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君と過ごした奇跡の日々に  作者: 山極遼太郎
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第3章 過去と悲劇 4話

   4


 ユウキの変わり果てた姿を見たときの情景が昨日のことのように思い出される。

 彼は美香に何も言わずにこの世を去った。この一年、大きな悲しみや黙っていなくなったことへの怒りを抱えながら、それでも懸命に生きてきた。どうしてユウキが死を選択したのか、死ななければならなかったのか知りたかった。

 柊木からもたらされた真実はあまりにも残酷だった。ユウキが人殺しだったなんて信じたくはなかった。だが、手紙の筆跡は間違いなくユウキのもので、字が所々涙でにじんでいるのを見て、真実なんだと悟った。婚約指輪もその真実を補強する大きな材料だった。

 そしてその残酷な真実の中に、ユウキは大きな謎を残していた。

「どうしてユウキは紗希を殺したのか」

 柊木はそう言った。動機を一緒に探ってほしいという柊木の要請を美香は受諾した。ちゃんとユウキの死を受け入れるためには、彼のことを知らなければならない。

 何故紗希を殺めなければならなかったのか、美香は切に知りたいと願った。

「電話しても、ラインしても全然反応がなくて、そんなこと出会ってから一度もなかったから、気になって家に行ったら……」

 美香は彼を発見した時のことをできる限り詳しく、柊木に話した。

「鍵は開いていたんですね」

「はい。おかしいと思いました」

「気になりますね」

 当時、もしかしたら自殺ではなく、誰かに殺されたのかもしれないと思ったが、警察に自殺は疑う余地がないと言われ、納得せざるを得なかった。

「辛いこと思い出させてすいません」

 強引に話を聞きだそうとはせず、ただ静かに、美香に配慮をしながら柊木はいくつか質問をした。美香は苦しさに息を詰まらせながら、なんとか答えた。

ひと段落したところで、柊木に断りを入れて、美香は外に出た。少し一人になりたかった。


 夜風はひんやりと冷たかった。

 美香は観覧車を見上げる。緑にライトアップされていた。緑はユウキが好きな色だった。美香も好きな色だったから、「奇跡だね」と言って笑い合ったことを思い出した。

 観覧車から目を逸らし、歩き出す。特にあてもなく歩いていると牛久保西公園に着いていた。教室の近く、自然の雑木林の面影を残す小高い丘の緑深い公園だ。

 夜ということもあり、人気はない。散策していると、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いてきた。美香は目を閉じ、耳を澄ます。風にそよぐ葉の音が聞こえる。それに混じって遠くから音楽が聞こえてきた。

 音のする方に歩いていくと、高校生くらいだろうか、女の子が一人、ダンスの練習をしていた。彼女のダンスの上手さに、美香はしばらく見惚れていた。すると、視線に気づいたのか、彼女は踊るのをやめ、こちらを振り向く。

「あっ」

 知っている子だった。

「あっ」

 彼女も気づいたらしい、音楽を止め、近づいてくる。真由だった。

「なんか用?」

 数ヶ月前、塾を辞めると言って面談室を出て以来、真由には会っていなかった。何度か電話はしていたが、繋がらなかった。

「久しぶり」

「私、練習中なの、わからない、邪魔しないで」

 相変わらず口調はきつい。

「勉強は順調?」

 一瞬、真由は表情を歪める。

「当たり前でしょ」

 すぐに自信満々な態度に戻って答える。そしてもう話すことはないといったように音楽を流し、踊り始める。

「ねぇ」

 呼びかけるも応答がない。

「ねぇ、真由ちゃん」

 もう少し大きな声で呼ぶ。

 すると真由は苛立たしそうにダンスをやめた。

「何?」

 アップテンポな音楽は流れたままだ。

「塾に戻って来ない?」

「どうして」

「勉強、順調じゃないんだよね」

 真由は黙っている。

「高校でトップを取るって中学の時と比べ物にならないくらい難しい」

「説教でもしたいわけ」

「違う」

 美香は自分の過去を話した。中学のころ学年トップだったこと、高校に入って成績が急に落ちたこと、担任の先生に叱られてくだらないプライドを捨てちゃんと勉強をしたこと、そしたら成績が上がったこと、それでも学年トップにはなれなかったこと、真由に響いているかわからなかったが、美香はありのままの想いを伝えた。いつも柊木がそうしているように。ユウキと初めて会った時、彼が自分の過去をありのまま伝えたように。

