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君と過ごした奇跡の日々に  作者: 山極遼太郎
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第3章 過去と悲劇 2話

   2


 美香が授業を終え、講師スペースに戻ると、柊木は机に突っ伏して眠っていた。最近働きづめだったため、疲れが溜まっているのだろう。美香は起こさぬよう静かに室長席へ向かうが、物音に気づいたらしく柊木が目を覚ました。

「あ、起こしちゃいました」

「いえ、すいません」

 夏は過ぎ、学校は二学期が始まっていた。柊木は名実ともにセンター北校のエース講師となっていた。美香の足りないところも完璧にフォーローしてくれている。柊木に足を向けて眠れないほどだ。

「コーヒー飲みますか」

「あぁ、はい」

 美香は先ほど買っておいた缶コーヒーを見せる。二本ある。

「微糖と無糖、どっちがいいですか」

「あぁ……」

「あ、わかります。ブラックですよね」

「ブラックでいいですか」

 美香は右手に持っていたブラックを柊木に渡し、室長席に戻る。

「ありがとうございます。おいしいです」

 柊木のおかげで上達したことが二つある。授業と面談だ。彼の空いている時間に美香は授業や面談を見てもらっていた。いつも的確なアドバイスをくれるので、それを次で実践している。ずっと面談が苦手だったが、ここ最近苦手を克服しつつある。

「飲まないんですか」

 柊木は微糖の缶コーヒーをさして言う。

「あぁ、私、コーヒー苦手なので」

「じゃあどうして」

「一応、念のため、万が一、柊木さんが微糖を飲みたいって言った時のために」

 柊木が申し訳なさそうに代金を払おうとするので、大丈夫と断りを入れて、ついでに微糖の缶コーヒーもあげた。

「ありがとうございます」

「いえ、これくらい全然。お世話になりまくっているお礼です」

「授業や面談を見ているお礼がこの缶コーヒーですか」

 おいしいご飯をご馳走しろということらしい。毎日顔を合わせているため、柊木とは冗談も言い合える仲になっていた。

「わかりましたよ、近々、連れていきます」

 柊木は顔を綻ばせる。生徒と話すとき以外、基本そっけなくて不愛想なのに変わりはないが、時折こうして笑顔を見せるようになった。出会った時のような深い闇は消えている。

「夢、見ましたか」

「夢ですか」

「さっき寝ていたから、なんか楽しい夢でも見たかなって」

 彼は、「紗希と二回目に会った時の夢を見た」と答えた。柊木の口から紗希が登場したのは二度目だ。

「どうして二回目なんですか。普通初めてでしょ」

「二回目です」

 紗希は、新聞記者をしていたと教えてくれた。最初に会ったのは取材のためで、二回目がハンバーグを一緒に食べたとかで二回目の方が印象に残っているらしい。

「どんな人なんですか」

「不器用だけど、真っ直ぐな人でした」

 それから紗希についていろいろ話してくれた。美香が気になって根掘り葉掘り聞くもんだから、婚約していたことまで教えてくれた。

「素敵ですね」

柊木は昔を懐かしむように楽しそうに話しながらも、どこか悲しみを宿していた。紗希について語る柊木は全て過去形だった。

「紗希さんは今どうしているんですか」

 返答は予想できたが、聞かずにはいられなかった。

「死にました」

 殺されたと、柊木は静かに言った。

「嘘……」

「本当です。去年のことです」


 その日は雨が降っていた。柊木は傘を持って出ていなかった。土砂降りの中帰宅することを心配した紗希は彼に傘を届けるため、外出した。

 その途中、彼女は帰らぬ人となった。

 現場は柊木がいたビルの前の道路、つまり美香と柊木が出会った場所だ。あの通りは夜になると人通りがほとんどなく、事件発生当時も似たような状況だった。そのせいで事件を目撃した人間は誰もいなかった。

 犯人の手がかりも掴めぬまま、一年以上が過ぎた。事件は今もなお未解決のままだ。


 美香も事件があったことは知っていた。現場の近くで働いていたわけだから当たり前だ。だが、被害者は柊木の大切な人だとは思いもよらなかった。

 柊木の目には初めて出会った時に見た深い闇を宿していた。美香が消えたと思っていただけで、思いたかっただけで、消えてなどいなかった。

「遠藤さん、本当のこと話してもいいですか」

 紗希の事件について話し終えた彼は、そう続ける。

「はい、何でも話してください」

 少しの沈黙ののち、彼は話を始めた。

「俺は、初めから遠藤さんのことを知っていました」

「……どうして?」

 堀越ユウキ、もうこの世にはいない男の名を柊木は口にした。

「ユウキからよくあなたの話を聞きました」

「私も柊木さんの話をよく聞きました」

「知っています」

 悲しい笑みを浮かべた。

「一年と少し前、ユウキは突然、自ら命を絶ちました。紗希が殺されて数日後のことです。俺は婚約者と親友を同時期に失った」

 彼の絶望は計り知れない。

「俺はそれから天宝ゼミを辞め、この一年生きる希望も見出せずただただ漠然と生きてきました」

「そんな……」

「それでも、ただ大切な人を二人失っただけならまだ絶望は浅かったのかもしれません」

 これ以上の絶望など、一体どこにあるというのだろうか。

 柊木は一通の封筒を鞄から取り出し、美香に差し出す。

「あなたと出会う少し前、唐突に真相を知らされました。知らない方が幸せだったかもしれない。俺は、遠藤さんもこの真相を知る権利があると思っています。でも、後悔するかもしれない。ユウキとの日々が黒く染まってしまうかもしれない」

