思い出
谷本も河津も研究を続ける。そんな中、村山は思い出を語る。
段位というのは昇段するから存在するわけで、四段の河津は、五段に条件を満たせば昇段できる。その一つにタイトル挑戦というのがある。次の谷本戦で勝利するとタイトル挑戦となり、五段となる。
河津と谷本。この対局が初手合である。谷本は光速の詰み寄せと言われる素早い攻めが得意の棋士。会長を務めながらもトップ棋士としてタイトルも保持する逸材。中学生でプロデビューした、昔の小野寺みたいな感じである。
アマチュアには非常に優しく、指導対局の際は相手が全力を出せるような構図を狙ってくる。例えばアマチュアで芸人である荻本金一との指導対局では、荻本が覚えたとインタビューで答えていた戦法を出せるように持って行った。更に向こうが不安なのを悟り「いい手だ、苦しい」とか「ここで攻めるか…」など相手にヒントになるような独り言を呟いたりする。そして指導対局は荻本が勝利。これは谷本なりのファンへの対応なのだ。
しかしプロ相手となれば非情になる。相手に何もさせず投了へ追い込むその姿は冷酷な鬼とも称される。村山とのバチバチのやりとりもプロ相手だから起きることである。
味谷に上座を取られた時は、怒りで10分ほど睨みつけていた。その後冷静になり、最短手数で相手を投了へ追い込んだ。
谷本は昔、羽島と仲が良かった時期がある。河津が弟子入りした頃まではよく研究会をしていたそうだが、谷本曰く「弟子とってスパルタ教育するようになったことから関わりをやめた。」とのこと。
河津は、角頭歩はもう使えないとし、次の戦法を考える。王道で行くかそれとも変わり種か。
「角頭歩戦法なんて普通成立しないものを、味谷相手に簡単にやってのけた。睡眠改善がどうの言ってたが、スパルタ教育など、アイツを孤独にした行動が実際は役に立っていた。そういうことでいいのか?」
「慈聖くんは、努力はするかい?」
「当たり前だろ、何を今更」
「睡眠不足になるほど、何をしていたんだろうね。」
「何をって、そりゃプロ棋士なんだから研究…を…」
「そう、努力の鬼なんだよ、才能の低さを努力でカバーするタイプの鬼。まぁ渚くんなら同じぐらいやりゃ無敗の棋士になるだろうけどね。」
村山と萩原は語る。睡眠不足に陥るまで、つまり限界まで研究をしてやっとプロの仲間入りができる世界。才能がものをいう世界は存在する。
「慈聖くんって大切な人の為に戦うことってあるかい?」
「そんな奴、いるわけねぇだろ」
「酷評三羽烏くん?本当はいるんだろう?」
「誰が酷評三羽烏だ!それにいねぇよ。」
「君のお兄さんは?」
村山には兄がいた。村山にとって兄の存在は大きかった。
「で?何の話だ?」
「稜くんも師匠の為に戦ってるんだよ。慈聖くんがお兄さんの為に戦っているように。」
「あぁそうかい。」
村山が少し丸くなったと言っても元々酷評三羽烏と言われた男である。ダメな時はダメなのだ。
(俺にとって、兄、そう聡は、俺を将棋の道に進ませてくれた恩人なんだ。元々病弱で外に出られない兄の為に親が将棋盤を買ってきた。俺もそれに興味を持ち兄とよく対局した。意外と思われるかもだが、俺は兄に一度も勝てなかった。もしも健康なら俺以上に強くなってタイトルホルダーになってたかもな。そんな兄を簡単に話題にしたくない。やっぱり兄は偉大だから。)
村山聡、村山慈聖の兄は13歳で亡くなった。慈聖5歳の時である。8歳差だったので、慈聖にとっては年の離れた兄である。聡は病弱でなかなか外に出られなかった。となれば親は当然聡の世話をするので、慈聖への愛情はそこまで大きくなかった。勿論、5歳以降は慈聖へ愛情を注ぐが、それは聡の分も含まれていた。一時期体調が良かった時に聡は小学生大会に出場した。初めての大会で優勝。神童としてプロ棋士も注目していた。そのうちの1人が森井である。
「村山君のお母さんですか?私、森井と言います。」
「プロの先生が、聡に?」
当時2歳の慈聖は母親に抱き抱えられその会話を聞いていた。
森井は聡を弟子入りさせたかったのだが、聡は大会直後に体調を崩してしまった。森井は病院にも見舞いに行き、その度に聡と指していたそうだ。
