4話
外の世界へ戻ると、廻冥の主の分体であった黒の獣達が動きを止めて静かに崩れていくところだった。側で精霊の兵団が嬉しそうに勝ち鬨を上げていた。
ゼルは木から木へと飛び移り、大賢者エイラの元へ降り立った。俺とアディはゼルの背から降りる。そんなに時間が経っていないはずなのに、久しぶりの地面のような気がした。
「やったね。みんなお疲れ」
エイラがニカニカと大きな笑顔で迎えてくれた。
「アア、核トナルモノハ、リデルガ討チ取ッタ」
ゼルが静かに言った。
「そか……」
エイラから大きな笑顔が蒸発したかのように消え、ゼルを見詰めるその眼はどこか憂いを帯びていた。
「違うんだよ。いや、違わなくて……」
「リデルちゃん、後でお仕置きね。スリスリの刑」
「え? どして?」
「お師匠、リデルとても頑張った。酷い」
「うっそー。うそでした。大賢者は大寛容なんだよ。って、このくだりやってる場合じゃないよね」
エイラは世界樹の杖を地面に突き立てる。そして、崩れ落ちていく巨大な廻冥の主の残骸へ視線を移した。
「あれを放置すると色々厄介なんだ。片付けないとね。久々にちょっと大っきいのいこっか」
途端に周囲の空気と魔力の流れが変わる。エイラを中心に渦を為している。この大賢者、遊歴の大災厄がちょっと大きいとはどれくらいの規模になるんだろう?
「ねぇ、そこの大きな君。遊ぼ? ちょっとだけ、ね?」
エイラが虚空を見ながら何者かに話しかけた。そして彼女が微笑むと、それに応えるように風が鳴き、大地が軋んだ。大自然のハミングだ。それに共鳴して木々が枝葉を揺らした。まるで森が楽器を奏でて伴奏しているかのようだ。
エイラが両手を広げ、舞踏のようにくるりと回る。
「一片の大災厄」
廻冥の主の足元から二つの巨大な光が現れた。花弁か大口か。そんな形状だ。それは、高層ビルの残骸みたいな大量の黒塊を乗せて空へ舞い上がる。クルクルと楽しげだった。大自然は高らかに協奏しているが、その光自体は軽やかな羽のように無音だ。
「ぱくりっ」
エイラが掌で噛み付く仕草をした。するとその瞬間、二つの巨大な光は廻冥の主だった塊を一口に呑み込んで消えた。後には微風一つなく、今までの激闘を過去のものとした静かな森があるだけだった。
「終わったのか……」
「お師匠、すご過ぎる……」
俺とアディが賛辞の眼でエイラを見た。
その時だった。大賢者エイラの胸から、白刃が突き出した。
何が起きたのか理解出来なかった。頭が真っ白になった。
「グフッ、やっぱこのタイミングかぁ……」
エイラが自分の胸の真ん中から飛び出した刃を握りながら、ゆっくり振り返った。そこには男が一人立っていた。
やっと理解出来た。この男がエイラの背後から剣で突き刺したんだ。でも、全く気配を感じなかった。俺はともかく、周囲の魔力を仔細に感知出来る大賢者も気付かず背後を許した。
「……どうなってやがる」
男が困惑の顔を浮かべる。そして、剣を引き抜くと後ろへ跳んで距離を取った。エイラが崩れ落ちる。それを精霊の兵団が取り囲んで守護した。
「エイラさん!」
俺もアディもゼルもエイラへ駆け寄って、精霊達との守護の輪に加わる。
「腐っても大賢者か」
男はエイラを突き刺した剣を睨みつける。一重の吊り上がった眼だ。逆立った赤の短髪。皮のベストだけ纏って、その下のゴツゴツの筋肉自体をアクセサリーのように見せ付けている様。これらからゴロツキにしか見えない。
「失礼だな……私は腐ってないっつうの。アディちゃん、ごめん。私を、空魔法で空間の狭間へ閉じ込めてくれる? このままだと肉体滅んじゃうから」
「分かった、お師匠。でも、アディの空魔法時間かかる」
アディは、疑問を挟むことなく素早く師匠の求めに応じた。風翠玉の光がエイラを包み始める。
「おい、ミム。説明しろ」
赤髪の男が自分の背後へ声を投げた。すると、木の陰から一人の少女が姿を現した。この男一人じゃなかったのか。いや、落ち着け、俺。魔力の流れを読め。予想外のことで動転して気付かなかったが、他にも周囲に二人ばかりいる。こいつらの目的はエイラさんの殺害で間違いなさそうだ。だけど、何者なんだ?
