1.少女の能力
その後、一哉は真夜がいる小さな家へと通うようになった。
別に真夜のことが好きになったとか恋に落ちたとかそういう訳ではない。
不思議なものに接したい、奇妙なものを間近で見たい、それが何なのかもっとよく知りたい、そんな好奇心からなるただの興味本位からだった。
最初のうちは真夜は怯えた様子でいくら話し掛けてもちっとも答えてはくれなかった。
それでも諦めることなく通い続け、幾度となく話し掛けているうちに、真夜も押しかけてくる一哉に慣れたのか次第に答えてくれるようになっていった。
そして今では、よく話し、よく笑い、冗談さえ言うようになった。
そんな真夜の変化が楽しくて一哉は気が付けばほとんど毎日のように通うようになっていた。
そして今日も、一哉は真夜がいる小さな家の窓辺へと訪れていた。
真夜は少しだけ窓を開けてその隙間から顔を覗かせる。
一哉はそんな窓の斜め下で壁を背にして立つ。
そして二人は窓の隙間を通して言葉を交わす。
それが二人の定位置だった。
一哉は不機嫌そうな様子で言う。
「本当に勘弁してほしいよ。学校では先生に怒られて、家に帰ったら今度は母さんに怒られて、さらに塾に行ったらまた別の先生に怒られるんだぜ。もううんざりだよ。いい加減にしてほしいよ、まったく」
真夜は口元を手で押さえてクスクスと笑う。
「それは一哉君が大人しくしていないからいけないんだよ。ちゃんと言うことを聞いて、ちゃんと大人しくしていれば怒られたりしない筈だよ」
「だって仕様が無いだろう、授業はつまんないし、テストの問題は分かんないんだからさ。ジッとしていたってイライラしてくるだけだし、何かせずにはいられないんだよ」
「ほら、やっぱり大人しくしていないじゃない」
「違うんだって。俺はさぁ、もっとこう楽しく授業を受けたいんだよ。自由にやりたいんだよ。分かんないかなぁ……」
「授業中に騒いだりテストで悪い点を取るような子は怒られて当然だよ」
一哉はぐぬぬと悔しそうな顔をする。
「真夜はどっちの味方なんだよ。俺の味方にはなってくれないのかよ」
「私はどちらかというと先生やお家の人の味方かな。授業中に騒いだりテストで悪い点を取るような生徒の味方にはさすがになれないもん」
「ちぇっ、みんな嫌いだ。固いことばかり言いやがって」
一哉は口を尖らせて足元に転がった小石を蹴り飛ばす。
真夜は口元を手で押さえてクスクスと笑う。
真夜は視線を上げると森の上に広がる青空へと目を向ける。
「でもいいなぁ。私も学校に行ってみたい。一哉君みたいにクラスのみんなと一緒に遊んで、一緒に勉強して、時々は先生に怒られたりもして、そんな学校生活を送ってみたいなぁ」
ずっと疑問に思っていたことがある。
ずっと聞けずにいたことがある。
なんとなく答えは分かってはいたけれど、それはなんだか聞いてはいけないことのような気がして今まで聞けなかったことだ。
今ならそれを聞いてもいいんじゃないだろうか。
むしろ今こそがそれを聞く絶好の機会なんじゃないだろうか……。
一哉はそう思い、思い切って聞いてみることにした。
「なぁ、真夜ってさ、もしかして学校に行ってないの?」
「え」
真夜は少し驚いた表情を見せる。
「あー……」
少し視線を泳がせると、俯き顔を曇らせ、
「……うん。私はこの家から外には出られないから」
真夜はそう答えた。
出られない?
一哉は真夜の言葉に眉をひそめた。
真夜はハッとして顔を上げると明るい声で言う。
「あ、でもでもっ、ちゃんと勉強はしているよっ。姉さんや兄さんに教えてもらっているの。姉さんは普段は静かで優しいんだけど怒ると恐いの。んで、兄さんはスパルタなの。常に厳しいの。今ならきっと一哉君より私の方が頭はいいんじゃないかな。一哉君にはなんだか負ける気がしないだもの」
真夜の明るい様子とは対照的に一哉は神妙な面持ちで質問を続ける。
「病気か何かなの?」
「んー、病気ではないんだけれど、それに似たようなものかな」
「似たようなもの?」
一哉はさらに深く眉をひそめて首を傾げた。
真夜は腕組みをして考え込む。
「う――――ん……」
少しして、
「まぁ、一哉君になら話してもいいかな。でも他の人に話しちゃダメだからね。絶対だよ。約束だよ」
「うん、分かった。それで何?」
真夜は自分の掌へと視線を落とすと表情を曇らせる。
「私にはね、とっても危険な力があるの。触った相手を死なせてしまう、そんな力が私にはあるの。
それは人だけじゃなくってね、動物や植物も何もかも全部。みんな死なせてしまうの……。
そんな私が外に出たら誰かを死なせちゃうでしょう? 大勢の人に迷惑を掛けて取り返しのつかないことになっちゃう。だから私はここから外には出ちゃいけないの。ずっとこの家の中にいなくっちゃいけないの。
だから、学校にも通ってないの……」
一哉はぽかんとした顔をする。
少しの間。
一哉はたまらずふき出した。
「あはははははははっ」
一哉はお腹を抱えて笑う。
充分に笑った後、それでも込み上げてくる笑いを押し殺しつつ一哉は言う。
「突然何を言い出すのかと思えば、変な冗談はよしてくれよ。真面目な話かと思って真剣に聞いちゃったじゃないか」
しかし真夜の暗い表情は変わらない。
「本当に冗談だったら良かったのに……」
真夜は自分の掌を見詰めたまま重い口調でそう呟く。
一哉はふんっと鼻を鳴らした。
「だったらさ、試してみようぜ。人は触ったくらいで死んだりなんかしないんだからさ。ほら……」
一哉は窓の隙間から手を差し入れ真夜へと向けて掌を広げる。握手しようと言うように。
真夜は一哉の手を前にしておろおろした。視線を泳がせ、どうしたら良いのだろうと体を右へ左へと捻って周囲を見回す。
少しして、真夜は身を丸めると動きを止めた。
震えた声で言う。
「ほ、ほんとに危ないから。一哉君にもしものことがあったらいけないから。だから……ごめんなさい」
真夜は深く俯くとそのまま完全に動かなくなった。
一哉は手を差し出したまま動かない。
真夜も身を縮めたまま動こうとしない。
時間だけが過ぎ去っていく。
空気がどんどん重くなっていく。
一哉は何だか悪いことをしてしまったような気分に苛まれた。
「まぁいーや」
一哉は仕方が無く差し出した手を引っ込めた。
重苦しくなった空気を払拭すべく、あえて声を張って明るい口調で言う。
「病気じゃないんならさ、そのうち学校くらい行けるようになるさ。なんたってこの国には義務教育っていうのがあるんだからさ。子供はみんな学校に通わなくっちゃいけないんだから」
真夜は縮めていた体から力を抜き、ホッとした様子を見せる。
そして再び木々の上に広がる青空へと視線を向けると、
「そうだね。そんな日が来るといいな……」
力の無い声でそう呟いた。