2.危険の認識
それからさらに数ヶ月が経ったある日のこと。
一哉は両腕を振り上げる。
「夏休みだ――っ!」
終業式を終えた一哉は、学校にため込んでいた荷物を家に放り出し、その足で今日も真夜がいる小さな家の窓辺へと訪れていた。
「もうこれで先生に怒られることもなくなるっ、誰にも束縛されることなく思いっきり遊ぶことができるっ、俺はもう自由だ――っ!」
一哉は両腕を左右に大きく広げて踊るようにくるくると回る。
そんな一哉を真夜は微笑みを浮かべて眺めていた。
「そっかぁ、もうそんな時季なんだねぇ」
「これからの日々をどうやって過ごそうかなぁ、何をして遊ぼうかなぁ。
海に行くのは当然として、山や川に行くのもいいなぁ。近所のゲームや巡りもいいし、一日中ゲームしまくるのもいいなぁ。遊園地や水族館やどこかのテーマパークに連れて行ってもらうのもいいかも。キャンプに行ってバーベキューなんかもしたいなぁ。そうだ、もうすぐある花火大会も忘れずに行かなくっちゃ。
ああ、やりたいことがたくさんあり過ぎて居ても立ってもいられないよぉーっ」
一哉はぴょんぴょん飛び跳ねくるくる回り続ける。
真夜はそんな一哉を笑みを浮かべて眺め続ける。
「でも、夏休みっていうことは、やっぱり宿題も沢山出たんでしょう? それらも、ちゃんと計画を立ててやらなきゃダメだよぉ。一哉君、なんだか夏休みの間は全然やらずにいて、最後の日になって慌てて全部やるようなタイプに見えるから」
一哉はうんざりした表情で真夜を見る。
「嫌なことを思い出させるなよ。せっかくいい気分だったのによぉ。せめて今くらいはこの開放感に浸っていたいんだからさぁ」
「だったら一哉君が宿題を忘れないよう、私が毎日注意してあげるね」
「真夜は俺の母さんかよ。止めてくれよ。鬼。悪魔」
真夜はクスクスと笑った。
真夜は遠くへと視線を向ける。
「でもいいなぁ、私も夏休みが欲しいなぁ。一哉君みたいにどこか行きたいなぁ。そんなに遠くじゃなくていいから、近場でもいいから遊びに行きたいなぁ」
一哉はすかさず言う。
「行けばいいじゃん。そうだよ、真夜も一緒に遊びに行こうよっ。山に行ったり海に行ったりしようぜ」
「無理だよ。前にも言ったでしょう、私にはとぉーっても危険な力があるんだって。その力がある限り私は外には出れないんだから」
「そんなの、要は触らなければいいんだろう? 手袋とかすればいいじゃん。それに家の人が一緒だったら何とかなるんだろう? だったら家の人に付いて来てもらえばいいじゃん。がんばってお願いすれば少し遊びに行くくらい許してもらえるって」
真夜はうーんと考えるが、
「たぶん無理だと思うよ。私の力は手袋くらいじゃ防げないし、それに人が大勢いるところはさすがに危険すぎるから。いくら姉さんや兄さんがいたとしても、そんな状態だと対応は難しいと思うし……」
「そんなぁ、せっかくの夏なんだぜ。楽しまないのはもったいないよぉ。なぁ、どこかに遊びに行こうよぉ。出掛けようよぉ。なぁ」
「無理言わないでよぉ。私だって遊びに行けるものなら遊びに行きたいんだからぁ」
「でもさぁ……」
もう何度もこの小さな家に来ていたため気が緩んでいたのかもしれない。
夏休みに入ったことで気が大きくなっていたこともあるだろう。
無意識のうちに声が大きくなってしまっていたらしく、その声は母屋の方にまで響いてしまっていたようで……、
「そこのガキっ! そんな所で何してやがるっ!」
母屋の玄関が壊れんばかりの勢いで開け放たれ住人が勢いよく飛び出してきた。
そして物凄い勢いでこっちへと走ってくる。
「やべっ、気付かれたっ」
一哉は即座に真夜との会話を切り上げると踵を返す。
「真夜、またあとで来るから」
「あ、うん、分かった」
一哉は全速力で窓の下から離れる。
そんな一哉を真夜は胸の前で小さく手を振って見送る。
一哉は庭の隅に生い茂る草むらの中へと飛び込んだ。
数秒遅れて館の住人である青年が一哉が立っていた場所へと辿り着く。
青年は一哉が飛び込んだ草むらに向かって怒鳴る。
「二度と来るんじゃねぇぞ、糞ガキっ! 今度来たら承知しねぇからなっ!」
一哉は山の斜面を利用して鉄柵を乗り越えると敷地の外に出る。
そしてそのまま遠くへと逃げ去った。
◇
緋野夕輝はイライラした様子で頭をボリボリと掻き、言う。
「真夜っ! いったいどういう積もりだ。お前は自分がどういった力を持っているのか忘れたのかっ!」
「ご、ごめんなさい……」
「謝って済む問題かっ! お前が触れたらあのガキは死んでしまうんだぞっ! それを分かっているのかっ!」
「あの、だから、触らないように気を付けて……」
「それでもだっ!」
真夜はビクッとして身を縮める。
「いくら気を付けていても、絶対に触らないなどという保証はどこにも無い。お前に触る気が無くても、何かの弾みで触ってしまう可能性だってゼロとは言い切れないだろう。それともお前は絶対に触らないと言い切れるのかっ、それを保証できるのかっ!」
「それは……」
「お前がやっていることは、あのガキを死の危険にさらしているのと同じなんだぞっ!」
「……はい」
「もしお前があのガキに触れて、あのガキが死んだら、お前はどう責任をとる積もりだ。残されたあのガキの家族になんと言って謝る気だ。死なせる積もりは無かった、気を付けていたのに偶然触れてしまった、仕方が無かった、そんなふざけたことを言うつもりなのか」
「…………」
「お前の不用意な行動があのガキを死なせることになるんだぞ、それをちゃんと分かっているのか」
「…………」
「お前はあのガキを死なせたいのか? 殺したいのか?」
「いえ、そんなことは……」
「だったらっ、あのガキを二度とここへ来させるなっ、来ても追い払えっ、分かったなっ!」
夕輝は踵を返すとザッザッザッという足音を響かせて母屋へと立ち去っていった。
少しの間。
「…………はい」
真夜は誰もいなくなった窓辺に向かって返事をした。