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2話

「うん……やっぱりか……」

 そう呟きつつ、エイラは森の入り口で脚を止めた。彼女の後ろへ従っていた俺とアディもそれに倣う。俺達は森の異変を調査しにやって来たのだった。

「エイラさん。廻冥の森で何が起こっているの?」

 この大賢者の反応を見ると、彼女はもう異変の理由を覚ったようだ。

「んじゃ、リデルちゃんとアディちゃんの問題にしよっか。ざわめいた森が急に鎮まり返るなんてとてもおかしいです。それは何故でしょう?」

 エイラはこうやって唐突に問題を出して来る。俺とアディの思考を高める為らしい。

「冒険者か誰かが、魔物を狩りまくったとか。でも、そんなことしたら、活発化した魔物が興奮してより暴れるかな」

「うん。そだね。レオちゃんが森へ入るの禁止にしたのも、それが理由だったね」

「魔物も獣も、意外と臆病。自分より格上の個体が近付くと、息を潜めて気配を殺す」

「強い魔物の個体か……もしかして」

 俺は、母ライカが闘って圧倒した挙句、俺の修行の為にわざと逃したシルバーウルフを思い出した。あれからもう三年近く経っているんだ。あいつも相当に強くなっていてもおかしくない。

 俺はそのことをエイラに話した。

「うん。強い個体が原因ってのは正解。でも、そいつとは別の奴だね。確かに強い個体だろうけど、森全体に影響を及ぼすほどではないよ。だから、問題の解答としては不正解」

「え、別のって……あのシルバーウルフに会ったことあるの?」

「だって、そのシルバーウルフって、多分そこにいる奴でしょ。ほら、出ておいで」

 エイラは背負っていた木杖を手に取ると、その石突で地面をトントンと叩いた。途端に周囲の魔力が濃くなり滞っていく。魔物は魔力の澱みに引き寄せられる性質を持つ。それを利用した魔物を引き寄せる魔法だ。

 木々の影から銀色の毛並みが姿を現した。ゆっくり近付いてくる。体中傷だらけだし、体躯も一回り大きくなってるけど、間違いなくあいつだった。

「リデルちゃんもアディちゃんも、も少し周囲の魔力の流れに気を配ってみよっか。この子が隠れてたの気付かなかったでしょ?」

 俺もアディも頷いた。もしエイラがいなかったら、って考えるとゾッとする。

「でも、この魔物、闘う意志なさそう」

 アディの言う通りだ。唸り声一つ上げないし、とっくにシルバーウルフの間合いに入っていのに身を低くして戦闘体勢も取らない。ただ静かに俺達を観察しているようだ。

「その理由は、この銀色のワンコちゃんに話してもらおうか」

「そんな、話すって……」

 魔物が話すわけないじゃん。そう俺が思った矢先だった。

「我ヲワンコナドト呼ブナ」

 幻聴か。だけど、確かにシルバーウルフの口からその言葉が発せられていた。

「ごめんごめん。私はエイラ。誇り高きシルバーウルフさん。それだけ人語を話せるんだから、あなたにも名前があるでしょ? 何て呼べばいい?」

 エイラが木杖を背に戻し両腕を広げる。敵意のなさをアピールしているんだろう。

「名カ……ゼル。我ノ嘗テノ父ガ、我ヲソウ呼ンダ」

 銀色の大狼が遠い眼をする。魔物なのに、眼だけ人間みたいだ。

「そっか。ゼルちゃんね。この子はリデルちゃんに、この子はアディちゃんだよ。みんないい子だよ。よろしくね」

「……あの、エイラさん。魔物って喋るの?」

「うん。喋るよ。長く生きたり、魔力が飛び抜けて高かったり。そんな個体は知能も高いんだよ。この子はまだ若いから後者かな。世界には、人間の味方して国の要職に就いてる魔物なんかもいるんだよ」

