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前編

 もう無理。もうダメ。


 リンセは深く深く溜息をついた。


 今日は学院が休みの週末。そして、婚約者ハバリーの家から指示されている彼との2人でのお茶会の日だった。


 けれど、たった今、ハバリーの従僕が申し訳なさそうにハバリーが今日は来られないと連絡に来た。可哀想なくらいに何度も何度も頭を下げていた。


 それも当然だ。既に予定の時間から2時間も遅れている。そして殴り書きのような約束キャンセルを伝える手紙。


 そこには詫びの一言もなく、事実を伝えるのみ。文字だって相手を気遣った丁寧なものではなく、片手間に走り書きしたようなものだ。


 それを持ってきた従僕は彼に非はないのに、恐縮しきっているのが逆に申し訳ない。けれど、彼がそうなるのも無理はない。こうして約束を反故にされるのは初めてではないのだから。


 婚約して約2ヶ月。2人の仲を良好にするためハバリーとは毎週お茶会をすることになっていた。侯爵夫妻の配慮でリンセが緊張しないリンセの自宅でのお茶会をすることになっていたのだ。


 その後関係が進めば、一緒に出掛けたり、侯爵家に招いたりするはずだったが、そこまでの親交はまだない。


 それも仕方のないことだ。毎回あちらの都合で土壇場になってキャンセルされているのだから。いつも時間の直前か、酷ければ約束から数時間後にハバリーから今日は行けないと連絡がある。その理由は毎回同じだった。


 そのため、7回のお茶会は一度も開かれたことはない。ハバリーが詫びに訪れることもない。従って2人が顔を合わせるのは学院だけだ。そしてそこで言い訳にもならない言い訳を聞かされる。因みに言い訳はするが謝罪はない。


 その理由が正当なものだと思っているのはハバリーだけだ。両親も彼がさも当然のように語る理由に呆れかえっている。


 これが同格の伯爵家、或いは下位の貴族家であればとっくに婚約解消している。だが、相手は格上の侯爵家。しかも婚約者の姉レオーネは王子妃となっていて王家とも深い縁のある家だ。


 こちらからはとても婚約解消を願い出ることなどできない。婚約者に明確な瑕疵、犯罪行為でもなければ、身分を考えて伯爵家からの婚約解消を願うことは難しい。高位貴族であり、婚約者とその理由以外は問題ない家なのだ。


 そもそもリンセとハバリーとの婚約は、ハバリーの一目惚れから結ばれたものだった。決してリンセが望んだものではない。


 リンセはほのかに恋を抱く相手がいた。なんとなくその想いが一方通行ではないことにも気づいていた。ただ、彼の身分から想いを伝えあうのは中々に困難で、親しい学友として言葉を交わす以上のことは出来ていなかった。


「学院の卒業までには何とか道筋をつけるから、待っていてくれないか」


 そう彼から言われた。リンセ個人としては頷きたかったが、そう簡単なことではない。貴族の結婚は家同士のつながりを求めるものが殆どだ。だから当主である父が決めてしまえば、リンセに拒否することは困難だ。


 それでもリンセは待ちたいと思った。だから、正直に家の決定次第では待てないかもしれないが、自分は待ちたいと伝えた。彼はそれでもいいと笑ってくれた。


 なのに、侯爵家からの婚約申し込みがあった。そして父はそれを2つ返事で受け入れた。父も母も自分がほのかな恋情を寄せる相手がいるとは思ってもいない。彼の身分からそうそう簡単には口に出せなかったのだ。けれど伝えておけば良かったと思った。


 リンセは第2王子妃であるレオーネと交流があった。5年制の貴族学院での先輩後輩にあたる。4つ年長のレオーネとは1年間しか学院生活を共には出来なかったが、とても可愛がってもらったのだ。


 弟しかいないリンセにとってレオーネは憧れの女性であり『お姉さま』だった。名の通りに凛々しく美しいレオーネは学院全生徒の憧れの存在だった。


 レオーネの卒業後もありがたいことに交流は続き、王宮内の第2王子の居館(青藍宮)に招かれることもあった。なんだかんだと月に一度は招かれて恐れ多くも第2王子ネムル殿下や第3王子ルプス殿下とも交流を持つに至った。


