第41話
***
王宮と離宮の間には小さな林がある。先々代の王妃が離宮に住む寵姫から王の住まう宮が見えないように目隠しのために植えさせたと言われている。
その林の中、一番大きな木を目印にして、王宮からやってきた少女と離宮からやってきた青年は木の下だ抱き合った。
「ニナ……」
「ライリー様……」
愛しい相手との、束の間の逢瀬。木々に隠れ、誰にも見られることのない秘密の関係だった。
ノルゲン子爵家の次男であったライリーは、十一歳の時、ルージック伯爵家の娘婿にと婚約の打診を受けた。相手は五つ年下のニナという令嬢で、奥方の体が弱く次の子を望めないため早々に婿を決めて教育したいという意向だった。
話がまとまりかけていた矢先、ライリーの父が収賄の容疑で逮捕され、ノルゲン子爵家は没落寸前となり婚約話は無効になった。
その後、ライリーは呪われた第一王子の世話役として離宮で暮らすことになり、ニナは別の相手と婚約するはずだった。
だが、病弱だったニナの母親が風邪をこじらせてあっけなく亡くなると、伯爵は後妻を迎えた。若い後妻は立て続けに男の子を産んだため、ニナが婿を取る必要がなくなった。
そうして月日が過ぎ、ヴェンディグの生活を整えるために離宮と王宮を往復していたライリーと、王太子妃の友人として王宮へ上がったニナが再会したのは去年のことだ。ライリーは二十二歳、ニナは十七歳になっていた。
「ライリー様……このまま二人で一本の木になってしまいたいですわ。そうすれば、誰も私達を引き裂けないでしょう」
「ニナ、私も君を離したくはない」
偶然の再会は、幼き日に芽吹くことなく消え去った恋心にあっという間に火をつけた。かつて、火のつくこともなく取り上げられたはずの恋心は、激しく燃え上がって二人の身を焦がす。
ニナが王太子妃に呼ばれて王宮を訪れた日にのみ許された、束の間の逢瀬だった。そっと王太子妃の元から抜け出してくるニナと、ニナの訪れを待つライリー。ほんのわずかな時間しか会えないとわかっていても、この気持ちを抑えることなど出来やしなかった。
「ライリー様……私……」
「ニナ、もう戻らなければ」
何か言いかけたニナの言葉を遮って、ライリーはニナの肩をそっと掴んで身を離した。ニナはほろりと涙をこぼし、何も言わずに身を翻した。
ライリーにはその姿を見送ることしか出来ない。
ニナはもう十八歳。既に嫁入りの話が出ているはずだ。由緒正しい伯爵令嬢のニナと、名誉を失った子爵家の次男では、到底釣り合いが取れない。
いつかは夢から覚めなければならない。残された時間がごくわずかであるのだと、ライリーは良くわかっていた。
***
お茶の時間が終わった後、レイチェルの元気がなかった気がしてヴェンディグは傍らのライリーに問いかけた。
「レイチェルの奴、何かあったのか」
ライリーは茶器を片付けていた手を止めて答えた。
「レイチェル様は、ヴェンディグ様のお役に立ちたくて頑張っていらっしゃるんですよ」
そこで言葉を切って、呆れたような目をヴェンディグに向けてきた。
「どうせ、レイチェル様の気持ちも何も考えずに「何もするな」とか言ったんでしょう」
「言ってない! ……と思う」
己の言動を思い返して、ヴェンディグは頭を掻いた。
昨日、友人と会った時に何かあったのだろうか。思い当たることといえばそれくらいだ。
(ラクトリン伯爵令嬢だったか?)
ラベンダーのサシェはその友人から貰ったとかで、改めて謝られたが、まさかあんな些細なことを引きずっている訳ではあるまい。ナドガがラベンダーの香りを嫌うだなんてレイチェルは知らなかったのだから。
「気になるのなら、ちゃんとレイチェル様の話を聞いて慰めて差し上げてください」
ライリーにそう言われて、ヴェンディグは口を尖らせた。
「別に、俺なんかに慰められてなくても平気だろう」
たった一人で呪われた公爵の元に乗り込んでくるレイチェルの強さを思うと、自分の慰めなど必要ないだろうとヴェンディグは思った。どんな困難も知恵と勇気で乗り越えていけるに違いないと、レイチェルの初対面の印象がヴェンディグの中で固まってしまっていた。
そんなヴェンディグを見て、ライリーは肩をすくめた。
「ヴェンディグ様は引きこもりで女性に全く免疫がないんですから、自分の思い込みで判断せずにレイチェル様の話を真剣に聞いて差し上げてください」
ヴェンディグは「うぐ」と唸った。
それからライリーをじろりと睨みつけ、何か言い返してやろうと頭を働かせる。
ヴェンディグは確かに十二年間離宮に引きこもっているが、ライリーだってほぼ同じくらい離宮に暮らしているのだ。ヴェンディグと違って王宮へ行くこともあるし外に出ることも多いので引きこもりとは呼べないが、ライリーだって女性にそこまで慣れている訳でもあるまい。
「お前はここに来た時、十一だったか。今は二十三だよな」
「ええ」
ライリーは返事をしながら、片付けを再開させた。
「お前もそろそろ結婚しなくちゃいけないよな」
ヴェンディグが何気なく言った台詞に、ライリーはぴたりと手を止めた。
ヴェンディグはライリーの様子に気づかず言葉を続ける。
「俺の側近と思われているとなぁ……レイチェルみたいな度胸のある令嬢がいればいいが……そうだ! 陛下に頼んで……」
「結構です」
ライリーが硬い声できっぱり言った。
「私はヴェンディグ様の世話で手一杯ですから、余計な気を回さないでください」
冷たく言うと、ライリーは茶器を持って部屋から出て行った。取り残されたヴェンディグは、何故か急に素っ気なくなったライリーの態度に目を瞬いた。