8年前にやめました! かつて一日50本吸ったヘビースモーカーの煙草論
煙草は二十歳になってから。
今から8年前、僕は1日50本吸っていた煙草をやめました。
ここ、「男らしくキッパリとやめました!」と胸を張って言いたいところですが、
僕は、うめき、あがき、もがき苦しんで、かろうじて禁煙に成功したって感じ。
どのような手段で禁煙に成功したかと言いますと。
結論から申します。
僕は「禁煙外来」にて、煙草をやめました。
【僕の喫煙歴】
さて、僕の喫煙歴は実に長く、実に重度です。
吸いはじめの数年は1日1箱(20本)ぐらいだったのが、やめる10年前ぐらいからは1日2箱(40本)、やめる2・3年前には1日50本という超ヘビースモーカーに成り果てていました。
僕は幼少の頃、爪を噛む癖がありまして、口さみしいのが嫌というか何というか、ですから煙草をはじめて吸った時は「むせる! 不味い!」なんて拒絶反応もあまりなく、それよりも「おお、これは実に良い嗜好品に出会えたものだ」という喜びが先行しました。酒は今でも嗜みますし、もともと嗜好品に弱い人間なのでしょう。
それからはもう、坂を転げ落ちるように煙草が大好きになってしまい、
気が付けば、ストレスを感じれば吸う。
集中をする為に吸う。
リラックスする為に吸う。
何もすることがなければないで吸う。
車の運転中に吸う。
食事の途中でも吸う。
寝る寸前まで吸い続け、挙句の果てに夜中に煙草が欲しくて目が覚める。
という生活でした。
こう記してみると分かるが、吸う理由なんて何でもよかったのかもしれん。たはは。
禁煙を試みたことは何度もありましたが、ダメでした。
まあ、失敗するに決まってます。
理由は簡単、表面上禁煙のマネゴトをしているだけで、気持ちのどこかで「本当はやめる気なんてさらさらなかったから」です。ダメだこりゃ。
【禁煙へのステップ①】
そんな僕が、本気で禁煙する気になったきっかけは、これまた笑っちゃうぐらい単純な理由で。歳っすかね。体に不調を感じるようになってきたのです。
20代、30代では感じられなかった「胸が痛い、疲れやすい、食欲不振」といった症状です。
なんか最近体の調子悪いなあ。
もう、うんざり。何なんだよ、煙草って。俺っち、いつまでこんな乾いた葉っぱに振り回されて生きるつもりじゃい。
なーんてふと思ったんです。本当にその程度の、僅かな、微かな、心境の変化がきっかけです。
【禁煙へのステップ②】
んで、なんか、マジで、本格的に煙草をやめたくなってきたので、禁煙への次のステップとして、「何故自分は煙草を吸うのか?」ということを恐れずに理論立ててみようと思ったんですね。
僕はどちらかというと、理屈っぽい人間。ていうか、我ながらだぶんスゲー屁理屈こきな人種に属しているという自覚があって。ですから普段から物事を理詰めで追及していくのがけっこー好きなのだけれど。
こと自分が煙草を吸うという理由に関しては、真正面から考えてみたことが、これ一度もなかったのです。
何故って? 理詰めの先にある結論が薄々見えていたからでしょう。そして、この時「何故自分は煙草を吸うのか?」を、逃げずに真向から理詰めしてみて確信しましたね。
俺っちの喫煙に理論なんてねーよ!
中毒だから吸う! 以上!
【禁煙へのステップ③】
さて、一大決心して、いよいよ近所のお医者さんに禁煙外来に行きました。
僕が受診した時は、車に乗る人への飲み薬の処方が禁止になったばかりの頃でした。
診察の内容としては特に医療的な行為はなく、ただ、先生と10分程お話しするだけ。
あとは薬局でもふつーに売っている体に張るニコパッチを貰うだけ。
ただし先生との問診のなかで「Q輔さん、あなたは重度のニコチン中毒者です」と面と向かってハッキリ言われたのはキツかった。この一言が僕の禁煙への意識を決定づけましたね。
やっぱりね。他人に、医者に「あんた中毒者です」とハッキリと病名をいただくってのはね。分かりきってたことなんですけどね。何かすんげーキツかったです。
【禁煙へのステップ④】
その日から、禁煙がスタートしました。はじめの2週間ぐらいは、離脱症状で、なんかずっとフワッフワしていて、視界もクラクラしてして、仕事も手に付かないような状態でした。
キッパリと苦も無くやめましたという人もいますが、僕はダメでした。離脱症状で、うめき、あがき、もがき苦しみましたよ。
でも、2週間を過ぎるとだんだん煙草に対する飢えは薄れてきて、禁煙1ヶ月目には吸いたいという欲求は、ほぼなくなっていました。
【禁煙へのステップ⑤】
2か月目にはニコパッチなしで生活していましたし、3か月目には「よし! 煙草やめた!」という実感がありました。
それでも半年間の禁煙外来の期間中、決められた検診日にはサボらず全て行きました。
なんかね、禁煙外来を最後までやり遂げれば、きっと煙草の呪縛から解放される、間違いない、と漠然と思ってました。
んで、半年後、先生に「本日で禁煙外来卒業です。Q輔さん! おめでとう!」と言われた時は、やっぱり嬉しかったです。
病院から出て夕空を見た時、新しい世界が開けた感じがしましたもん。
「見よ! ニューワールドだ!」
両手を広げ、大声で叫びましたもん。ははははは。
【僕の煙草論】
あれから8年。以前は煙草で使い切ってしまっていたお小遣いで、今では登山に行ったり、温泉巡りをしたり、書籍をがんがん買いあさっています。あと、家族に強制的に昼飯をおごらされたりしています。とほほ。
都心の駅周辺や、ショッピングセンター内や、テーマパーク内等でも、以前のように煙草を吸える場所を探してソワソワするようなこともなくなり、ゆっくりとレジャーや買い物を楽しめるようになりました。
そうそう、煙草をやめると飯が美味くなるっちゅうのは、僕の場合は本当でした。煙草による味覚の麻痺がなくなったのだと思います。若干太りましたよ。
そして何より、家族の評判が良い。娘達がパパ煙草臭いと言って逃げない。妻とは煙草のことで何度も大喧嘩をしてきましたが、今はそれもなくなった。その節はすまなかったね、妻よ。
僕にとって煙草とは何だったのだろう?
あれだけ大好きだったのに、今じゃ未練のかけらもねーや。
今、目の前に100万円積まれて、煙草1本吸ったら、この現金をやると言われても、僕は吸わない。
もう、吸いたくない。もう、あのような生活に戻りたくない。
今回「煙草論」なんて題して、いろいろ書いてみたけど、やっぱり、先に述べたように、あくまで僕の喫煙に理論はなかった。
そして、屁理屈こきな自分としては、理詰めで追及出来ないようなものに、興味がなくなったのだと思う。
大人の嗜みとして煙草と適正な距離を取り、社会のマナーをも守って煙を楽しむ。そんなスタイリッシュな愛煙家に、少なくとも僕はなれなかった。
振り返ってみると、煙草の失敗で、たくさんの人に迷惑をかけた。
僕には、煙草を吸う資格がない。
だからやめた。
でさ。
やめたら、やめたで、他人の煙草の煙がすごく迷惑に感じたりするのよね。
まったく、人間ってやつは……。もとい、まったく自分ってやつは。
煙草は、社会のマナーを守り、節度を持って嗜んでくんなまし。