2話
モナトンターク領、モナトンターク半島。エレスティア共和国の南の海へ、犬歯みたいな形で突き出た半島だ。ズートリヒはその東部の付け根辺りに位置する港町だ。主に隣国の半島国家カリブリア商業連邦との貿易の要とされている。カリブリアって国は「世界の富が集まる地」とも言われる金持ち商人の国家らしい。そんな国とやり取りしてるんだから、当然羽振りは良く、そんな街への商人達も集まって来る。で、ズートリヒはいつの頃からかエレスティアの商業の中心と言われるようになった。その街を治めるモナトンターク領主様はその豊富な資金力でエレスティアでも発言力が高い。
そんなことをアディから授業してもらった。本当、この子なんでも知ってるね。
目的地へ至る街道はどこも綺麗に整備されていた。なんでも、ズートリヒから首都へ至る道は、ここミドガルズ大陸でも最も美しい街道とされているらしい。これだけでも領主様の力の強さが分かる。きっと、歩き易く安全で旅の初級には丁度いいって理由で、母さんはこの目的地を選んだんだろう。
「ズートリヒはね、美味い海鮮が食べられる街としても有名なのさ。レオナルドに餞別もらったんだ。着いたらすぐに、たらふく食べるよ!」
いや、目的地として選んだ一番の理由はこれかな。母ライカはけっこう食いしん坊だし。
「海のごちゃ混ぜパイっていうのが名物。アディ、それ食べてみたい」
あまり美味しそうに感じないネーミングの名物だな。いや、ネーミングセンスに反してってことが前世の日本でもあったから、きっと美味いに違いない。
「そっか、楽しみだな」
俺もそう思うことにした。旅の初めは前向きに、だよな。
目的地までは三日の行程だった。一日の終わりは野宿でもするのかと思っていたけど、丁度いい場所に宿場町があり、そこの宿に泊まって休むことが出来た。お陰で朝から元気満タンで歩けるし、魔物にも遭遇しなかったしで、予定より早く二日目の夕方にズートリヒへ到着した。順調過ぎて、冒険には少し物足りなかったな。
ビルの何階建てに相当するんだろうってぐらいの高い城壁に堅牢な門が、まず俺達を迎えてくれた。もうすぐ日が沈むっていう時間帯なのに、街の外でも人や荷馬車の往来が多い。シュバルツ村では魔物が活発になるからって、ほとんど誰も出歩かなくなる時間帯なのに。それだけ安全なんだろう。
石畳の道、石造りの建造物。どこも調和が取れていて美しい街並みだった。起伏に富んだ地形で、それがまた街に様々な美観を持たせているように見えた。
宿を探す。ここエレスティア共和国では、国の援助で冒険者用の宿が整備されていて、冒険者証を見せれば割安でそこそこ良い部屋で寝ることが出来る。村にはそんな宿が一つしかなかったが、ズートリヒにはいくつもあった。決めたのは、そんな宿の中でも中心街から少し外れた場所にあるものだった。
店構えは小ざっぱりとしていてあまり目立たない印象だった。他に客は少なく、店主は強面で無口な人だった。母が言うには口が硬い人で、泊まっている客を明かすことがないのだそうだ。
「七つ星にもなっちまうと、ちょっとした有名人だからね。大きな街じゃ、寝床は静かな場所を選んだ方がいいのさ」
寝込みでも襲われたりするのかな? 物騒な妄想が頭を過った。そう言えば、街を歩いている時に何人か視線を向けて来た人がいた。母さんは美人だけど(村でも指折りだよ、本当に)そんな感じの視線じゃなかった。あれは、ライカ・カザクだって知っている人達だったのかもしれない。
「アディ、ごちゃ混ぜパイ早く食べたい」
「そうだね。アタシも腹減った。馴染みの店があるんだ。適当に部屋へ荷物置いたら、すぐ食べに行くよ!」
って感じで、名物料理店へ直行した。その名も「モリモリいっぱい海の幸亭」だ。この店の店主のネーミングセンスは、この世界じゃ普通なのか?