「だから、真由ちゃんは今のままだと絶対に成績は上がらない。私が一緒だったからわかる」

「一緒にしないで」

「気を悪くしたらごめんね。でも私、ただ優しくするのはやめたから」

「意味わからない」

 少しだけ、真由は笑っていた。少なからず美香の言葉が彼女に刺さったと思うことにした。

「わからなくていいよ、こっちの話だから」

「本当に意味わからない。もういい、練習したいんだけど」

「うん、じゃあまたね」

 真由は再び踊り始める。素敵なダンスだった。


 公園のベンチで一人、美香は座っていた。

 真由にどうして正直な気持ちをぶつけることができたのか、美香自身、不思議だった。真由の心配する余裕などないはずなのに、自然と口をついて出ていた。

「相手に信用してほしければ、まずは自分のありのままを話せ」

 昔、ユウキが言っていた言葉が思い出される。そういえば柊木も似たようなことを言っていた。この言葉はきっと天野の言葉なのだろう。

 ユウキのことで頭がいっぱいであることは間違いない。だが、真由を見た時、放っておけなかった。救いたいと思った。いつの間にか美香は、この仕事に心からやりがいを感じている。それは紛れもなく、この仕事に導いてくれたユウキやいつも力になってくれる柊木のおかげに他ならない。

 だがその二人のうち一人は人を殺めて、自らも命を絶ち、もう一人は、親友に愛する人を殺され、その親友も失い絶望の底にいる。美香の苦しみなど比にならないくらい、柊木は苦しんでいるだろう。

 それでも彼は美香のことをいつも気にかけている。いや、美香だけではない。千冬や助けを必要としている他の子供たちのことも常に気にかけ、救いの手を差し伸べている。

 美香は空を見上げる。一つの星が眩しいくらいに輝いていた。だがその星はたちまち雲によって覆い隠された。

 手紙を読んで、柊木の絶望をわかった気になっていた。それは文字通り気になっただけだった。結局今まで自分のことしか考えておらず、柊木の苦しみにこれっぽっちも想像が及んでいなかったことを自覚する。現状で今一番辛いのは柊木なのだ。美香は己の浅はかさを恥じた。

「柊木さんの力にならなきゃ」

 心の中で言ったつもりが実際に口をついて出ていたらしい。美香は気が付かなかった。

「もう十分、俺の力になっていますよ」

 振り返ると、柊木が立っていた。

「あ、柊木さん」

「探しました。全然帰って来ないので」

「あ、すいません」

「スマホ置いて出てくから、探すのに苦労しました」

「どうしてここが?」

 駅前で練習終わりの真由と出会い、この場所を聞いたらしい。

「柊木さん、真由ちゃんと話したことあるんですね」

「何度か練習しているの見かけたことがあって、少しだけ。世間話をする程度ですけど」

 全く知らなかった。授業を受け持ったことのない真由にも手を差し伸べていた。

「驚きです」

「彼女、ダンス上手ですよね」

 真由は五歳のころからダンスを始めたらしい。中一の時には全日本ダンスコンクールに出場し、準優勝をするなど、かなりの実力者だという。一目見て心打たれたことに美香は納得した。

「その準優勝が悔しくて、何事にもトップじゃなきゃダメだという意識が真由自身にも芽生えたらしいです」

 美香の知らないことを柊木は何でも知っている。

「柊木さん、あなたはどうして人の心配ばかりできるんですか。あなたは誰かを気にかけることなんてできないくらい辛いはずなのに」

「ありがとうございます。でも俺のことと、子供たちのことは全くの別問題ですから」

 そう言って彼は微笑んだ。

「それでも、辛い時は必ず言ってください。私が力になりますから」

「だから遠藤さんにはもう――」

「わかってます。それ以上、今以上に力になるって意味です」

 柊木を頼り過ぎるのはもうやめると美香は心に決めた。

「はい、わかりました」

「あぁ、ところで、どうかしましたか」

「社長が来ています」

「あっ……」

 今日は社長による教室巡回の日だった。いろいろありすぎてすっかり忘れていた。

「行きましょう、社長がお待ちです」

「はい」

 二人して急いで教室に向かった。柊木は走るペースを美香に合わせてくれた。途中、彼は走りながら言った。

「遠藤さんは、本当に十分俺の力になってくれていますから、気にしないでください。あなたはユウキの死を悲しんでいていいんです。さっき遠藤さんの力が必要だと言いましたけど、あなたが苦しくなるくらいなら、俺一人で大丈夫です。忘れてください。すいません」

「大丈夫って言うのが大丈夫です。柊木さん、私を馬鹿にし過ぎです。私、もう決めたんで。苦しむなら、二人で苦しみましょう」

 走りながら、よくわからないことを言ってしまったと美香は思った。

「二人で苦しもうって何ですか」

「あ、だからそれはその……」

「ありがとう」

 柊木は笑っていた。一応、美香の気持ちは彼に伝わったらしい。


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