな。」
「再度角交換ですか…」
ただその後の手が出てこない。悩みどころである。
本譜もその通り進んでいった。8八飛で長考である。
「今日は長い1日になりそうだな」
味谷はそう呟いた。
今回は筋違い角です。味谷戦以来のちゃんとした符号です。