挑戦権決定戦 孤独VS会長
この物語はフィクションです。
ちゃんと書いておかないと誤解されそうなので。
小野寺味谷戦は、お互いが研究の実験のような形となり、結果として小野寺が勝利している。感想戦ではお互いが研究会のような形で話し合う。その後、龍棋戦第五局が行われた。振り駒の結果、木村の先手となる。戦型は矢倉となった。
この対局で決着がつくと誰もが思っていた。しかし、この局で持将棋が成立した。
将棋には千日手と持将棋なるものが存在する。千日手は簡単に言えば同じ局面が続いて一生終わらないから仕切り直しをするというもの。持将棋は王将が相手陣地に入る事で詰まないから引き分けにするというものである。
持将棋には色々細かいルールがあり、場合によっては決着にもなるのだが、この対局では引き分けとなった。なんと存在するはずのなかった第六局が行われることになった。時期的には、河津谷本戦の後である。
河津はいつも通り家に篭って研究をしていた。本来龍棋戦の内容を参考に研究を企んでいたが、この結果では仕方ない。彼は別の戦法で挑むことにした。
家に帰ってきた小野寺に味谷から電話が来る。味谷もかつてタイトル戦で持将棋を経験しており、その時の経験談を伝えたのだった。味谷は妙に小野寺を気遣う様子が見られるが、谷本、村山、河津への対応とはかなり違うのには訳があるのだろうか。妻の小春もまた小野寺、そして赤羽を気にかけており、夫婦共々小野寺赤羽カップルを応援しているように見える。孫ぐらいの年だからとか、色々言われているが、そんな理由なんだろうかと考える棋士もいる。引退棋士が現役棋士を応援することはよくある話で、森井などはしょっちゅう応援している。また現役でも自分の弟子を応援すると言うのならまだわからなくもない。負けたくない気持ちはあれど、弟子に負けた時に少し嬉しい気持ちも出てくると言うものである。特に村山は森井が現役時代にプロになり、師弟戦も経験している。その時の対局で村山が勝利し、森井は「悔しさ半分嬉しさ半分」とコメントしていた。この時の対局もかなり盛り上がったので、後々話していくことにする。
秋になり、新しいプロが誕生した。中野海、東浜真寛である。よく記録係として出てきたあの中野が遂にプロ棋士への一歩を踏み出した。東浜は森井門下のプロ棋士である。
そんな将棋界に於いての下半期2日目に河津谷本戦が行われた。
検討室には、村山、萩原が来ていた。
「四段の棋士がここまで来るとは。しかし五段にはさせません。会長である自分が、ここであなたに黒星を与えます。」
谷本は河津にこう伝えた。河津への発言はほぼほぼ全てこのような敵意を剥き出しにされたものである。
「テメェごときに負けてたまるか」
最も、彼もこんな発言しか基本的にしていない。
振り駒の結果、谷本の先手に決まる。谷本は飛車先の歩をつく。河津も同様に指す。居飛車の戦いとなる。戦型は横歩取りとなっていく。
(横歩取りか、角頭歩とかの変な戦法じゃなく、王道で来たか。あのタイトル戦で矢倉が持将棋喰らったし妥当か。)
村山は考えていた。横歩取りとなれば河津の得意戦法であるが、谷本が苦手というわけじゃない。なかなか面白いものが見られるだろうと。
「うふふ、谷本じゃ色々面倒なので、河津くんが来てほしいなぁ。メンヘラにさせて二度と戻れないようにしてあげる」
北村もこの対局をテレビで観ていた。なんとも悪い顔で。
萩原が無音の検討室に音を出していく。
「慈聖くん、君はどっちを応援しているんだ?」
「あ?メンヘラの北村野郎を倒せるのは谷本。河津じゃ勝てるか未知数だからな。ただ俺を倒した河津が負けるのは不思議と見たくないもんだ。もっとも、北村ごときに負けるようじゃ俺含めてメンタルブレイクだがな」
「君は珍しいタイプだね。稜くんのファンみたいだ。」
「引退棋士じゃねぇんだ。現役が他の棋士の応援なんてするもんか」