「ウロボロスの牙は、対象の命の柱を断ち切ることにより、物質的な終焉を及ぼすわ。それに抗うことは何者にも不可能。考えられるとすれば、命の柱を肉体から他へ移した……」
ミムと呼ばれた少女は、白のローブと黒の長い髪を揺らしながら歩いて来た。陶器で作られたかのように冷たく白い顔の造形だ。この顔、どこかで見たような気がする。どこだ? 思い出せそうで、思い出せない。
「へへへ……。魂の在処を移す魔法ってのがあってね……」
「お師匠、もう喋らない方がいい」
「うん……そだね」
そう言うと、エイラはゆっくり目を閉じた。
「なんだかよく分からねぇが、大賢者をこいつでぶっ殺すのは失敗したってことだな」
赤髪の男の握っていた剣は砕け散った。その破片もたちまち風へ溶けていった。あの剣、使用制限でもあるのか?
「んじゃ、こいつでぶっ殺しゃいいってことだな、へへ」
口元を笑いに歪ませながら、赤髪は右拳を左掌で包んだ。男の魔力が高まる。肚で魔力を練った。見た目通り魔技を使う戦士タイプだろう。
「リデル、ゼル。精霊の兵団はお師匠を守ることを優先して動く。二人は他の周囲へ気を配って」
俺とゼルはそれに短く「分かった」と返した。アディは適確だ。赤髪の男は精霊の兵団に任せて、俺はミムと言う得体の知れない少女と、隠れ潜んでいる奴らへ注視だ。
「部位魔装・爆式」
赤髪の両拳へチリチリと火花が奔る。拳の部位だけ魔装を施す。あんな使い方もあるんだ。
「よお、ガキども。俺の名は、ハマン・シフ。戦闘スタイルは見た目通り、小細工なく正面からぶっ飛ばす。それだけだ。よろしくな」
ウソだろ? なんだ、その真っ直ぐな自己紹介は。その明け透けなさに、逆に虚を突かれた。
赤髪の男ハマンが地を蹴り駆ける。すかさず精霊達は弓矢と魔法を仕掛けた。だが、赤髪は止まらない。あの肉体はアクセサリーなんかじゃない。矢も魔法も弾き飛ばして突き進んで来る。
「どらぁ!」
正面からぶっ飛ばす。その言葉通りだった。精霊の兵団の最前列で爆発が起きた。ハマンの拳だ。打撃による爆破。あれも魔技か。廻冥の主の分体をも圧倒していた精霊の兵団が蹴散らされていく。
「ゼル、後は頼む。あれは俺が止めないと」
「アア。アノ類ハ、リデルト手ガ合ウ。ソレニ、アノ男ヨリ隠レテイル奴ラノ方ガ厄介ダ。我ガ注視シ皆ヲ守ル必要ガアル」
ゼルは木々の暗がりへ目を向けた。きっとこのシルバーウルフは隠れ潜んでいる二人の位置を掴んでいる。
俺はゼルへ頷いて返すと、雷に乗って高く跳んだ。
「堕雷鎚」
雷と落下エネルギーを乗せてぶっ叩く。それだけの技だ。俺は弐禍喰をハマンの脳天目掛けて振り下ろした。
「ウヒョ!」
ハマンは腕を交差させて俺の堕雷鎚を防いだ。戯けるほど余裕のようだ。槍の打撃も電撃もほとんどダメージが入っていない。
「いいね、オニの子。お互いド派手にぶつかり合おうじゃねぇの!」
オニの子? 俺は間合いを取ってハマンを睨み付けた。
「何故知っている?」
「そりゃ、知ってるぜ。リデル。俺たちゃ、秘密な結社だぜ。情報網はすげぇんだ」
俺の名前まで知る情報網。秘密結社。俺の頭に自然と一つの名が浮かんだ。
「……エンペリオン」
「おいおい、知ってんのかよ。やっぱ遊歴の大災厄をぶっ殺しに来て正解だったな」
「同志ハマン。喋り過ぎよ」
「いいだろ、ミム。ケチケチコソコソすんなよ」
俺の中で全て繋がった気がした。このミムの姿形、そうだ。
