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3話


「ほお、あれヲ抜けて来たカ」


 老人のようにしゃがれた声だった。発音がゼルに似ている。きっと人じゃない。目の前に巨大な影があった。それが発した声だ。


 アディの粒々発光体ビーズライトが遅れてやって来て周囲を照らすと共に、立ちはだかったものの正体が顕になった。


「あれって、シルバーウルフ……ってことは」


 俺の勘が働いた。ゼルによく似たシルバーウルフだ。しかし、ゼルよりも何倍も大きい。大型トラック並だ。


「ウム。アレハ、嘗テ我ノ父ダッタモノダ」


 廻冥の主は森で最も強い個体に取り憑いて核とする。ってことはゼルの父さんがこの森で最強。


「ゼル、またこうして会えるとハ思っていなかったゾ」


「父ヨ。イヤ、森ヲ喰ラウ災厄ヨ。貴方ノ命ヲ終ワラセテ、ココカラ解キ放ツ。ソレガ我ノ役目。リデル、アディ、背カラ降リロ」


「うん」


 俺はアディを抱えると、ゼルの背から跳んだ。銀狼親子の邪魔にならない距離をとってからアディを下ろす。


 シルバーウルフの親子の間に沈黙が流れていた。言葉なんていらないんだろう。ぶつかり合う視線が何よりも雄弁に思えた。


「親と子の闘い、男と男の闘いか。二人の間に何があったんだろう?」


 もしかしたら、この廻冥の主をめぐる物語の中の主人公はゼルなのかもしれない。


「二人は戦士。古来よりそれを伺い知ろうとすることも、その闘いを他人が手助けするのも、無粋とされてる」


「そうだね。前にエイラさんが言ってた、ゼルが乗り越える試練ってこれなんだ。それがこの森の呪いの解放にも繋がるらしいけど」


「お師匠から、古くて強い呪いはある形を模して作っているって教えてもらった」


「ある形って?」


「具体的なそれの形は教えてもらえなかった。まだアディには早いって。でも、単純で強力な形。フラクタルと呼ばれる形」


 それって……俺は心の中で闇神へ声を投げた。「うむ」と短く返って来ただけだった。


 ゼルの中の魔力が高まるの感じる。次の瞬間には二頭のシルバーウルフが激しくぶつかり合っていた。それは残像を置き去りにするほどの速度だった。


 二つの銀影が、縦横斜めと軸の定まらない竜巻の衝突を起こす。それの音は重い刃だ。剣を交えているようだ。とても生命体が鳴らしているとは思えない。


「アディにはこの動き、見えない」


「多分、五つ星の戦士並みの動体視力でも、動きを追えるくらいだと思うよ。見えないなら、魔力の流れを読むしかない」


「この魔力の流れ……リデル、弐禍喰を取りに行った方がいい。これからゼルが押される」


「押される? そっか……うん」


 俺の目には親子は互角の闘いをしているように見えていた。でも、魔法使いのアディの方が魔力の流れを仔細に読むことが出来る。魔力の強さではゼルは負けているのだろう。


 周囲を見回す。すぐに弐禍喰の雷の唸りが見えた。黒い空間の上方に突き刺さっている。十五メートルくらいの高さだ。即席レールガンで高密度の魔力体を打ち破っても、あそこまで勢いが殺されなかったんだ。もしかしたら、もっと弱い魔力でも弾丸も小さくしても効果を及ぼせたのかもしれない。


「……っと、今はこんなこと考えてる場合じゃないか」


 俺は弐禍喰に向けて走り出した。すぐ横では銀狼親子のぶつかり合いが続いていた。アディの言った通りだった。少しづつゼルが押され始めている。


 雷に乗って高く跳ぶ。俺は、黒の空間に突き刺さった弐禍喰を掴んでぶら下がった。


 その時、すぐ真下の空間へゼルの巨体が吹き飛んで激突した。轟音と衝撃が弐禍喰を通して俺の体へ伝わって来る。


「ゼル!」


「大丈夫ダ。ソコデ見テイロ」


 ゼルがヨタヨタと立ち上がる。その脇腹にパックリと開いた大きな傷があった。


「そんなの、大丈夫なわけないじゃないか」


「問題ナイ。血ハ魔力デ止マル」


 そう言うと、ゼルは再び自分の父だったものへ突進した。しかし、明らかにさっきまでの速度はない。相手の攻撃を躱すのに精一杯な様子だ。


「このままだと、ゼルは……」


 だけど、どうしたらいい? 手助けすることは出来る。でも、それはゼルの役目、試練の邪魔をすることにならないか?


