第2章 希望と絶望 6話
6 7 years ago
彼と過ごした日々は、小さな奇跡の集合体だった。
大学入学を機に福井から上京した美香は、友達を作ることができず、大学の食堂で一人、昼食を食べていた。
四月の頭に体調を崩し、上京して早々一週間寝込んでしまった。そのせいで入学式やオリエンテーションに出ることができず、初回の授業に出席した時には既に各々グループができており、それらの輪に美香は割って入ることはできなかった。友達作りに失敗したと悟った。
とはいえ、大学は無関心な場所だ。中高とは違い、一人で過ごしているからといって、それを揶揄するような人はいない。あながち一人も悪くない、美香は思った。
「ここ、いい?」
顔を上げると男が立っていた。
「ここしか空いているところなくって」
彼は申し訳なさそうに相席のお願いをする。
美香はあたりを見渡す。一見したところ、空席はない。お昼時の食堂はいつも混雑する。
「どうぞ」
男は、「ありがとう」と言って、美香の向かいの席に座る。
「一緒だね」
男はおいしそうに、生姜焼き定食を頬張っている。美香も生姜焼き定食だ。学食で人気ナンバー2のメニューらしい。
「もしかして、一年生?」
男は会話をするつもりらしい。美香はそっけなく、「はい」と返す。
「あ、ごめん。ナンパみたいになっちゃったね。俺、堀越ユウキって言います。法学部の三年、よろしくね」
ユウキと名乗った男は右手を差し出す。握手をしようということらしい。
「あ、これセクハラか」
早々に手を引っ込める。
彼の言うように出会いはナンパのようなものであったし、第一印象はいいとは言えなかった。
「あと俺、かに座。七月二十二日生まれ。あと一日遅かったらしし座だった」
美香も七月二十二日生まれだった。それを話すと、「奇跡じゃん」と彼は嬉しそうにしていた。
誕生日が一緒だったことで、縁を感じ、彼と話してもいいかなと少しだけ思った。
昼休みが終わるまでの数十分間、ユウキは時折美香に質問をしながら、主には自分のことを語った。
中学高校時代は馬鹿だったこと、ある先生に出会って人生が変わったこと、大学に合格したこと、静岡出身であること、観覧車が好きなこと、その他もろもろ。ユウキは、奇跡の価値が薄れてしまうくらい奇跡という言葉を多用しながら話した。
「つまり、俺は今までいろんな奇跡に支えられて生きてきたんだよ。もちろん、今日遠藤さんと出会えたことも奇跡だって思っているよ」
上京して誰かとこんなにも会話をするのは初めてだった。ユウキはずっと楽しそうだったから、自然と美香も楽しくなってきた。
「どうして初対面の私に、自分のことそんなに話すんですか」
「昔、先生が言ってたんだよ。『相手に信用してほしければ、まずは自分のありのままを話せ』ってね。遠藤さんにナンパじゃないって信用してほしかったから話しただけ」
そう言ってはにかんだ。
「あ、でも、出会えたことが奇跡とか言っちゃったらそれはもうナンパだよね」
もはや美香にとってナンパでも、ナンパじゃなくてもどっちでもよかった。
「あの、じゃあ私の話も聞いてくれますか」
「もちろん」
美香は入学してからの不運な出来事をユウキに語った。
「私、入学早々、友達作りに失敗しちゃったんです」
「初めての一人暮らしで心が疲れちゃったんだね、きっと。体調はもう大丈夫なの?」
「はい、それは、それより――」
「あ、友達のことなら大丈夫、俺がなるから」
さも当たり前のことであるかのようにユウキは言った。
「あ、遠藤さんが良ければ、だけど」
そうしてユウキと友達になった。
「よかった」
「私もよかったです」
美香は時間を確認する。昼休みが終わろうとしていた。授業の教室に移動しなければならない。
「私、そろそろ行かないと」
ユウキも時計を見て、「もうそんな時間か」と呟く。
ユウキともう少し話したいという気持ちがあった。
「遠藤さん、次何の授業なの?」
「会社法です」
答えた途端、ユウキは驚いた顔をした。理由を尋ねると、次の授業が偶然にも一緒だということがわかった。
「俺、会社法、一年の時、落としちゃったんだよ」
「そうだったんですね」
「あでも、落としたから遠藤さんと一緒に受けられるわけだし。奇跡だな」
まだ彼と話せると思うと、純粋に嬉しかった。
席を立ち、食器を片付けてから、ユウキと共に教室に向かった。
いつも彼は笑っていた。よく笑う人だった。