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君と過ごした奇跡の日々に  作者: 山極遼太郎
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第3章 過去と悲劇 1話

   1 5 years ago


 麻生紗希は東京の新聞社で記者をしていた。塾に関する特集を組むことになり、どういうわけか秀一に取材を申し込んできた。それが彼女との出会いだった。

「昨日はありがとうございました」

 取材自体は昨日で終わった。だが紗希は今日明日と静岡を観光してから東京に戻るという。

「いえ、こちらこそ、わざわざ静岡まで」

 昨夜遅く、取材のお礼がしたいから食事でもどうかと、紗希から連絡が来た。特に予定もなかったので、行くことにした。

「ここのハンバーグ、一度食べてみたかったんですよ」

 二人がいるのは浜松駅近くのハンバーグのお店だ。「さわやか」という。静岡県民で知らない人はいないと言われているほどの超人気店である。秀一も以前に一度来たことがあった。

 天宝ゼミに入社したその日、入社祝いということで天野に連れて行ってもらった。

「静岡県民で食べたことがないのは許せない。これから静岡で働く以上、静岡のおいしい店は知っておけ」

 天野はそう言って、ハンバーグを頬張った。静岡で働くことと、静岡のおいしい店を知っておくことのつながりはよくわからなかったが、ハンバーグはとてもおいしかった。

「ここのハンバーグ、本当においしいですよ」

 おすすめのお店を紹介してほしいとのことだったので、この浜松にある「さわやか」に紗希を連れてきた。

 少しして二人の料理が運ばれる。熱々の鉄板の上にのったハンバーグを見て、紗希は目を輝かせている。

「うわぁ、おいしそう」

 紗希を見て、秀一も自然と笑顔になった。

 天野が亡くなって三年が経つ。天宝ゼミの代表には前副社長が就任した。秀一は代表に無理を言って天野が担当していた授業を一手に引き受けさせてもらった。それからというもの、休む暇なく、働き続けた。一人でも多くの子供たちを救いたいという思いだけで突っ走ってきた。

 しかし、身体は正直だ。無理がたたり倒れてっしまった。大事には至らなかったが、医者からは働きすぎだと注意された。丁度そんなときに紗希からの取材依頼が舞い込んだ。

「いい機会だ。取材を受けるといいよ」

 代表は秀一の身体を労わって数日間の休暇を言い渡した。その間に取材を受けろということらしい。

「お身体は大丈夫ですか」

「はい、もう全然、大丈夫です。食欲もばっちりです」

 ハンバーグを既に平らげていた。

「よかった」

「麻生さんが取材したいって言ってくれなきゃ、俺、倒れてもそのまま働き続けていたと思います。感謝しています」

「そんな、逆にすいません。家で休んでいた方が絶対いいのに」

 紗希もハンバーグを食べ終えていた。

「おいしかったですか」

「はい、すごく」

 それから秀一たちはコーヒーを注文し、少し話すことにした。

「麻生さんは、どうして俺に取材を?」

「だって先生、有名人じゃないですか」

 静岡県内ではそれなりに名の通った講師になったという自負はあるが、東京まで名を轟かせるには至っていない。

「私、妹が天宝ゼミに通っていたんで、先生のこと知っていたんです。それに、同い年だし。世の中にはすごい人がいるんだなって」

 紗希の妹は今年大学に合格したのを機に、天宝ゼミを辞めたらしい。秀一が授業を受け持ったことはなかった。

「妹も先生の授業受けたがっていましたよ」

 世間は意外と狭いものだ。

「今回、先生を取材するにあたって、先生の授業の映像とかいろいろ見させてもらいました。本当に素晴らしかったです。先生の授業はもっと多くの子供たちに届けられるべきです」

「ありがとうございます」

「静岡だけにとどまってちゃもったいないです」

 もっと多くの子供たちを救うには、ずっと静岡にいるわけにはいかないという思いはある。しかし、今授業を待っている子供たちを放り出すことはできない。

「そうですよね、すいません。もし東京に出てきたりしたら静岡のたち子悲しんじゃいますね」

 自分ごとのように紗希は悲しい顔をした。

「子供たちって、日々いろいろな悩みを抱えながら過ごしているんですよね。そんな彼らを悩みから解放したい、救いたいって思いで授業をしています」

「悩みのない子供っていないですよね。まぁ大人もだけど」

「もちろん、すべての悩みを解決できるなんて思っちゃいませんが、それでも一助になりたいです」

「素晴らしい考えですね」

「ジレンマです」

 もっと多くの生徒を救いたいが、静岡を離れることはできない。最近の悩みはもっぱらこのことだ。いかにして自分の授業をより多くの子供たちに届けることができるのか。

「私、考えます」

 唐突に紗希は宣言した。

「えっ」

「私、先生がより多くの子供たちを救うためにはどうしたらいいか、考えます」

「いやそれは自分で考え――」

「考えさせてください」

 きっぱりとした口調で紗希は言った。

「私、昨日今日と、柊木先生とお話をして、先生のこと本当に素晴らしい方だなと

思ったんです。こんな素敵な方の授業を受けられる子供たちも幸せだなって」

「お世辞がすぎますよ」

「お世辞じゃありません」

 少し怒った顔をしていた。

「本当にそう思っています。だから先生の力になりたいんです。もっと多くの子供たちに先生の言葉を届けるために」

 秀一は素直に、「ありがとう」と伝えた。紗希は、「すいません、熱くなって」と少し恥ずかしそうにしている。

「あなたの取材を受けてよかった」

「私も先生に出会えてよかった」

 そう言った直後、告白をしたみたいになって、また恥ずかしくなって、「あ、変な意味じゃなくて」と紗希は慌てて付け足した。

「はい、出会えてよかったです」

 この時から既に、秀一は彼女に心を動かされていたのかもしれない。少し抜けたところがあって、それでいて熱い信念のようなものも持っていて、彼女の瞳は、心動かされるには十分すぎるほど、真っ直ぐで、穢れ一つなかった。



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