7.光が満ちる場所へ
小さな家は今、窓もカーテンも閉じられ、何事も無かったようにひっそりとしている。
家の明かりは点けたままにしてきた。
けれどもうあの家の中には誰もいない。
真夜は今、一哉と手を繋いで森の中の小道を歩いていた。
真夜は最初のうちはおっかなびっくりといった様子で怯えながら歩いていた。
凹凸した地面に時々足を引っ掛けては転びそうになり、近くの木の中で鳥がバサバサと動いたなら小さな悲鳴を上げて身をすくめ、蜘蛛の巣が顔に引っ掛かったならあたふたして。
しかしそんな様子もほんのつかの間だった。
真夜はすぐに慣れて、今は興味津々といった様子で周囲の様子を見回しながら軽い足取りで歩いている。まるでスキップするように足先を弾ませて、手を放せばどこかに飛んでいってしまいそうな勢いで。
だから一哉は真夜の手を少しだけ強く握り締めた。
ここまでは全て計画通りだ。今のところ何ひとつ問題は無い。
そして思う……、
さぁ、これからどうしよう。
真夜を連れ出すことには成功した。問題はこれからだ。
とりあえず自分の家に連れて帰って、しばらくの間は自分の部屋にかくまおうかと思う。すぐに両親に見付かるかもしれないが、そこはきちんと説明して分かってもらうしかない。怒られるかもしれないが、納得してもらえるまで説明するしかない。
もしダメだったら、隠れ家に連れて行くしかないだろう。段ボールとベニヤ板しかないけれど、身を隠すだけならしばらくの間は大丈夫だろう。
それらと同時に警察や児童相談所なんかにも行かなくっちゃいけないだろう。子供が家でしたとなればすぐに問題になる筈だ。こっちが悪者になる前にちゃんと真夜が家庭内暴力を受けていた事実を説明して先手を打たなくてはならない。そして可能ならば保護してもらうのが一番いい。
子供の言うことだからと信じてもらえないかもしれない。対応してくれないかもしれない。その時は窓口の前で泣き叫んでやろう。そうすれば少しは話を聞いてくれるだろう。
それ以外だと学校の先生に相談するのもいいかもしれない。全面的にとはいかないまでも、少なからず味方にはなってくれるだろう。
全部ダメだったなら……、
その時は真夜を連れて遠くに逃げるしかない。何も当ては無いけれど、きっと何とかなるだろう。少なくともここで手をこまねいているよりはマシの筈だ。
肝心なのは真夜を家族の元に帰してはダメだということだ。
もし帰してしまったら全部振り出しに戻ってしまう。それどころか真夜を散り巻く環境が悪化する可能性すらある。それはダメだ。様々なことが今まで以上に隠されて、今まで以上に真夜が酷い目に遭う可能性が高くなる。それだけは絶対に避けなければならない。
やらなければならないことは沢山ある。考えなければならないことも沢山ある。これからが大変だ。むしろこれからこそが真の本番だ。気合いを入れていかないと。
しかし……、
それらは全部、先のことだ。難しいことは明日になってから考えればいい。
せっかく外に出れたんだ、とりあえず今夜一晩くらいは思いっきり楽しもう。一哉は心の中でそう決めた。
一哉は横目で真夜を見る。
真夜は相変わらず楽しそうにキョロキョロと周囲を見回しながら歩いている。
そんな真夜に一哉は言う。
「なぁ真夜、どこか行ってみたい所とかある? 好きなところに連れてってやるよ。まぁ時間が時間だし、お金もそんなにないから無理な所もあるけど……」
行きたい所があるのなら、どこへでも連れて行ってあげたい、可能な限り真夜の望みを叶えてあげたい、そんな気分だった。
真夜の表情がぱあっと明るくなる。
「いいのっ!?」
「ああ、いいよ」
「うーん、どうしよう……。それじゃあね、それじゃあね……」
真夜は考え込み、思い悩む。
少しして、真夜は言う。
「私、学校に行ってみたいっ」
一哉は少し怪訝そうな顔をした。
「学校? あんな所に行っても面白いものなんか大してないぜ。それに、こんな時間に行っても誰もいないし……」
「それでもいいから行ってみたいの。一哉君が毎日どんな所に通って、どんな風景を見ているのか見てみたいの」
真夜は不安そうな顔をする。
「それとも、学校はダメだった?」
そんなことはない。むしろ身近な場所過ぎてそんな場所でいいのかとこっちが不安を覚えるほどだ。
「まぁ、真夜がそこまで言うのなら別にいいけど……」
「やったぁっ!」
真夜は軽くその場で飛び跳ねる。
「よしっ、それじゃ、まずは学校に行ってみよう」
「うんっ!」
真夜は大きく頷く。
一哉と真夜は手を繋いで森の中の小道を進み続ける。
二人の進み行く先、黒い木々の向こうには、眩い光に満ちた夜の町並みが広がっていた。