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第80話



***



「さあ、行きましょう」


 自分を励ますように声に出して、レイチェルは墓地の中を歩き始めた。

 闇夜の中にかすかにぼんやりと初代国王を祀った祠の影が見える。だが、そこに辿り着くためには一軒の粗末な家の前を通らねばならないことに気づいた。墓守りの家だ。

 煌々と明かりが漏れていることから、まだ起きているのだと思われた。レイチェルは明かりが届かない場所で踏みとどまった。


(どうしよう……)


 明かりが消えて寝静まるのを待とうか、と考えたが、墓守りがいつ眠っているかなどレイチェルは知らない。

 見つかったら万事休すだ。だが、ここでいつまでも突っ立っている訳にもいかない。レイチェルは覚悟を決めてそろそろと動き出した。身を低くして、明かりの漏れる窓の下を通り抜ける。心臓がドキドキして、自分で口を押さえていないと叫んでしまいそうだ。

 音を立てないように扉の前を通り過ぎ、家の中から人が出てくる気配がないのを確かめて、レイチェルはほっと息を吐いた。

 だが、安堵したその途端、地面の窪みに足を取られてがくんっと体が傾いだ。


「きゃっ……」


 慌てて口を押さえたが、後の祭りだ。家の中からがたん、と音がした。


「誰かいるのか?」


 人相の悪い男がぬっと出てきてランタンで闇を照らした。

 レイチェルは逃げようとしたが、その前に墓守りの目がこちらを向いた。


 墓守りの男は、レイチェルの姿を見て「なぜ少女がこんな時間に」と、不思議に思った。だが、次の瞬間にはその目が恐怖に見開かれた。


 ランタンの明かりに照らし出された少女の白い肌には、醜い黒い痣がくっきりと浮かび上がっていた。


「ば、化け物めっ!」


 男が叫んだ。レイチェルは身を翻して逃げ出した。一度、家の中に戻った男が片手に棒を持って再び戸口から出てくる。男のくわえた笛が闇夜を切り裂く音で鳴り響いた。


 レイチェルは迷った。このままでは人が集まってくる。今、祠に駆け込むところを見られたら、ここに地下道の入り口があるとバレてしまう。

 レイチェルは歯を食い縛ると、走る向きを変えて墓地の出口へ向かった。


(なんとか逃げ切るしかないわ)


 追っ手をまいて、こっそり戻ってくるしかない。だが、墓地を出たところで街道の奥から二、三人の兵士が走ってくる影が見えた。レイチェルは咄嗟にそばの建物の影に隠れた。

 兵士達は墓守りと合流して、彼から話を聞いている。レイチェルは息を潜めて彼らの様子を窺った。

 レイチェルらしき少女がここにいたと知れば、もっと人が集まってくるかもしれない。


(彼らがどこかに行ってくれれば……)


 レイチェルの願いむなしく、二人の兵士が墓守りと共に走り去り、一人の兵士がその場に残って辺りを見張りながら待機していた。祠へ行くためにはどうしてもその横を通らなければならない。

 このままでは何も出来ないまま見つかってしまう。どうしよう、どうしよう、とレイチェルが唇を噛んだ。その時、少し離れた路地から悲鳴が聞こえた。


「きゃー! レイチェル!」


 レイチェルははっと辺りを見回した。


「待ってー! どこに行くの?」


 レイチェルに向かって呼びかける少女の声。それに応える声が響く。


「追いかけてこないでっ!」


 無論、レイチェルは声を出していない。何が起きているのかと思う間もなく、「どこだ!?」「こっちにいるぞ!」という男の声とばたばたと乱雑な足音が聞こえる。


「きゃー!」

「あっちよ! あっちに行ったわ! 誰か来てーっ!」


 残って待機していた兵士も、声のする方へ走っていった。


(今のは……)


 呆然とするレイチェルの腕を、誰かがぐいっと引っ張った。


「レイチェル、こっちだ」


 レイチェルは目を丸くした。パーシバルが、片手にランタンを持ってもう片方の手でレイチェルを引き寄せた。


「パーシバル……?」

「レイチェル!」

「マリッカ!?」


 路地から姿を現した親友は、レイチェルの姿を見て息を飲んだ。


「いったいどうしたの!?」

「あ、これは……」


 レイチェルは自分の肌を覆う黒い痣を思い出して言い淀んだ。


「いいわ。後で聞かせて。それより、逃げるわよ」

「あっ、待って!」


 腕を引かれそうになって、レイチェルは慌てて手を振りほどいた。


「私、祠に行かなきゃいけないの!」

「祠?」


 マリッカが眉をひそめた。


「祠って……」

「きゃあ!何すんのよ!」


 マリッカの言葉を遮って、悲鳴と争うような声が聞こえた。


「リネットが捕まったみたいね」

「ああ。助けてくる」


 マリッカが言い、パーシバルが声の方へ駆け出した。

「え? リネット……」

「あの子ってば、本当に貴族の世界が合わなかったのね。令嬢として振る舞うのが苦手なはずだわ。こんな状況で怯えもせずに、囮になるって言ってウキウキしていたわよ」


 戸惑うレイチェルに、マリッカが肩をすくめた。

 先ほど響いた悲鳴はマリッカとリネットが上げたもので、リネットはレイチェルの振りをして逃げたのだという。本物のレイチェルから目を逸らすための下手な芝居だったが、思いの外上手くいった。


「どうして、ここに……」

「アンタが隠れそうな人気のない場所を予想して、皆で夜空を見張ったのよ」

「皆?」

「私達とパーシバル様のお家の人達ね」


 夜空を飛ぶ二つの赤い光をみつけたのはリネットだったという。よくよく目を凝らせば、赤い目を光らせた夜空より黒い何かが空を泳いでいるのが見えた。


「アンタのせいで首が痛くなったわ」


 マリッカは自分の首をさすりながら笑った。



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