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孤独の棋士  作者: ばんえつP
孤独の努力編-天才との格差-
1/78

孤独の棋士 誕生

あなたはぼっちですか?


ぼっちです。と言ったそこのあなた。

もしかしたら自分はぼっちじゃなかったと自覚するかもしれません。

「俺は孤独じゃない」

そんなこと言ってる奴ほど、周りから見れば孤独なのだが、当人はそんなこと微塵も思っていないのだろう。


河津稜かわづりょうは、物心つく前に親に捨てられた。幼い頃の記憶は施設の中。河津の家は施設であった。

何人かの子供が遊んでいる。施設でもグループ、派閥というのが勝手に出来上がり、その中で遊ぶようになる。河津はどこにも属していなかった。施設長はそんな河津を見て一人が好きなのだろうと思っていた。しかし河津は誰かと遊びたかった。ただ自分の気持ちを表に出すことが出来なかったのである。

施設には将棋盤があった。とても古く埃まみれの黒ずんだ将棋盤に河津は虜になっていた。一人で駒を並べ遊んでいた。その姿が周りからは奇怪に思われたのだろう。河津はますます孤立していった。それでも友達を作り将棋がしたいという気持ちは変わらなかった。ただ言葉に出せないだけである。

河津は施設長に将棋本はないか尋ねる。施設長は長いこと読まれてなかった将棋本を河津に渡す。「こんな本、面白くもないだろうに。」

施設長の言葉は河津には届いていなかった。

小学校に上がると河津も当然学校へ行くわけだが、こんな調子じゃ友達などできるはずもなく、クラスの端っこで将棋本を読む生活をしていた。学校の先生も特段河津に触れ合う機会を設けることもせず、個性と考え触れないでいた。勿論河津は友達を作りたいという気持ちを持っているので、この判断は間違っているのだが、そもそもその気持ちを知る術がない以上、先生がどうにかできる話でもないのだ。

小学校3年生の頃、施設長は河津を将棋の大会に連れていった。あまりにも将棋ばかりしているので、強い人と当たり、挫折させることで将棋から卒業させようとしていたのである。施設長がわざわざ河津を連れ出すほどに河津は施設という世間では問題児であった。側から見れば変人である。本来二人でやるゲームを一人でしているだけでも怖いのに、それを何年もしているのだ。施設側が心配するのも無理はない。なお河津は誰とも対人戦を行わないまま将棋の勉強をしていた為、定跡と言われる手順は知っているが、心理戦は滅法弱い。今回の大会でも一回戦で敗退した。

「河津、諦めはついたか?」

施設長が話す。圧倒的な敗北。力の差を見せつけられたのだから、河津も流石に諦めるだろうと思っていた。しかしこの経験が皮肉にも河津の諦めない心に火をつけることになる。

「いや、むしろやる気になった。」

施設長はこの言葉に絶句した。もう知らないといえばいいのか。施設長はこれ以降河津に接するのを諦めた。


数日後、施設にある男がやってくる。羽島誠はしままこと。プロの将棋棋士である。例の大会の審判は羽島が務めていた。

施設長は何故こんな場所にきたのか問う。羽島からは会いたい人がいると返された。そのまま廊下を通り河津の元に行くと一言述べた。

「お前、俺の家に来ないか?」


河津はその男がプロ棋士であることを知っていた。しかし何故自分の所へ来たのか疑問であった。河津は先の大会で一回戦敗退である。それも圧倒的な差をつけられての大敗である。

「俺、負けたんだぞ、なんで」

河津は自分がプロの先生の元に行くなどあり得ないという思いしかなかった。

その言葉を聞いた羽島は何も言わずに河津を抱きしめる。そこにはなんとも言えない空気が流れている。

羽島は最後まで河津をスカウトした理由を述べようとしなかった。

羽島の家は小さなアパートであった。プロの棋士でも研究に時間とお金を注ぐので豪華な家には住めないのだという。

家に着くなり羽島は河津に将棋を指せる道場のような場所へ行けと指示をした。河津は定跡を大抵覚えていた。今更将棋本の勉強は要らない。ならば実戦あるのみ。羽島の考えはこうであった。