「大体、北村なんかにタイトルを明け渡した味谷も問題だろうが。本当に余計なことしやがって。メンヘラに権力なんて与えるもんじゃない。本来なら俺がそれを止めるべきだったんだがな…河津が俺を倒したということはアイツはあのメンヘラを止めないといけない。もしもタイトル戦に出たら負けることなど許されない。まぁ谷本なら勝てるだろう。メンヘラにもならないだろう。まぁ懸念点はあるがな。」
「懸念点とは、もしかして花子夫人のことですかい?」
「あぁ、谷本の嫁さんはなにかと不思議な雰囲気があるだろう?小野寺渚の女の赤羽菜緒や、味谷一二三の女の味谷小春とかと違う。独特な雰囲気が。」
谷本花子、谷本浩司の奥さんであるが、かなり違和感があるのだ。小野寺渚がプロ入りした直後、味谷一二三と新庄伊織のタイトル戦が行われた。一同は対局場の塩尻まで特別急行あずさ3号で向かったのだが、花子は浩司の背後でただ微かに笑っていた。同じ表情で、一切変えずに。味谷一二三、小春夫妻はその姿に少し恐怖を感じたという。
「谷本のオンナ、何考えてるかわからねぇ。俺にはあの笑顔が怖かった。」
「私も、なんというか、ホラー小説とかである薄えみを浮かべる人みたいな感じ。」
谷本花子という存在に恐怖を覚えたプロ棋士は意外と多く、新庄伊織ですら恐怖を感じだというのだから余程のことである。
「俺もかつて谷本の嫁さんと会ったが、やっぱり違和感があった。異性である俺らがそう感じるのだから同性の味谷小春はかなり恐怖したんじゃないか?」
「もしかして慈聖くん、駿くんに似た何かを感じ取ったんじゃない?」
浩司は花子のことをこう話している。
「いつも自分のために尽くしてくれる良い女房である。」
「いつも自分のために最善を尽くしてくれる良い女房である。」
「いつも自分のために笑顔でいてくれる良い女房である。」
「残念ながら味谷の嫁さんの方が、100億倍マトモだよ。恐怖を感じたことはねぇからな。その場に いる というだけで、ここまで怖いことはない。人の背後に霊がいると怖いだろう?それと同じイメージだ。」
少しして検討室に花子が入ってくる。村山と萩原はその顔を見て、再度恐怖を覚えた。
ずっと微かに笑っている。その表情は入ってから出るまで一度も崩さない。本能的に、直感で怖いと感じ取ってしまう。そんな笑顔。
花子が一言声を挙げる。
「浩司は勝ちますか?」
萩原はビクビクしながら
「恐らく」
と答えた。
圧を感じるのだ。
「谷本が何考えるか知らんが、最悪、あの女が実権握りゃこの世界は終わるだろうな。色々と」
河津は攻めの姿勢を崩さない。序盤から攻めに攻めていき、持ち時間をあまり使わず進めていく。谷本は寄せが速いのが特徴。寄せられる前に寄せ切る必要がある。
「ここまでは時間を使わず行ってるな。谷本の寄せ警戒と終盤に時間を残すためか。」
「こういう所でミスが出るんですけどね。」
昼食になり、一時休戦。検討室には味谷と小野寺がやってくる。味谷と小野寺がセットの時、味谷はいつものような高圧的な態度ではなくなる。
「ここまでは互角か。」
「ですね、味谷さんはどう考えますか?」
「時間使ってないからここで考えてるだろうな。」
味谷と小野寺が話している。村山はいつもの味谷じゃないので少し気が狂ってしまいそうだと感じていた。
「まぁ渚くんが可愛いんでしょうね」
「ったく、小野寺渚を女だと思ってんじゃねぇんだろうな?やめてくれよ気持ち悪い。」
「ははは…一二三さんは、渚くんを孫のように感じてそれで可愛いと思っているんでしょ。別に女性に見えるわけないよ。渚くんは誰がどう見ても男性だし。名前からして。」
対局再開。谷本は左から攻めに入る。河津は攻めつつも左の受けを用意していく。
ここで谷本が時間をかけていく。長考するのは、終盤まで見通す時。ここの二択は決着に繋がるか。
「長考しやがった。こりゃ、最悪負けるな。」
村山がボソッと呟く。
「熱いねぇ。谷本の長考ほど怖いもんはないからなぁ。」
と味谷も呟いていく。
気がつけば無音の検討室なんて嘘だったのだ。