「へー」

 魔物って獰猛な奴ばかりじゃないんだな。

「リデルト言ウ子供。貴様カラ、アノ女二似タ匂イガスル」

 ゼルは俺に鼻を向けてスンスン鳴らした。

「えっと、あの女って、俺の母さんだよね。そっか、君の目的は母さんとまた闘うことなんだね。でも……」

 俺は、母ライカが戦争へ徴兵されたことをゼルへ話した。不思議な感覚だった。魔物と対峙しているはずなのに、穏やかな青年に話しているようだった。

「ソウカ。ナラ貴様ラ二用ハナイ。去レ」

「そんなこと言わないでよ、ゼルちゃん。も少し話そう」

 エイラが笑顔を向ける。それにしても誇り高きシルバーウルフに、ゼルちゃん、か。距離の詰め方は人に対しても魔物に対しても変わらないんだな。

「去レ。森へモ近付クナ。ソシテ、村ヲ捨テ逃ゲロ」

「ゼルちゃんは逃げないの?」

「我ハ、奴ヲ止メル」

 ゼルが森の奥へ眼を向ける。途端にその雰囲気が変わった。殺気、恐怖、敵意。そんなものをこの喋る狼から感じる。

「もしかして、廻冥の主……?」

 なんだろ、この俺だけおいてけぼりにされた感じ。アディも今気付いたみたいだし、みんなこの森で起こっていることが分かっているようだ。

「あの……そろそろ答え合わせを、お願いします……」

「リデルちゃんの知識って、虫食いチーズみたいだね」

 エイラの口調は俺を責めているんじゃない。ただ思ったことを素直に口にしているだけだ。でも、そんな言葉の方が喰らうものがある。

「ちゃんと勉強します……」

「いいのいいの。ちゃんと学ぶ姿勢だけあればいいの。んと、今アディちゃんが言った廻冥の主ね。それが森の異変の原因って見てほぼ間違いないよ」

「人ドモハ、アノ災厄二モ名ヲ付ケルノカ。廻冥ノ主。我モソウ呼ブトシヨウ」

「……災厄ね。まあ、あれは災厄だよね……」

 エイラが溜息混じりで言った。この人が、こんな風に本気で愚痴っぽく吐露するのは珍しい姿だ。

「廻冥の主。二百年前の文献に出て来る。エレスティアがまだ王国だった頃。その魔物がきっかけで国が滅びかけた」

「ちょ、ちょっと待って。国が滅びかけるなんて、とんでもない魔物じゃん。そんなのがこの森にいるのか……」

「いるって言うか、作られるって言うのが正しいね。世が乱れた時に現れやすいよ。古代に狂った大賢者がいてね。この森に廻る膨大な魔力を利用して、この国に呪いをかけたんだ。『国が低きへ傾きし時、くらきを彷徨いめぐる災禍を呼び、人どもへ痛打を与えん』ってね。戒めの為にそんなことしたらしいけど、痛打じゃ終わらないんだよね、あれ。人々もそんな戒め忘れちゃうしさ。迷惑なだけだから、私がここ二百年たまにこの森へやって来てかけられた呪いの解除作業してるけど、捻じくれた魔法式組んであってさ。解くのにもう百年はかかるね」

「ちなみに、それが廻冥の森の語源。でも、そんなこと知ってる人少ない」

「人々の記憶なんて泥沼の底みたく不安定で不透明だし、文献に残しても国が変わったら簡単に改竄しちゃうしね」

「今回の廻冥の主の出現は、やっぱり魔族との大きな争いが原因なの?」

「そう断定は出来ないかな。国が低きへ傾きし時って定義が曖昧だからね。それを大きな呪いに繋げられるってのも古代の大賢者のすごさなんだけどさ。でも、曖昧だから迷惑なんだよね。条件が何通りもあるから、なんだったら人為的にって線もあるっちゃあるかな……」

「人為的……」

「あ、いや、解析してないから飽くまで可能性の一つって考えておいて。とにかく、廻冥の主が現れた以上、森の外へ出る前に処理するしかないね」

「処理か‥…二百年前は、その魔物どうやって倒されたの?」

「トドメは私の魔法だったかな」

「すごい。じゃあ、エイラさんがいれば大丈夫じゃん」

「うーん。私もあの頃よりかなり強くなってるけど、私だけじゃ無理かな。足止めしてくれる強い戦士がいないと。二百年前はエレスティア軍が味方してくれたんだけど、今は難しいだろうね」

「今は魔族との戦いの最中。国も軍を割けない」

「そう。しかも、強い冒険者達もライカちゃんみたいに徴兵されちゃってるだろうし」

「それじゃ、どうすれば……」

 エイラは俺の肩をポンと叩いた。

「リデルちゃんがいるじゃない」

「俺? いやいやいや」

 俺は顔の前で掌を振って強く否定して見せた。

「でも、リデルちゃんしかいないよ。村の人達に任せても、いっぱい死んじゃうだろうし。他の強い戦士を呼びに行くにしても、探してる間に廻冥の主が来ちゃうだろうし。大丈夫。リデルちゃんは、自分で思っているよりもずっと強いよ。それに……」