「へい! 海のごちゃ混ぜパイ・スペシャル、お待ち!」
ドンとテーブルへ置かれたパイは、俺の顔五つ分の大きさはあった。飾りなのかトッピングなのか、上からエビの頭やカニの爪や魚の尾が飛び出していた。確かに、ごちゃ混ぜってる。
「ははっ、美味そうだね。待ってな、今切り分けてやるよ」
そうやって切り分けられるパイを、じっとアディーが見つめていた。珍しく目が爛々としている。
店内は盛況だった。老若男女問わずの客層だ。前世日本で言うところの、ファミレスをもっと賑やかにした雰囲気だった。店員も男女数名いて、みんな豪快でガタイの良い人達だった。
「変わった店だろ。ここの店主は元海賊兼、元冒険者だった経歴の男さ。豪気な奴でね。その性格に惹かれて皆集まるのさ。あと、この料理もね」
母は、お先にとばかりにパイにかぶり付いた。それを見て、アディも小さな口で精一杯パイをかじる。
「んん~」
母の体中で表すような豪快な感情と、アディの小さな揺らぎ程度の感情表現は対照的だった。でも、発した言葉は奇しくも同じで、いとをかしハーモニーになってた。
「イカも魚もエビもカニもごちゃごちゃ入ってるのに、全部美味いんだよ。磯の香りがほんのりするんだけど、それがまた良いアクセントになっていてさ……」
「ごちゃごちゃの海鮮の旨味を繋げ、更に引き立たせているのは多分このソース。スパイスの配合も絶妙」
ちょっと、アディ。君、何歳? グルメ評論家みたいなこと言ってる。
「お、さすがアディだね。このソースとスパイスの配合は、この店の秘伝なのさ。昔、ここの店主の胸ぐら掴んでレシピを教えてもらおうとしたけど、ダメだったね」
「さらっと怖いこと言うね、母さん」
「まあ、あの時は酔ってたし、若かったからね」
ソースの旨味の向こうへ遠きし日を見る母を横目に、俺も海のごちゃ混ぜパイにかぶり付いた。
「え、うまっ!」
これまでの今世、前世の日本でも味わったことがない。複雑に何層にも組み合わさってるけど、お子様舌の俺じゃそれを読み解けない。にも関わらず、その舌を、味覚をあらゆる角度から刺激してくる。脳も胃も揺さぶられてるようだ。
(その味、魂にも響いているぞ)
闇神が、俺の頭の中へ話しかけて来た。ごちゃ混ぜパイへの惑溺から現実に引き戻されたような気がした。
(魂にもこの味が届くの?)
(言ってなかったな。体が打ち震えるほどに、お前が強く感じたことは、全て魂へ届いている。そして、それがこの魂を成長させるのだ)
(魂の成長……するとどうなるの?)
闇神の姿は見えない。それでも何故かあいつがニヤリとするのが分かった。
(お前が、俺の力の一端を使えるようになる。励めよ、武蔵)
そうして闇神の声が聞こえなくなった。いつも通りの一方的通話だった。
えっと、つまり、俺が闇神の能力を使えるようになるってこと? でも、闇神ってどんな力を持っているんだろ? 闇神って言うぐらいだから、闇を操るんだよな、多分。いつだったか、俺の頭の中に星のように大きい魔力のイメージが流れ込んで来た。絶大な力だった。あんなの、人如きの小さな体で運用するのか。今から少し怖くなって来た。俺の体が震えた。
「小僧。俺のパイ、震えるほど美味いか?」
そんなダミ声が、頭の上から降って来た。見上げると、長く黒い顎髭が目に飛び込んで来た。その顔の両頬に傷跡が走ってる。
「うわあぁ!」
覗き込んでいるそのいかにもな悪人面に、俺は思わず叫んだ。
「おい、ギュンター。アタシの子を驚かすんじゃないよ」
母ライカの声色は鋭かったが、眼は笑っているようだった。
「なんだ、ライカ。やっぱりお前の子か。よく似てるじゃねぇか」
白いエプロンを腰に巻いた大男だった。袖を捲り上げた腕には、幾つもの傷跡と海蛇の刺青があった。
「小僧、驚かせて悪かったな。ほら、こいつは店からの奢りだ」
そう言って、ギュンターは、テーブルへパイをドンと置いた。さっき注文したパイより大きくて厚みもあって、無駄なトッピングも増えている。悪人面の大男は、遠慮せず食えとばかりに微笑みとウインクを投げた。おちゃめさんだ。
「さすが、ギュンター。気が利くよ。相変わらず繁盛してるね。パイも前より美味くなってるんじゃないかい?」
「当たり前だろ。俺は向上心の塊だからな」
母ライカとギュンターの間に、声にならない言葉が幾つも交わされたように見えた。単なる知り合いってだけじゃなさそうだ。
「紹介するよ。こいつはここの店主で、ギュンター。昔パーティーも組んでたこともあるアタシの仲間さ」
「母さんと、ギュンターさんがパーティメンバー? なんか、ガラ悪いね……」
「お、リデル。言うようになったね。ギュンター、この見るからに天才がアタシの子、リデル。そして、こっちのもう一人の天才で美少女が、アディ。アタシの友人の子さ」
母さんが、俺とアディの肩へ手をやり引き寄せる仕草をした。なんか、紹介の仕方がむず痒いな。
「よろしくな。天才ども」
ギュンターは、俺達のテーブルの空いていた席へドカリと腰を下ろした。久しぶりに会った母と近況でも話すのだろうか?