(邪魔なら、大いにしてやればいい)


 闇神の声が俺の耳元へ入り込んで来た。


「何言ってんの? そんなことしたらゼルの……」


(誇りだの、無粋だのと言いたいか? そんなものは知らん。廻冥の主を止めて村を守るのだろう? その目的を為せるのなら、あの犬コロの物語を壊してやれ)


「そんな……」


(一つ、異世界のお前がこの世界へ転生させられた理由を教えてやる)


 今ここで? と思うと同時に、俺は咄嗟にアディへ目を向けた。


(安心しろ。この距離ならあの娘へは聞こえん。その理由。それは、異世界人でなければこの世界の物語へ介入し壊せない為だ。この世界の魂はあの愚かものに捕らわれてしまっているからな)


「物語の登場人物が物語を壊せないってこと? でも、それなら俺でなくても良かったんじゃない?」


(そう。お前でなくても良かったのかもしれん。だが、お前は前世に愛されていなかった。つまり、繋がれていなかった。そのような魂でなければ、この世界へ引き寄せることは出来ん)


「やっぱり、俺愛されていなかったんだな……」


 複雑だ。世界に嫌われている。前世の俺は厨二が陥りがちな悲劇のヒーロー症候群だと思ってたのに、ただの事実だった。


(愛など、この世界から嫌と言うほど与えられているだろ。それより、ゼルの物語へ介入し壊してやれ。それがお前に与えられた宿命だ)


「あの、それってフラクタルってやつにも関わってるの?」


(その通りだが、それについては話してやらん。舞台、役者、その他諸々が整わんからな。その中で語られるものこそ粋というやつだろう?)


「うん。もう何が粋なのか分かんない。でも、呪いはどうなるの?」


(おそらく、ゼルが父を殺せなければ、また数百年後廻冥の主は現れる。この森に住む強き親子を核としてな。だが、こんなちっぽけな森の物語などどうでも良い。リデルと俺が、この世界の形と物語そのものを書き換えるのだからな。そうすれば、この森にかけられた呪いも自然と消滅する)


「今更だけど、俺に与えられた宿命ってとんでもなく大きいよね……」


(お前は本当に面白い。この話を聞いて何故怖気付かん?)


「いや、大きな話過ぎて理解出来ないだけだよ。全部話してくれてないし」


(ふっ、大方の予測はついているだろ? おそらく、死の苦しみの記憶を刻まれた魂は強いのだろう)


「そんなの、今の今まで忘れてたよ」


(そうか。お喋りは終わりだ。速く介入してやれ。あの犬死ぬぞ)


 ゼルはボロボロった。もう父の攻撃を躱わすことすら出来ない。前脚の振り払い、噛み付きからの投げ。それらをまともに喰らってしまっている。ゼルの誇りだの何だの言ってられない。


「ごめん、ゼル」


 俺は弐禍喰を引き抜くと、雷撃を発しつつ跳んだ。そして、銀狼親子の間へ割って入る。邪魔するな。刺すような視線で言葉でなくても二人の戦士の心情が伝わって来た。


「アディ、ゼルの治癒をお願い」


 俺の要請に反応して、すぐにアディがゼルの元へ駆け寄って来る。


「リデル、マダ終ワッテナイゾ」


 ゼルがヨタヨタと起き上がった。それだけの動作なのに全力を尽くさなければならない。そんな様子だった。


「もう終わっているよ。ゼルが一番分かっているだろ?」


 吐いた言葉で口先が凍りつきそうだった。だけど、彼の命を守る為その強固な誇りに一度死んでもらわなければならない。ゼルががくりと前脚を折った。


「退け、小僧。我が子へ止めヲくれてやらねばならヌ」


 ゼルの父が迫った。殺意に漲っている。一歩詰められるだけで全身が震え汗が吹き出しそうだった。この魔力量。眼前にして更に思い知る。間違えない。廻冥の森の最強の魔物だ。


 俺は一つ大きく息を吸った。魔力を練って声に混ざるようなイメージをした。誇り高く強きものには、礼を示しつつこちらも強きものだと示さなければならない。


「聞け。我はライカ・カザクの子、リデル・カザク。オニ族の戦士なり。闘いに割り入るは、貴殿ら銀狼の誇りを損なうこと百も承知。されど、友の命消されるを黙して見過ごすは、我が信条、オニの矜持に反するなり。故にここへ、不躾ながら決闘を所望する」


 俺は弐禍喰の刃をゼルの父へ向けた。決闘を申し渡すときの戦士の口上ってこんなんだっけな? 不安が一筋頭の中へ過った。


「……我の牙の前へ立ち塞がるなど、度し難き無礼。ダガ、その眼に曇りなし。その声に迷いなし。我が名ハ、ガルド。シルバーウルフの誇りを背負うものにして、傲る人どもへ罰を与えるものなり。オニ族ノ戦士、リデル。その雷刃、我が白牙にて応えよウ」


