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君と過ごした奇跡の日々に  作者: 山極遼太郎
17/35

第3章 過去と悲劇 5話

   5


 急いで教室に戻ってきた美香と柊木を見て、「いいコンビだ」と権田は称した。

「すいません、すっかり忘れていて」

「かまわん」

 穏やかな口調だったので美香は少しホッとした。

「先に確認させてもらったよ」

 権田は資料を美香に見せ、言った。直近三か月のセンター北校の売上成績を記した資料だ。美香はコピーをした覚えはない。

 柊木を見やる。彼は頷いた。

 どうやら柊木がコピーしたらしい。そのおかげで権田は気を悪くしていなかったということだ。

「会うのは久しぶりだね、遠藤君は元気にしていたか」

「はい、一応は」

 実際はユウキとのこともあり、元気ではなかった。

「それならよかった。以前、少し言い過ぎたからね。気を落としていないかと心配していたよ」

 この一年で結果を出せと高圧的に発破をかけたことを言っているのだろう。

「そのことなら大丈夫です」

「ならよかった。それより、先月やっと入退差がプラスになったようだな」

「はい」

「内訳は入塾数が一で、退塾数がゼロか」

 権田は資料を見ながら言う。

「退塾数がなかった理由は何だと考える」

 美香は柊木を一瞥する。ひとえに彼のおかげだった。以前は生徒から授業に対する不満がちらほら出ていた。しかし、彼が授業を担当、また他の先生の授業を観察し、改善点を指摘してくれたおかげで、教室全体の授業力が向上した。今では生徒からの不満の声は聞こえない。

 それらのことを権田に報告する。

彼は「なるほど」とだけ言い、次の質問を繰り出す。

「最近、保護者からの評判もいいと聞いている。それはどうしてかな」

 これも柊木のおかげだ。授業後に生徒を迎えに来る保護者と彼はいつも世間話をしていた。美香も挨拶を交わしはするがそこまで話し込むことない。気になって彼に、何の話をしているのか聞いたことがある。

「何気ない話の中に悩みは隠されているものです」と彼は言った。

 世間話をする中で、保護者から時折悩みを打ち明けられるのだという。子供の学習面に関することが一番多いが、親の受験に対するスタンス、また夫が浮気をしていることを相談されたこともあるらしい。

「挨拶だけじゃなくて、話すことは大切ですよ」

 それ以来、保護者と積極的に話すようにしている。最初はただの世間話だったが、最近では悩みを打ち明けてくれる保護者もちらほらと出ていた。

「ずいぶんと成長したな」

「ありがとうございます」

「柊木君には足を向けて眠れない」

 まさにその通りだ。

「やはり、天宝ゼミのエースはレベルが違うな」

 権田は柊木が元天宝ゼミの講師であることを知っていた。

「やはりご存じでしたか」

 この場で初めて柊木が口を開いた。

「君の名前を聞いたとき、ピンときたよ。君はこの業界では有名人だからね。遠藤君は知っていて声をかけたのか」

「いえ」

「そうか。それに、堀越君は君のことをよく話していた」

 権田は少し躊躇いがちに彼の名を出した。

「十八の時に天宝ゼミで働き始め、天野宝の死後も彼の遺志を継いで講師を続けた。次第に君は天野をも超える存在となった。堀越君には嫌というほど君のことを自慢されたよ」

 上司にも嬉々として柊木のことを語るユウキの姿を容易に想像できた。それと同時にどうして柊木の婚約者を手にかけなければならなかったのかという大きな謎がますます増幅する。

「しかし君は、一年前、突如として表舞台から消えた。堀越君の死と関係があるのかね」

「それも、一因ではあります」

 柊木は紗希が殺されたことを権田に告げた、ユウキが殺めたことを伏せて。

 さすがに権田も驚きを隠せないようだった。

「お悔やみを申し上げる」

「大切な人が二人も死んで、講師を続けることができなくなりました」

「だがこうして一年後に戻ってきた。どうしてなんだ」

「千冬に出会って、誰かを救いたいと思う心が俺にもまだあることがわかったからです」

「なるほど、君も遠藤君に似て、お節介なんだな」

 柊木は、「そうですね」と苦笑する。

「やはりいいコンビだ」

「いつの間にか、そうなっていたのかもしれません」

「なるほど、センター北校の上昇傾向は柊木君というカードを引き当てた遠藤君の運の強さのおかげでもあると言えるな」

「そんな……」

「君たちの今後は大いに楽しみだ」

 そう言って、権田は壁にかかった時計を見やる。午後九時を少し回っていた。

「今日のところはこれくらいにしておくとするか」

 権田は、「また来るよ」と言い残し、教室を後にした。


「ありがとうございました」

 権田が去った直後、美香は柊木に頭輪下げる。

「俺は何もしていませんよ」

「これ、コピーしたの柊木さんですよね」

 権田が見ていた資料をかざす。

「あぁ、そのことですか」

「助かりました」

「いえ、どういたしまして」

「柊木さんに頼りすぎるのはやめようと決意したばかりだったんですけど、ダメですね、やっぱり私って」

「少しずつ、自立してくれると助かります」

 その後、柊木と共に作業をしていると、夜の十時を回っていた。

「遠藤さん」

 呼ばれて美香は手を止める。

「どうしました」

「手紙のこと」

「はい」

「ひとまず、俺たちだけの秘密にしておいていただけますか」

 もとより、誰にも言うつもりはなかった。

「もちろんです」

「ありがとう」

 それからまた三十分くらい、お互い言葉を交わすことなく黙々と作業をした。そして仕事がひと段落し、退勤しようとしているときに来訪者が現れた。

「柊木」

 突如現れた男は目に涙を浮かべ、声は怒りで震えていた。ただならぬことが起きたと美香は直感した。

「佐々……」

 突然の客に柊木はいささか驚いていた。

 二人は知り合いのようだった。

「お前どうして戻ってきた」

 言うや否や、佐々と呼ばれた男は柊木に一発殴りを入れる。そしてそのまま倒れた柊木に馬乗りになり、胸倉を掴む。

「お前が戻って来なきゃ……」

「ちょっと待ってて」

 美香は咄嗟に駆け寄るが、男に「黙れ」と怒鳴られ、思わず足を止める。

「遠藤さん、大丈夫です」

 柊木も美香に介入してほしくないようだ。黙って見ているしかなかった。

「こいつは俺の元教え子です」

 柊木の唇は切れ、血が滴っている。

「佐々、どういうつもりだ」

「千冬は俺の従妹だ」

「あの時、よく話していた……」

「そうだ。お前は俺たちを裏切っておいて、今更どうして戻ってきた」

 佐々の様子から、彼は柊木が天宝ゼミを辞めた理由を知らないのだと思われた。

「何も言わずに俺たちの前から消えたくせに」

「すまない」

「ふざけるな」

 彼はもう一度、柊木に殴りを入れる。

「お前が戻って来なきゃ……」

 柊木の胸倉を掴む佐々のその手は震えている。

「お前が……」

「佐々」

 佐々の瞳から涙が滴り落ちる。その雫は柊木の頬を濡らす。

「お前がいなきゃ……」

「何があった、佐々……」

少しの沈黙の後、佐々は静かに言い放った。

「千冬は死んだ」


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