4歳の頃には慈聖も将棋を覚え、聡と指す。森井はその姿をこう語っていた。
「年の離れた弟の為に教えるその姿、私は感激した。何故村山君は病弱なのか、非情である。健康なら間違いなく味谷米永谷本を越えられるのに。」
聡の最期の日、慈聖、森井も病院に来ていた。
今夜がヤマを何度も乗り越えてその度に将棋を指していた。ただもう聡は口で将棋の符号を言って対局することしかできなかった。慈聖はそこまではよくわからないので、森井に盤面を再現してもらい、慈聖は盤に指しそれを森井が読み上げていた。看護師も見守る中、聡最期の対局が行われる。ここにいる人全員これが最期の対局になるなんて全く考えていない。普段通り指していた。68手目、聡は、「2七銀」と発した。この手が最期の手である。直後容体悪化で、聡は13歳の生涯を終えた。2七銀は妙手であり、森井は聡渾身の一手と称した。
慈聖は聡から貰った生きるという色紙を大事にしている。病院には毎回持って行き飾っていた。
聡が亡くなって3年、慈聖が8歳になり小学生大会に出場した。結果は4位。優勝ではなかったが、森井はしっかりその姿を確認し、再度母親に連絡をとった。
「村山君の弟君、彼をプロ棋士にしたい。村山君の為にも。弟君の為にも。」
村山はプロ棋士になった日、色紙に「生きる」と書き報道陣を驚かせた。
「兄の言葉です。そして俺の言葉です。」
村山慈聖はこの言葉を今でも胸に、対局に挑むのだった。
萩原と話し終えた後、今度は北村と話すことになった村山。
「ふふっ、愛情たっぷり与えたらメンヘラになったのに残念だね。」
「何のようだ?」
「ちょっと聞こえたんだけど、家族を失った経験があるんだって?」
「だからなんだ?家族皆殺しされたお前と比較か?哀れな主人公ムーブか?」
「違うよ、ただなんでメンヘラにならないのかなぁって思って。相当辛かったでしょう?」
「ふん、家族を失ってメンヘラになったお前は弱い。そりゃ、家族全員となりゃメンタルがやられるのはわかる。ただそこで立ち止まってちゃ意味がない。俺だって兄が亡くなってとても悲しんだし、メンタルは相当やられた。それでも俺は前に進んでいる。お前は現実逃避しているだけなんだ。」
「それ以上言うとお前の喉元引き千切るぞ?」
「家族を失ったことは大きなことだ。それも目の前で惨殺されたのだからメンタルブレイクするのはわかる。一時的にメンヘラになったとしても、そのあと立ち直る機会はあったはずだ。家族はメンヘラなお前を望んでないだろう。俺はこのスタンスだ。兄に心配かけさせない為に、俺は前に進んでいる。」
一連の会話から分かる通り、村山は兄を特別視している。兄の為に戦っているというのは目に見えてわかる。負けず嫌いなのは兄弟揃ってだそうだが、弟の方はより一層負けず嫌いなんだと。
「悲劇の主人公気取りでは何も進まない。お前は家族を全員殺された、俺は大好きな兄が亡くなった。河津は師匠が入水した。それぞれあるんだよ、ただ俺や河津は前に進んでいる。」
孤独の棋士、プロ棋士である以上敵であるので、応援するつもりはないが、村山はもしタイトル戦で北村と対局となれば河津の肩を持ちたいと思っていた。これは孤独の棋士河津にとって初めての味方と言える存在の登場なのかもしれない。まぁ敵であるから研究会とかをするつもりはないのと、別に友達になろうと言うわけではないが。
「河津がタイトル取ったら次の年は俺がストレートで奪う。それだけだ。」
谷本の研究は、会長職を務めながらであり、なかなか進まないように思える。しかし実際にトップ棋士として今でも君臨しているあたり、研究の質は高いのだろう。
さて河津谷本戦の前に龍棋戦が行われる。勝った方が次期龍棋となる。
小野寺、木村の5番勝負はどうなるのか。こちらも注目の的であった。
「このタイトル戦、研究に使えるか?」
さて今回は村山の兄の話です。村山にとって兄は大事な存在だということがわかります。
家族を失った悲しみを知る者、村山と北村。片方は前に進み、もう片方はメンヘラになる。勿論病に倒れたというのと惨殺されたというのでメンタルをやられる度合は違うのでしょうが、前に進むことを望んでいるのではいう考えは正しいのかもです。