弾ける
「あの」
「ん、廿浦さん」
「なっなんで名前知って!?」
「知らない仲でもないでしょ。よく握手会来てくれてたし」
じーんと来て、それだけで涙が出そうになる。
その笑顔はアイドルの愛堂光だった。隣のクラスの愛堂さんではない、今まで自分が追いかけていた偶像そのものだった。
「どうしたの? 噂は聞いているよ、私の熱狂的なファンがいるって。もう元ファンだけどね」
「どうしてアイドルを辞めたんですか。アイドルを、貴女がアイドルに戻ることを待っている人は大勢います」
「んー? もう戻ろうと思っても戻れるものじゃないよ。事務所は退所したし、今更オーディション受けて頑張るのも、受験だってあるし」
「嘘。マネージャーさんと連絡取ってるって聞いた。コネだって光ちゃんなら」
「光ちゃんはコネなんて可愛くない言葉知らなーい」
「嘘、嘘! 光ちゃんはそんなこと言わない! 愛堂光は、事務所の中のアイドルでは古株で、簡単なトレーナーみたいなこともして後輩を助けて、パフォーマンスは全部トップクラスでリーダー的存在で、使える者は何でも使う、できることは全部する、できないこともやってみる、チャレンジ精神とハングリー精神にあふれてて、誰よりもかっこよくて、決して諦めない、本気でアイドルやってた! なんで辞めたの!? なんで諦めたの!? どうして普通の女子高生に戻ったの!? 光ちゃんがちょっとやそっとじゃアイドルなんてやめない! やめるわけがない! なんで辞めたの? ねえなんで辞めたの!?」
「もういい?」
「っ……答えてよ」
「……辞めちゃダメだった?」
「……」
「……勝つまで走り続ける、イメージができなくなっちゃった」
「……! 私は、光ちゃんなら」
「泉可憐のライブはちゃんと見たことある? ……ならわかるよね」
「そんなの、比べる必要」
「比べてずっとやってきたの。比べなくていいなんて言わないで。一番を目指してやり続けてきたの。一番が取れないって完全にわかったら、今まで通り頑張れなくなった。……今までみたいに頑張れなくなったら、もう私はアイドルじゃない。頑張ってない私は、もうアイドルの愛堂光じゃない」
「……っ!」
反論が、できなかった。
愛堂光が、頑張れなくなってしまったから。
いつまでも、どこまでも頑張り続ける光ちゃんが好きだった。そんな光ちゃんが、頑張れなくなってしまった、そんなの。
私よりずっと辛いに決まっている。
「……泣かないでよ。もう……」
首を突っ込まなければよかった。全く自分勝手だった。こんな辛いことを、言わせてしまうなんて。
自分が納得したいがために問い詰めて、追い詰めて。
「……ほら、手、貸して!」
「う、うぐっ、光ちゃん……」
手を引っ張られて体が動く。顔を隠すこともできないから涙で汚い顔を見られてしまう。
けれど、光ちゃんは笑っていた。
人を喜ばせる、アイドルの表情は、涙で曇った私の目を透き通らせていく。
「悔しかったけどさ、アイドル辞めてよかったこともあるよ。廿浦さんと握手するのにチケットもいらないし、こうやって踊れる!」
トントン、キュッキュッ、上履きの音が小気味よくなると、ふらふらと私は引っ張られながら不器用なステップを踏む。
「ひ、光ちゃ……」
「体動かすと色々忘れられるよ。ついてきて」
私は見る専だから、真似したことがなくもないけど、急すぎて踊れるわけもない。
けど転げそうになるたびに手を引っ張られて、不思議と体がきちんと立っている。
「廿浦さん、もう少し気楽に構えて。もう私たち友達なんだから」
「友達……」
「そう、ファンでもアイドルでもなく、友達!」
ああ、そうだろう。
前につんのめって転げそうになるのを、抱き留められる。
瞳の奥まで見えそうな距離、お互いに吐息が触れ合う近さ。
アイドルじゃ、こんなことできなかった。
「近いね、ごめん」
「……じゃあ、友達と言うことで!」
私は走って逃げた。全速力で逃げた。
けれど弾けそうなほどの心臓の鼓動は、走る前とそんなに変わらなかった。