 ゼルの父、ガルドは俺に向けて構えをとった。伝わってくれてしまったか。喜び、戸惑い、恐怖が入り混じって身体中の筋肉が強張った。


 身体の力と速度はガルドが上だろう。そこで真正面から勝負しても負けるだけだ。対抗し得るのは魔力量、そして、旋回力。つまり小回りだ。あの巨体で小さく動くことが苦手なのは必然。動きの端に僅かな隙が生じるはず。強大な攻撃を見切り、そこを叩くのが上策だ。


 だけど、俺も旋回力に自信がない。その理由が魔力出力コントロールの未熟さだ。魔力量の大きさから、どうしても強く単調に動くを繰り返してしまう。なら、この魔力一旦捨ててみるか?


 俺は大きく息を吐き、魔力が萎んで消えていくイメージをした。それと共に筋肉を弛緩させ、肚に意識をおき、骨の構造体だけで身体を支える。


 以前、母ライカが修行の中で言っていたことを思い出す。


「力強いのは悪いことじゃない。でも時として、戦いの中で力を捨てることも必要だよ」


 言われた時はピンとこなかったが、今なら分かる。


 ガルドは訝しんでいるようだ。俺から力が萎んで消えていくのを感じ取っているからだろう。


 勝負は一撃だ。弛緩から緊張。落差があればあるほど、速度と力が増す。その一瞬に雷の最大出力を込め貫く。


 集中が高まる。もはや俺が取っているのは構えであって構えじゃない。双穂槍を持つ両腕はダラリと下がり、腕の重みで前傾になる。これが正解なのか分からない。だけど、今身体は、個体でも液体でも気体でもない、形のない一つの塊になっているかのようだ。


 ガルドが低く唸り声を上げながら魔力を練り始めた。魔技による身体強化。膨大な魔力量だ。ズートリヒへ現れた上級魔族に匹敵する。きっと、この最強のシルバーウルフも一撃で勝負を決めに来るつもりだろう。


 俺とガルド、双方一撃に賭けるのでも、戦法は真逆だ。緊張対弛緩。力み対脱力。俺如きの脱力が、広大な森の主の魔技に勝てるのだろうか? そんな迷いが一瞬俺の中へ奔った。それをガルドは見逃さなかった。


 突進からの噛み付き。巨大な口と居並ぶ鋭い牙が、既に俺の眼前にあった。食い殺される。死を思った。生が消えた。その瞬間、全てが止まって見えた。ガルドの大口が開き切り閉じ始める点。ここだ。ゼロから一気に最大出力。爆発させろ。飛び込め!


ぜろ紫吼しっく


 突き抜けていた。雷に乗った俺は、ガルドの大口の奥へ弐禍喰の刺突を叩き入れ、その首裏へと突き抜けていた。


 宙高く舞い上がっている俺の耳へ、遅れて雷鳴が飛び込んで来る。勝ち名乗りを上げているかのようだった。


 だが、油断しちゃダメだ。俺は地へ着地するとすぐさま振り返り構えを取った。


「……見事」


 ガルドは俺への賞賛を言葉にして、その巨体は崩れ落ちた。


「やったか……」


 喜びは湧かなかった。ゼルへ目を向ける。誇り高き銀狼は倒れた自分の父をただ見詰めるだけだった。彼は何を想うんだろう? あまり想像したくない。俺の中に後ろめたさがあるから。


「ゼル……」


「何ダ、ソノ顔ハ? リデルガ強ク、父モ、我モ弱カッタ。タダソレダケダ。速ク背ニ乗レ。核トナルモノハ死ンダ。モウスグコノ空間ハ崩レルゾ」


「でも、ゼルの体は?」


 俺の問いかけに、アディが代わりに頷いた。もう治癒魔法は終わっているらしい。


 ゼルの言う通り、黒の空間が耳障りな軋んだ音を立てた。崩壊し始めたんだ。俺とアディは急ぎゼルの背によじ登った。


「……リデル、とてもとてもすごかった」


 アディがコソコソと俺の耳元で囁いてくれた。ゼルには聞こえないようにの配慮だろう。こそばゆかった。でも、ゼルにも聞こえていたよな。その銀色の耳がピクリと動いたのを、俺は見逃さなかった。


「我ハ、貴様ヲ超エルゾ、リデル」


「……うん。俺も負けない」


 黒の空間が轟音を立て破れた。ゼルは一つ大きな遠吠えを上げると、黒に生まれた裂け目へ向けて走り出した。


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