河津は早速道場で将棋を指す。最初のうちは大敗を続けていたが、段々と拮抗するようになる。対人戦を続けていると心理戦、戦い方にも影響が出るのだろう。河津は半年ほどで相手に勝てるようになってきた。羽島はその様子を見てプロ育成機関へ河津を入れることにした。神童と言われるような天才はこのプロ育成機関に小学生のうちから入っていることが多い。天才でも小学生の頃はプロ育成機関にいたりするので、河津もまだ小学生。順調に行けば棋士として世に出るだろうと考えていた。

しかし河津はプロ育成機関の試験に落ちた。この試験というのは、既にその機関で勉強している会員と戦うことで行われるのだが、河津は緊張からか普段の力を出すことができなかった。

そのまま小学4年生、5年生となっていく。羽島も河津の本番に弱い性格を問題視するようになる。

この頃から羽島は河津に対してスパルタ教育を行うようになった。これが腹いせなのか本番に強くなるためのメンタル教育なのかは知らないが、河津は羽島のスパルタに耐えながら機関への合格を目指していた。道場ではそれなりに勝てているというのは河津にとって嬉しいことである。なぜなら自分の実力はあると思わせてくれるからだ。スパルタが激しくなる中、河津は小学6年生、そして中学生に上がる。中1の頃、ついに合格を果たすが、それは遅すぎる合格なのであった。プロ育成機関で上位に上がることでプロ養成機関へと上がることができる。そのプロ養成機関で一定の成績を残すことでプロとなるのだが、これらには年齢制限がある。現実問題として多くのプロ志望者が年齢制限によって夢を諦めているのである。

河津が育成機関に入って数ヶ月した頃、機関の方から羽島へ一つの懸念を伝えられた。ここまでまともに友達を作れなかった河津は育成機関でも一人浮いていたのである。羽島はその懸念を無視した。正直言えば呆れていたのだろう。あの大会の時、河津は定跡を完璧にマスターしていた。小学生でそこまで勉強していて将来有望、だからこそ声を掛けたのにも関わらず、実戦は大会の頃からてんでだめ。中学生になるまで合格すらできない有様。一応大人だから面倒を見ているというレベルでプロになろうがなれまいがどうでも良かったのである。

河津は高校生でようやくプロ養成機関へ移籍した。羽島はあの時約束した手前無下に出来ず、仕方なくという気持ちで師匠となった。なお中学生でプロになる人もいるので、高校生の移籍は遅い。育成機関に4年ほど在籍したが、ここまで友達はゼロ。このあたりで仲間を作り、将来の研究相手を見つけるのが大事なのだが、河津はそれが出来なかった。

プロ養成機関は段位で区切られ、四段となるとプロになる。三段はプロになる前最後の壁であり、河津は年4つの席を得なければプロにはなれなかった。ここまでプロ養成機関には4年在籍。気がつけば20歳であった。世間からは注目もされず、ただの有象無象。

同時期に中学2年生で小野寺渚(おのでらなぎさ)という棋士が誕生し、世間は騒いでいた。小野寺は子供の頃から神童と言われ、小学4年生でプロ養成機関に合格している。河津がプロ育成機関の合格に苦労していた歳で小野寺はその上位組織に合格していたのだ。小野寺の特徴は将棋の隙の無さと友達の多さ。プロになったと報道された頃は小野寺の同級生が多く出演し、小野寺の良いところを沢山述べていた。将棋界隈では、小野寺ブームと呼び、小野寺を各新聞、テレビは取り上げた。養成機関では小野寺に負けじと、小野寺に続けと押せ押せムードが漂う。河津にとってそれは悪影響であった。プロになれないのではという焦りからか凡ミスを繰り返し、その度に師匠である羽島からスパルタ教育を受ける。悪循環が続いていた。

