第39話
「そういえば、パーシバル様もぱったり社交に出てこなくなったわね。夜会の時にお姿をお見かけしなかったわ」
マリッカが思い出したように言った。
「まあ、今出てきたら針のむしろでしょうけれど」
レイチェルは少し眉をひそめた。リネットはともかく、パーシバルは社交の重要性を理解しているし、易々とそれを投げ出すような性格ではないのだがと思った。
(まあ……もう私が気にすることでもないわね)
彼らとは関わらなければいいのだと、レイチェルは自分に言い聞かせた。そんなことよりも、ヴェンディグの役に立ちたい。
レイチェルはマリッカに離宮に押しかけてから起こったことを話した。利用するつもりで公爵と対面したこと。レイチェルの魂胆は見抜かれていたのに、公爵は初恋話をでっち上げてまでレイチェルを救ってくれたこと。その恩に報いたいのに、何一つ役に立てていないこと。
もちろん、ナドガのことは一言も話さなかった。
静かに聞き終えたマリッカは、お茶のカップを置くと長い溜め息を吐いた。
「公爵様も苦労するわね」
レイチェルは頭を殴られたようなショックを受けた。マリッカですら難しい顔をするほど、自分はヴェンディグの重荷になっているのだろうか。優しいから言い出せないだけで、向こうはレイチェルが出て行くと言うのを待っているのかもしれない。
悪い方向へ考えを向けて暗い顔をしているレイチェルを見て、マリッカがやれやれと肩をすくめた。
「レイチェル。アンタはもっと公爵様のことを信じなさい」
「信じているわ」
まだ出会っていくらも経たないが、あのように献身的に民に尽くす人を疑える訳がない。
「信じているっていうなら、公爵様がアンタにしてくれたことも信じなさい」
マリッカはレイチェルの鼻先に人差し指を突きつけた。人を指さすだなんてマナー違反もいいところだ。
「公爵様はアンタのために嘘まで吐いて婚約者になってくれたのよ。それが何故なのか考えなさい」
レイチェルは首を傾げた。何故なのか、なんて、それはヴェンディグが寛容だったからだ。あり得ないほどの無礼を働いたレイチェルを許して救ってくださるほど、聡明で寛容な人だからだ。
レイチェルはそう確信している。しかし、マリッカはゆるゆると首を横に振った。
「公爵様がどうしてアンタに寛容だったのかを知るのよ、レイチェル」
マリッカはそう言った。レイチェルはよくわからなくて首を捻るだけだった。
すると、不意にマリッカが吹き出した。
「アンタは自分が両親や妹に振り回されてきたと思っているかもしれないけれどね」
マリッカは愉快そうに目を細めた。
「あなたは自分で思っているほど無力でも淑やかでもないのよ、レイチェル」
クッキーとマリッカお手製のラベンダーのサシェをお土産にいただいて、レイチェルは離宮に帰ってきた。
部屋に戻って一人で考えてみたが、マリッカの言ったことはよくわからなかった。
レイチェルはマリッカに貰ったサシェをポケットから取り出した。ふわっとラベンダーが香る。どこに置こうか少し迷って、クローゼットを開けてガウンのポケットに入れた。こうしておけばナイトドレスにほんのりと匂いが移って良く眠れるに違いない。
ヴェンディグがどうしてレイチェルに寛容だったのか、なんて、ヴェンディグが優しい人だから以外の理由があるのだろうか。
なんでもはっきり言う性格のマリッカがあんな風にはっきりと核心を突かない言い方をするのは珍しい。そのせいか、レイチェルの頭の中でマリッカの台詞がぐるぐる回って、消えてくれなかった。
「自分で思っているよりも無力でも淑やかでもない……」
レイチェルは自分を淑やかだと思ったことはないが、無力感に打ちのめされたことは何度もある。
アーカシュア侯爵家で、レイチェルは常に無力だった。本当に幼い頃は普通に愛されていたと思う。けれども、いつからか徐々にレイチェルから両親の愛は失われていった。
可愛げがなかったせいだろう。リネットのように何も出来ずに泣いている子の方が両親には可愛かったのだ。それは仕方がない。親子にだって相性というものはあるのだろう。
両親の理想の子供はリネットで、レイチェルは理想じゃなかったというだけのこと。けれども、両親の理想通りに育ったリネットは、きっとこの先とても苦労するだろう。
理想通りの愛らしい娘を得ることと、娘が将来きちんと生きていけるように育てることを天秤にかけて、両親は愛玩する方を取ったのだ。
そして、レイチェルはそれを受け入れられなかった。レイチェルは無力で、自分を守るのに精一杯で、リネットまで守ってやる余裕はなかった。
だから、リネットがああいう風に育ってしまったことに少しだけ負い目も感じる。
今後はパーリバルが妹を正しい方向へ導いてくれればいいと思う。
「私に出来ることは何もない……」
レイチェルはぽつりと呟いた。