長考は2時間続く。そして1番端の歩をつく。最善手である。
「浩司さん考えてますね。相手は四段とはいえ慈聖くん、渚くん、一二三さんを倒した稜くん。トップ棋士相手にやる行動ですよこれ。」
午後3時、対局室に異変が起きる。記録係の横に座ったのは谷本花子、検討室の時と同じ顔で盤面を見つめる。
「なんでいるんだ!?」
村山が声をあげる。味谷も続いた
「谷本の野郎、何考えてんだ?関係者を中に入れるなんて」
恋は盲目という言葉があるが、どんな問題行動でもそれが妻であると見逃してしまうというものも盲目故の行動なのかもしれない。
「浩司さん、花子さん使って圧かけてるのかな?」
「まぁその点は問題ねぇよ。河津は年功序列なんて言葉が存在しない奴だ。更に女であっても容赦しない。つまり圧を感じる俺たちと違い、アイツは一切圧を感じずにやってるはずだ」
村山にとってこの圧を感じないという河津の特性は武器になると考えていた。
「うふふ…奥様まで来ちゃって…そんなに河津くんをメンヘラにさせたくないのかなぁ?」
北村はメンヘラにさせたくて仕方ないようだ。
谷本の反撃が始まる。全て受け切れば河津の勝利、ミスれば負ける。ミスをしないようにと意識すればするほどミスを犯しやすくなる。人の心とはそうやってできている。ミスしてもいいやという気持ちが大事なのかもしれない。ただしミスしてもいいやで済ませられる相手では無い。
「浩司が勝ちますよね」
静寂に包まれた対局室に聞こえた花子の声。河津は無視をするか抗議するか悩んだ。抗議すれば集中力は完全に切れミスを誘発する。ここは無視を決め込む。
検討室では村山や味谷が抗議すべきとの声を挙げたが、萩原が相手が会長なら揉み消されるのではと指摘した。
河津は盤面に集中する。花子の声をシャットアウトして。
「考え方が変わった。ぜってぇ河津が勝て、谷本なんかに負けんなよ。北村がメンヘラとかしったこっちゃねぇ、今期はお前がタイトル取れ」
村山の考えはこの一件で変わったのだった。今期限りだが、河津の味方をしていた。孤独の棋士にファンができた…のだろうか。
「浩司が勝ちますよ。」
花子は続ける。記録係が注意をしようと声を発した瞬間、谷本が咳払いをした。そして記録係を睨む。そうか、敵なんだ。気がついた。気がついてしまった。記録係は俯く。
しかし中継勢は全く気がついていなかった。中継は花子が話したタイミングで広告を挟んでおり、視聴者は確認することができなかったのである。広告が入るタイミングは基本的にランダムのはずだが、どうやら合図を出していたようだ。
北村も花子が来たことはわかっていても、話していることは知らない。大体対局室に関係者などが入ることは稀にあることなので、問題はない。
河津は花子の存在を無にして考え続ける。最善手を指し続ければ河津の勝ちなのだから。
谷本は明らかにイラついていた。河津が狙った効果を出さない為である。花子の笑顔は変わらないが、恐らく内心イラついている。
もうダメなんだ、そう諦めた顔になっていく。
「これで決まりだ」
河津がボソッと呟き、19手詰めに追い込んだ。谷本は潔く投了をする。
この瞬間、北村への挑戦権獲得、そして河津は五段昇段を果たした。
感想戦は勿論なし。記者は谷本を追いかけていった。
もぬけの殻となった対局室に村山が入ってくる。
「敵のお前に言いたいことがある。北村を倒せ。お前がタイトルを取れ。次の期で俺が奪ってやる。」
河津の初挑戦。自分は孤独じゃないと思っているので、村山もファンだと思っているようだが、実際ファンなんていないので、哀れなものだ。
「いらっしゃい。ドロドロの沼へ。」
北村は笑っている。花子とは違う笑顔で。
「絶対倒してやる。このチャンス。無駄にはしない。師匠のためにも」
元ネタ由来のネタもありますが、オリジナルネタもある。今回の谷本夫妻の行動は完全オリジナル展開です。
さていよいよ挑戦ですね。小野寺に先を越されましたが、割と早い挑戦権獲得です。