第3章 過去と悲劇 3話
3 last year
ユウキと交際を始めたのは、彼がエバラスに就職した年の夏のことだった。葛西臨海公園のダイヤと花の大観覧車に乗っていた時のことだ。
「俺、ずっと美香が好きだった」
いつの間にか「遠藤さん」呼びから「美香」呼びに変わっていた。美香は最初からずっと「先輩」呼びだ。
美香も彼のことがずっと好きだったから、付き合うことにした。
観覧車の来場者数が丁度三千万人目で、バラの花を一輪もらった。小さな奇跡が美香たちの交際を祝福してくれているようだった。
彼はいつでもよく笑う人だった。美香が就活で悩んでいる時も、エバラスを紹介してくれた。
「子供好き?」
彼の問いに、「好きだ」と答えると、「子供の成長に携われるやりがいのある仕事だ」と言った。美香はエバラスの面接を受けることにした。正直子供が好きよりも、ユウキが好きだから面接を受けたと言っても過言ではない。このころ、ユウキは権田の下でセンター北校の副教室長をしていた。
他にも内定をもらった企業はあったが、最終的にはエバラスに就職することにした。ユウキがいる会社ということも一因ではあるが、エバラスの理念に強く共感したこと最終的な決め手だった。
社名は、絶え間なく続くという意味の英単語からきている。そこからエバラスは「常に成長あるのみ」という理念を掲げていた。
内定を受諾したことを伝えると、ユウキは自分ごとのように喜んでくれた。
入社すると、美香はセンター北校に教室長として配属された。ユウキは権田の社長就任を機に、社長秘書となり現場を離れた。
「権田さんに懇願されちゃ断れないよ」
本来であれば、ユウキがセンター北校の教室長を引き継ぐ予定だったらしい。しかし、権田の強い希望に根負けし、社長付きとなった。
お互い仕事が忙しくなり、会う頻度が少なくなった。絶えず連絡は取りあってはいたが、小さな奇跡はあまり見つからなくなった。
だからこそ、ユウキの異変に気付くことができなかった。
(パレットタウンに行きたい)
ある日、彼から連絡が来た。お台場にある観覧車に乗りたいということらしい。お互いの予定を調整し、実際に行ったのは三週間後のことだ。
数か月ぶりに会ったユウキはどこか疲れているようだった。
「どうかした、大丈夫?」
美香が気にかけると、「大丈夫だよ」といつもの笑顔で言った。
「この観覧車、来年の八月末で営業終了なんだって、ユウキ知っていた?」
「うん」
「センター北の観覧車も改装工事中だし、観覧車が止まるってなんだか寂しいよね」
ユウキは物憂げな表情で外の景色を眺めている。そしてポツリと呟く。
「このあたり一帯が再開発なんだってね、ヴィーナスフォートも営業終了だし、来年には閑散とするのかな」
日曜ということもあり、家族連れやカップルたちで賑わっていた。窓の外にはたくさんの人が見える。
「なんか寂しくなっちゃうね」
「ここに来るのも最後かな」
「来年の八月にもう一回来ようよ」
「そうだね」
気のない返事だった。
その後、時間があったので、チームラボに行くことにした。今まで一度も足を運んだことはなく、幻想的な光の芸術に美香は終始声を上げて感動していた。
「わぁ、ほんとすごい。綺麗」
「語彙力ないね」
そう言ってユウキは笑っていた。
「だってすごいじゃん。すごいと思わないの?」
「思うけど、観覧車よりは……」
どこまでも観覧車が好きな男だ。
「もう、バカ」
この時ユウキが暗がりの中で、時折苦しそうな表情をしていることに美香は全く気が付かなかった。
付き合いたてのような甘い幸せいっぱいのデートを一日して、美香たちは帰路についた。
「家泊まっていく?」
大井町駅の改札前で美香は問う。
「今日は帰るよ。ありがとう」
そう言ってユウキは京浜東北線の改札をくぐる。エスカレーターに乗り、彼の姿が見えなくなるまで、美香はその場で立っていた。振り向いたときのために手を振る準備をしていたが、彼が振り向くことはなかった。
少しだけがっかりして、美香は大井町線の改札をくぐった。
彼の姿を見た最後だった。
数週間後、突如ユウキからの連絡が途絶えた。仕事が忙しいのかもしれないと、最初美香はそこまで気にしてはいなかった。しかし三日ほど待っても連絡は返って来ない。さすがに心配になって権田に連絡を取った。
(堀越君からは一週間ほど休みを取らせてほしいと連絡があった)
権田には体調がすぐれないと言っていたらしい。
(君には何も連絡はないのか)
「はい。社長は今も連絡を取り合っていますか」
(いや、今は取っていないな)
「そうですか」
私用で連絡をしたことを詫びて電話を切った。
不自然だった。体調を崩しているなら美香にも連絡が来るはずだ。権田にだけ連絡するというのはおかしさしかない。嫌な予感がして美香はユウキの家を訪れた。
インターフォンを何度押しても応答がない。ドアノブを捻ると扉は簡単に開いた。鍵はかかっていなかった。
リビングは真っ暗だった。
胸騒ぎが増大する。美香は恐る恐る他の部屋も見て回る。寝室やトイレにはいなかった。外出しているだけかと思った。
最後に風呂場を確認する。
「先輩……」
美香はその場に崩れ落ちた。
湯船は血で真っ赤に染まっていた。ユウキは浴室で、手首を切って死んでいた。
唐突に、愛した人との生活は終わりを告げた。