河津は一度冷静さを取り戻すため、近くの公園を散歩した。歩いていく内に心が晴れるような気がしていた。公園には池があるのだが、それを1時間は眺めていた。

河津はなんとか三段まで辿り着く。ここからが一番プレッシャーに勝たないと行けない場所である。プロ一歩手前の三段は年齢制限を迎えそうな会員が多く在籍し、命を懸けた戦いを行う。河津はその熱気、熱狂、狂気に打ち勝ち、四段という切符を得なければならない。しかも年間4席しかない切符である。前期、後期と分かれており、それぞれ2人づつ上がる仕組みのリーグ戦であり、時には他人の負けを願うこともあるのだ。弱肉強食の世界で虎視眈々とその地位を狙う。そんなサバイバルな世界でも研究仲間というのがいたりする。小野寺はプロの棋士複数名と研究会を行なっており、プロの教えを受けていた。そんな会員はこの中に大勢いる。では師匠からスパルタ教育を受けている河津はどうだろうか?まともに教えなど貰えていないのである。

数年経ったある日、羽島は河津に対して行っていたスパルタ教育をやめた。聞こえは良いが、これはどうでも良くなったという意味である。今までは呆れられてもスパルタ教育という反応があったが、それすら無くなった。好きの反対は嫌いではなく無関心という言葉がある。羽島は河津という男に興味を示していないのだ。呆れるとかの感情すらもう持っていなかったのである。

皮肉なことに河津はスパルタが終わった年、今までの束縛から解放されたかのように活躍、なんとか年4つの席にありつけたのである。なんの面白みもない。神童でもない普通のプロ棋士がここに生まれた。


河津は早速師匠羽島に報告に向かう。羽島側は河津に無関心という矢印を向けているが、河津はそんなことわからないので今でも好感があると考えていた。スパルタ教育も、それをやめたのも何もかも自分のためだと。

師匠の家に着くが、誰もいない。仕方ないので師匠が帰ってくるまでの時間潰しで近所の公園を散歩する。リフレッシュに来ることもあった公園が今日は騒がしい。

「人が水の中から見つかったぞ!」

誰かが叫ぶ。ゾロゾロ野次馬がやってくる。

「これ、プロ棋士の羽島誠じゃねぇか!」

どこかから声が聞こえた。河津はすぐに声の方向へ向かう。

そこには師匠の変わり果てた姿があった。周りはたちまち警察に囲まれた。

河津はその場で倒れ込んだ。絶句だった。

羽島は入水したことが警察の調べでわかった。羽島の虚な目が河津と合う。それは「お前のせいだ」と言わんばかりの目であった。それを受け河津は自分のせいで師匠を苦しめたと考えるようになった。

唯一の仲間をここで失った。河津の立ち場で言えばこういうことである。

実際は羽島が最近の成績不振に悩み入水したのだが、これがわかるのは少し後の話である。

河津はこの日を境に心が消えた。いや壊れたと言った方が正しいのだろうか。目から光が消え、将棋以外のことには全く興味を示さなくなった。基本的になかったが対人関係にも興味を示さなくなる。人と会話をすることすら面倒だと考えるようになった。

「将棋があるから孤独じゃない。俺は、孤独じゃない。」

河津は小さく呟いた。


愛情を注がれなかった子供はどうなるのか。

友達のいない子供はどうなるのか。

世間にはぼっちだという人は多くいる。

そんな中、誰がどう見てもぼっちだったらどうなのか。


孤独の棋士、河津稜の誕生である。

この作品は純文学としている。純文学は、大衆文学に対して、読者に媚びず純粋な芸術をめざした文学作品を言う。

このサイト、なろう系という言葉が出来るほどに異世界転生に溢れている。それはつまり大衆文学が異世界転生であることを示している。

将棋の小説や漫画はそれなりにあるが、どれをとっても天才中学生棋士の話ばかりである。当然その方が売れるのだろう。だからこそ私は中学生棋士ではなく、ただの棋士を主人公にした。(孤独の棋士の原案は中学生棋士であったが、早い段階でその役割は小野寺に渡す事にした。)

私は異世界転生モノを書くのが苦手である。どうしても現実世界の街を出したくなるのだ。

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