「親子水入らずのところ悪いな」
「いいってことさ。どうせ、あんたのことだから、アタシがこの街へ来たことも、この店へやって来ることも知ってただろうしさ。用ごとは、なんだい?」
「ああ、お前がこの街へ来たって聞いてから、どうしてもその耳に入れておかなければと思ってな」
ただお話しするんじゃないのか。それより、ギュンターは母ライカがこの街へやって来たことを知っていた。ってことは、この街の情報網である程度それも広まってる。で、母さんもそれを予測していた。だから、仲間の店を選んだ。単純な腕力もだけど、そんな立ち回りも重要なのかもしれない。
ギュンターの引き締まった顔を見るに、あまり楽しそうな話じゃなさそうだ。母もそう感じたのか、鋭い眼差しをかつての冒険仲間へ向けた。
「魔族かい? アタシが今住んでる村じゃ、噂話ってことになってるけど」
「知っていたか。だが、それは噂話じゃねぇ。実際、西のヴァルノスとの国境付近で戦闘になって、何人か犠牲者も出た。上級魔族一体にその眷属五体ばかりって話だ」
「上級ね。やっぱ、村の情報網じゃ当てにならないか。あんたのとこに来て正解だったよ。この国の慣例だったら、庶民のパニック防ぐ為に情報統制。で、精鋭部隊編成して討伐って案件だね」
そんな国家主義みたいなことを、このエレスティア共和国がするんだ。いや、そっちの方が国として当たり前なのかもしれない。上級魔族ってどのくらい強いか分からないけど、異常事態なのは確かなようだ。
「ああ、だが、問題は、その魔族自体じゃなく、いくつかあってな。その一つは、ライカに関わりがある」
「アタシに?」
「魔族討伐に呼び寄せられたのは、あのルドウィク・ダナ・アーガトラムだ」
「なっ……」
母が目を見開いて、言葉を失っていた。こんな母さんの反応って、見たことあっただろうか?
「領主の酔狂だ。大枚叩いて、高名な光を成す者を見たかったらしいぜ」
「あいつは……今どこで、何を?」
「長年、龍峰皇国を彷徨ってたらしいが、今はカリブリアの豪商に招き入れられて、専属冒険者やってるって話だぜ。世界最強殿は違うな」
世界最強? ルドウィクって人が、この世界の最強なのか? 胸が高鳴る。どんな人なんだろう? その人が母さんと深い関わりがあるみたいだ。
「お前らの因縁は、風の噂で聞いている。どうする? 奴の到着は、この街の港に明後日の予定だ。色々と、手は貸せるぜ」
ギュンターの声色は穏やかだった。でも、俺にはそれが途轍もなく物騒な相談に思えた。
母が拳を固めて震えていた。その横顔を、アディがごちゃ混ぜパイをかじりながら見つめてる。無機質な眼だけど、俺には分かる。これはとても心配している。
「……いや、ありがたいけどね、この街へは息子らを冒険者にする為に来たのさ。それと……楽しい思い出作りとね。二、三日滞在しようと思ってたけど、明日発つことにするよ」
その声は震えて小さかった。豪快な母が、だ。普段じゃ考えられない。
「そうか。酒はいるか? ウチの店はエールも自慢なんだぜ」
「いや、酒はやめたよ。酔うと余計に昔を思い出すからね」
「なら、遠慮せずどんどん食ってくれ。エビのいいヤツが入ったんだ。後で持って来させる」
「……すまないね、ギュンター」
「あのライカ・カザクが何言ってやがる。悪かったな、天才ども。ゆっくり腹いっぱい食えよ」
そう言って、ギュンターは席を立った。ウィンクのオマケ付きだった。
「ああ、そうだ。この街の奴らは口が固いことで有名だ。そこは安心しとけ」
それは、母ライカへ向けた言葉のようには聞こえなかった。周囲の何人かの大人が薄く頷いたように見えたからだ。ギュンターは、ただの名物料理店の名物店主じゃないんだろう。この街の表と裏、色んな方面に顔が利く。マフィアの親分みたいな人がこの世界にもいるんだ。