 彼の言葉からただならぬ何かを美香は感じた。知りたいと思う一方で、受け取るなと警告する自分がいる。

「知る覚悟はありますか」

 例のごとく、柊木は最後の選択を美香に委ねた。

 美香は受け取る選択をした。

それは、ユウキから秀一へ宛てた手紙だった。


『秀一へ

 この手紙が届くころ、俺はもうこの世にはいない。死んで一年後に秀一の元へこの手紙が届くように設定した。

 死んですぐにしなかったのは、お前には親友として弔ってほしかったからだ。俺のただの身勝手だ。身勝手だってわかっている。でも、どうしても、すぐに送ることはできなかった。

 秀一にはちゃんと伝えなければならない。

 俺は、取り返しのつかないことをした。秀一の大切な人を俺はこの手で殺めてしまった。本当に申し訳ないと思っている。すまない。すまない。

 どれだけ謝罪をしたところで、許されないこともわかっている。

 紗希さんと秀一と俺の三人でさわやかのハンバーグを食べに行ったときのこと、昨日のことのように思い出す。本当に楽しかった。だからこそ、紗希さんをこの手で殺めた罰は受けなければならない。俺はこの後自ら命を絶つ。

 俺はどこまでも身勝手だ。死ぬ間際でも一人の女性のことを想っている。俺が死んだら悲しむだろうな。

 美香と過ごした奇跡の日々に、さよならを告げるのだけが唯一の心残りだ。秀一の大切な人を奪っておいて虫が良すぎる話だよな。

 でもどうか、どうか、この手紙が届いたら、美香が幸せにしているか、一目見てほしい。

 ただ一目見るだけでいい。そしてその後は思う存分俺を恨んでほしい。

 ごめん、秀一、本当にごめん。

堀越ユウキ』


 所々、涙のせいだろうか、字がにじんで読めなかった。

 読んでしまったことを後悔した。だが知ってしまった以上、知る前の状態に戻ることは二度とできない。

 美香の瞳から涙が止めどなく溢れた。

「信じられません」

「俺も、信じられませんでした。信じられるわけがない、ユウキが紗希を殺したなんて。ありえない。でも、これが同封されていました」

 そう言って柊木が差し出したのは結婚指輪だった。内側にShuichi & Sakiと刻印されている。

「紗希はいつも指輪をつけていた。だが死んだ紗希にはついていなかった。おかしいと思って部屋のどこを探してもなかった」

 その指輪を持っていたのはユウキだった。

「そんな……」

「あの日、俺が朝家を出る時には、紗希は指輪をしていた。見て、覚えているから間違いない。どうして彼が持っていたのか、紗希がユウキに渡したとは思えない。そもそも渡す必要もないし、あの日紗希がユウキと会う予定なんてなかった」

 ユウキが指輪を持っていたことは、紗希の死に関わっていることを意味する証拠と言えた。

「信じたくなくても、信じるしかありませんでした」

 柊木は指輪を握りしめる。

「もう生きている意味なんてなかった。俺はあの屋上で死のうとしていました。でも死ぬ前に、遠藤さんのことを一目見ようと思った。ユウキの手紙の最後にあるあなたのことが気がかりで、そうせずにはいられなかった。幸せにしていればそれで満足だった。でも、屋上から見えるあなたは、いつも辛そうだった。だから俺は死ねなかった」

 いつの間にか柊木も涙を流していた。

 ユウキは紗希を殺した。そしてユウキは自殺した。目を覆いたくなるような真実に美香は声1つ出せなかった。柊木の絶望を想像するだけで、心が張り裂けそうになった。

「本当に身勝手だと思った。人の大切な人をその手で奪っておいて、自分の大切な人を気にかける。俺はユウキを許せないし、これからも許すつもりはない。でも、ユウキは親友だから、親友だったから、最後の望みを無下にはできなかった」

 美香だけが、柊木を気にかけていると思っていた。しかし違った。柊木はずっと美香のことを気にかけていた。美香はただ、ごめんなさいと涙を流して謝り続けるしかできなかった。

「謝らないでください」

「どうして、どうしてそこまで優しくできるんですか」

「優しいわけじゃありません。ただお節介なだけです」

 柊木はそう言って、少しだけ、ほんの少しだけ笑顔を浮かべた。

「遠藤さん、一つお願いがあります」

「はい」

「あなたの力を貸してもらえませんか」

「どういうことですか」

 柊木は視線を窓の外に見える観覧車に移して答える。

「俺は、いつ死んでもいいと思っていた。でもあなたに出会ってその考えは変わった。あなたが気になって死ぬに死ねなかったし、あなたに救われたのも事実です。でももう一つ気になっていることがある」

 どうしてユウキは紗希を殺したのか。

さっきの手紙をもう一度読み返す。確かに、殺害に至った経緯が全く書かれていなかった。

「俺の知る限りユウキは突発的に人を殺すような人間じゃない」

 ユウキは本当に優しい人だった。柊木と同じくらい美香も彼のことを知っている。

「何か相当な事情がなければこんなことにはならなかったはずです。俺たちはそれを知る権利がある」

 柊木の言うことは尤もだった。今のままでは何一つ納得できなかった。

「動機が分からない限り、ちゃんと紗希を弔うことも、ちゃんとユウキを憎むこともできない。遠藤さん、俺と一緒に、真実を探りませんか」


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