第69話
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レイチェルを乗せて馬を走らせたパーシバルは、下町の一角で馬車を停めた。
降りるように促され、レイチェルは戸惑いながらも従った。パーシバルはレイチェルをアパルトメントの小さな部屋に通し、「ふう」と息を吐いた。
「まだ足りない物もあるけれど、私達の住む家なんだ」
辺りを見回すレイチェルに、パーシバルはそう言った。
「私達……」
「私とリネット」
パーシバルはレイチェルに向かって困ったように微笑んだ。
「本当にすまなかった。あんなことになるはずじゃなかったんだ」
あの日の朝のことだとすぐにわかって、レイチェルは頷いた。
「リネットから聞いたわ。あなたのご両親も承知していたって」
「ああ。君にちゃんと話すのが遅れたばっかりに、あんな風に君を傷つけることになってしまった。本当に申し訳ない」
パーシバルは真摯に頭を下げて謝罪した。レイチェルは複雑な気分でそれを見守った。
「朝になったら、王城へ送っていくよ。公爵閣下のことは良く知らないが、君を大切にしてくれているんだろう?」
レイチェルは少し頰を赤くして頷いた。パーシバルはレイチェルに椅子を勧め、自分も向かいに腰掛けた。
「君達のご両親は悪い人じゃない」
パーシバルは真剣な表情で切り出した。
「それは確かだ。二人とも、自分なりに君達のことを愛しているつもりだと思う。でも、愛していても、自分の子供を駄目にしてしまう親は存在する」
レイチェルはぱちりと目を瞬いた。
「自分の子供には、自分より幸せになってほしくないと思う親もいるんだ。どうしてかは、わからないけれど」
パーシバルは硬い声で言って、溜め息を吐いた。レイチェルはどうしてかわからないという言葉に頷いた。レイチェルにも、どうしてかわからない。ずっと、わからないままだったし、レイチェルは途中で理解する努力を放棄した。
「本人達に自覚はないだろう。でも、悪気はなくても、君達の両親は君達には悪影響だった。だけど、リネットはご両親から離せば大丈夫だと思った。あの子は君を慕っていたからね」
「……リネットは、随分、成長したのね。あなたのおかげで」
レイチェルは少し恥ずかしい気持ちで呟いた。姉の自分はリネットに何もしてやらなかった。パーシバルのように、ちゃんと向き合って言い聞かせれば、リネットはあんな風に自分で考えて行動できる人間になれたのに。
「まあ、なんのかんの言い訳したところで、私が心変わりして婚約者を変えたことには変わりがない。でも、リネットをご両親から離して、君には私なんかよりもっとしっかりした相手を紹介すれば、上手くいくと思ったんだよ」
パーシバルは肩をすくめた。
レイチェルはなんだか新鮮な気持ちで元婚約者を眺めた。憎いとか、裏切られたとかいう気持ちが少しも湧き上がってこないのは、パーシバルとリネットの言うことに納得できたからだ。
「ごめんなさい。私、もっとリネットともあなたともちゃんと話していれば良かった。誰も味方がいないと思い込んで、一人で突っ張っていたから悪かったの」
前の自分を思うと、ずっと頑なに閉じこもって家族を拒絶していた気がする。自分を守るためとはいえ、心に壁を作り、両親を嫌い、妹を見下していた。
マリッカやパーシバルのように、そのままのレイチェルを認めてくれる相手にも、どこかで壁を作っていたのかもしれない。ヴェンディグと出会って、そのままの自分を「好ましい」と言ってもらえたあの瞬間まで。
それから、レイチェルとパーシバルは空が白み始めるまで語り合った。婚約していた時にも、こんなに真っ直ぐに正直な心を打ち明けたことはなかった。
朝方に少しだけ眠って、レイチェルはパーシバルに馬車で送り届けられて王城へ帰還した。
そして、離宮の様子がおかしいことに気づいて眉をひそめた。