 エイラは俺の耳元へ顔を近付けた。アディがムッとする顔が横目に入った。

「君は一人じゃないでしょ。魂の中にいる彼にも手伝ってもらお」

 エイラがそう囁くと、俺の奥底で蠢く気配がした。闇神だ。エイラがやって来て以来、あいつは何故か嘘みたいに大人しくしていた。

(癪だ)

「だろうね。でも、今リデルちゃんが死んじゃったら、あなたもどうなるか分からないよ」

 大賢者のその囁きは、俺の魂の底へ向けられたものだった。そして、俺へはニッと歯を見せた笑顔を向ける。

(俺は俺の意志で武蔵を手助けする。貴様に言われるまでもない)

「んじゃ、よろしくお願いしまーす」

 エイラが慇懃無礼に俺の中の闇神へ頭を下げる。傍目には俺に向けてのようにしか見えないだろう。アディが横で小首を傾げていた。大賢者の奇行だと思ってくれるといいな。

「どう? リデルちゃん、覚悟決まった?」

「覚悟って、いきなり過ぎだよ。でも……俺がやらないと、なんだよね」

 文字通り降って湧いた危機だ。もし、俺が逃げたらどうなるだろう? シュバルツ村は愚か、このエレスティア共和国の存亡に関わるだろう。西の国境では魔族の侵攻を軍が喰い止めてる。そこへ東から廻冥の主がやって来るかもしれない。背後を突かれる形だ。最悪、エレスティア軍は崩壊し、国境を魔族が突破するなんてこともあり得る。そうなったら母さんの命にだって関わるし、この国は魔族と廻冥の主二つの大きな悪意で蹂躙される。

「母さんと、母さんが帰る場所、護らないと」

「きゃはっ、リデルちゃんカッコいい!」

 エイラが俺に抱き付いて頬ずりをした。バニラに似た甘い香りがした。

「お師匠。リデルにそれしていいの、ライカ姐さんだけ」

 アディがムスッとして、エイラのローブの裾を引っ張っていた。

「ごめんごめん。つい、どさくさに紛れちゃった」

 エイラがてへっと舌を出す。

「我ハモウ行クゾ。奴ハ確実二近付イテイル」

 ゼルは鼻をヒクヒク動かすと、森の奥へ走り去って行った。エイラがその背に「待ってよ」なんて言ってたけど、銀狼がそれを耳に入れることはなかった。

「エイラさん。今更だけど、ゼルは味方ってことでいいんだよね?」

「共通の敵を持つ者同士ぐらいに考えとくといいよ。まあ、裏切りはしないだろうけどね。廻冥の主の特性と、ゼルちゃんみたいな個体の本能からすると、彼にとってあれはどうしても倒したい相手だろうし」

「確か、シルバーウルフの一匹狼は自分が強くなる為に、より強い魔物を狩るんだっけ」

「そう。そして、廻冥の主の正体は実体のない霧みたいなもの。この森で一番強い魔物に憑依して体を乗っ取るの」

「じゃあ、ゼルにとって必ず倒したい相手ってことか。この森で最強なんだから」

「私の予想だと、あの子にとって乗り越える試練であり、それがこの森の呪いの解放に繋がると思うだけどね」

「へぇ……」

 とは言ってみたものの、俺にはその意味が分からない。

「まあ、それはゼルちゃんの問題だから、私達がとやかく言うのは野暮ってもんよぉ」

「リデル」

 突然アディが俺の顔をジッと見た。思わず、体がビクッとなる。こうしてアディと向き合うのも久しぶりな気がした。避けてたわけじゃないし、今までと同じように接してたつもりだったけど、彼女の中の精神障壁のことを知って以来俺の中に後ろめたさに似たよく分からない感情があった。

「リデルが闘うなら、アディも助ける。仲間なら当然」

 アディは小さな拳を握って俺へ向けた。

「ほら、リデルちゃん。グータッチだよ。仲間同士力を高め合うおまじない」

 それ、この世界にもあるんだ。俺はそう思いつつ、エイラに促されるまま拳をアディと合わせた。小さくて軽い拳だったけど、彼女から硬い想いが伝わった気がした。そんな想いには言葉で応えよう。

「アディ、心強いよ」

 そうだ。俺とアディは仲間なんだ。

「いいねいいね。そんじゃ私も」

 エイラも拳を握って触れて来る。三人の合わせた拳の上へ陽が差し、地面へ映った影の隙間に三角形の光の溜まりが出来てた。

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