「華奢な肢体に、長い黒髪、陶器のような肌」
ミムが不思議そうな顔を俺へ向ける。
「大賢者エイラが解析した、廻冥の主の呪いを発動させた者の姿だよ。あんたなんだね。そして、その目的は、呪いを治める隙に遊歴の大災厄大賢者エイラを殺害すること」
ハマンがニヤニヤしながらミムへ顔を向ける。その彼女は真っ直ぐ刺すように俺を見ていた。
「……なるほど、その年頃の子供にしてはとても良く頭が回るわ。だけど、そんなガキには、大きな困難が付き纏うものよ」
ミムが空中へ手をかざすとそこへ金属の杖が現れた。それと同時に周囲の空気がガラスを爪で引っ掻いたような音を鳴らした。魔法の発動か? 俺は身構えた。
「おっと、同志ミム。悪いな。こいつは俺とド派手勝負するんだ。お前らも、そこで見てろ。手出すんじゃねぇぞ」
ハマンが俺とミムの間に割って入り、周囲へ声を飛ばした。やはり仲間が隠れ潜んでいるのか。だけど、このハマンって男、隠しごとが出来ない性格なのか、バカなのか。
「遊びじゃないのよ、ハマン」
「遊びさ。俺の人生全てな。いくぜ、リデル!」
ハマンの拳が迫った。大振りでスピードはそれほどない。躱せる。だが、そう思った瞬間、目の前の空間が爆発した。堪える暇がなかった。爆風で吹き飛ばされる。
「俺の爆式は殴ったものとの間に爆発を生じさせる。それが人間だろうと、空間だろうとな」
なんだよ、その技は。それじゃ、拳の直撃は避けられても爆撃は入ってしまう。なら距離を取って闘うしかない。
「雷砲」
遠距離攻撃だ。ハマンは俺の放った雷を避けつつ距離を詰める。だけど、速度はこちらが上だ。俺は再び雷砲を放ち距離を取った。円を描くように、ハマンの周りを旋回するように走る。こうして動きつつ敵の死角に入ったところで大きいのを撃つ。
「はっ、つまんねぇな。やっぱ、そう来るかよ」
ハマンは地面を強く踏み締めた。
「爆歩」
ハマンの足元で爆発が起きた。そう思った瞬間、その赤髪が放った拳が鳩尾へ迫っていた。
「しまっ……」
炸裂した。直撃だった。ハマンの重い拳と爆破。その両方の凄まじい衝撃に俺は吹き飛んだ。どこまで飛ばされる? 数本の木々を薙ぎ倒しようやく止まった。
手足は動くから、バラバラにはなっていない。だけど、ダメージはでかい。まともに動けるまで時間がかかるだろう。
「おいおい。そんなもんかよ。もっとド派手にやり合おうぜ」
ハマンがゆっくり歩いて近付いて、目の前に立つ。俺は槍を支えにやっと立ち上がることが出来た。
「その感じじゃ終わりだな。他の奴らで楽しむか。んじゃ、止めだ」
ハマンが右拳を引き、構えを取る。この至近距離、動かない体。逃れられない。あの威力の一撃をまた喰らったら、死ぬ。クソ、こんなところで終わるのか。いや、ある。神威融合だ。その奥の手にかけるしかない。俺は心の中で闇神へ呼びかけた。
(まだだ。今はその時ではない)
闇神の返答はそれだった。どうして? 今じゃなけりゃいつなんだ? 終わるぞ。
俺はハマンの顔を見上げた。その時だった。
一陣の風と、一筋の閃光が奔った。
ハマンはブルリと一つ身震いしたかと思うと、その頭がボトリと地へ落ちた。遅れて身体が崩れ落ちる。
「ハマン・シフ。君のような凡庸が。許されざることだ」
その低く甘い声。忘れようがなかった。真紅の魔馬の上から響き渡った。森の木々の隙間を抜けた光がその男の元へ降って来た。
「……光を成す者。ルドウィク・ダナ・アーガトラム」