 そんな中、姉を訪れたハバリーがリンセを見初めたのだという。直接対面はしていない。影から覗き見たらしい。正直覗き見など気持ち悪いと思ったが、上位貴族に対してそんなことは言えない。


 ハバリーは貴族学院の同学年だが、今までにリンセとの交流はない。レオーネの弟が同学年にいることは知っていたが、特に彼を意識したことはなかった。


 学院最終学年になっても婚約者が決まらない状況に頭を悩ませていた侯爵夫妻は、ハバリーが望んだ婚約を熱心に進めた。今考えればやたらと押しが強かったし、打診から正式な婚約まで異常な速さで事が進んだ。


 あれはこういうことだったのか。


 そして、婚約打診があったことを知ったレオーネは


『無理はしなくていい』

『断って構わない』

『両親が文句をいうならわたくしが黙らせる』


と婚約には反対していた。そして、秘められた恋の相手にさっさと行動しないからと憤ってもいた。


 だが、リンセの両親は格上の侯爵家からの打診に大層喜んでいたし、リンセとしても侯爵家とのつながりが出来れば、跡を継ぐ弟のためにも領地のためにもなると特に断る理由は思いつかなった。自分の心の部分以外では。


 なので、この婚約は結ばれた。


 するとレオーネは


『何かあったらすぐにわたくしに相談してちょうだい』

『我慢する必要はなくてよ』


とリンセの手を握って、いやに真剣にそう言った。


 あれはこういうことだったのか。


「レオーネ様はこういう事態を想定なさってたってことよね」


 リンセはレオーネに面会希望の手紙を書き、返事が来た翌日、青藍宮を訪ねたのだった。






 リンセは既に顔馴染みとなっている青藍宮の侍女に案内されて、レオーネの許を訪れた。いつも案内される私的な応接室だ。


 待つこと数分、宮の女主人であるレオーネが現れた。いつ見ても凛々しく麗しい女性の姿にリンセは感嘆の溜息をつく。容姿だけなら婚約者と似ているが、その雰囲気や佇まいは全く異なる。


「お待たせしたわね、リンセ」


「お招きありがとうございます、妃殿下」


 立ち上がりお辞儀をし、招待の礼を述べる。レオーネはにこりと笑い、着座するよう勧める。給仕係がお茶と菓子をサーブし部屋を辞すと、そこからは身分差を気にすることなく、友人として接する。それがレオーネが望んだ距離感だ。


「さて、話は愚弟のことね?」


「はい、ハバリー様のことでご相談がございますの」


 ずばりとレオーネは切り込んできた。リンセの相談事など現状では弟との婚約のことしかない。


「この2ヶ月、約束していたお茶会は一度も御出でになっておられませんの。毎回今日は行けなくなったと従僕が連絡に参りますわ」


 約束の時間前に連絡があればまだいいほうだ。婚約した当初は約束の時間前に連絡があったが、今では約束の時間を過ぎてからの連絡だ。


 最近では侍女やメイドもハバリーが来ないことを想定して、時間が経っていてもおいしく食べられる菓子を用意するようになっている。


「……そう。随分な失礼を働いているようね。わたくしからお詫びするわ、リンセ」


 ピキリと蟀谷に筋を立て、レオーネは真摯に詫びる。


「いいえ、レオーネ様が謝ることではありませんわ。謝らなければならないのはハバリー様ですもの」


 尤もこれまでに一度も謝罪を受けたことはないが。


「どうせあの愚弟は謝りもしないのでしょう? 仕方ないのだから謝る必要などないと」


 どんな理由であれ、約束を果たせないのであれば謝るのが筋だ。たとえ王宮から緊急呼び出しがかかったとしても、親が危篤になったとしても、約束を破った点は一言詫びて然るべきだろう。


 そのうえで謝る必要はないと許すのは約束を反故にされた側、つまりこの場合ならリンセだ。


「お察しの通りですわ」


 弟の行動などお見通しのレオーネに苦笑を返す。


「愚弟の言う正当な理由とやらは、どうせセルドでしょう?」


 レオーネは妹の名を出す。それにリンセは頷いた。


 レオーネの実家アウリャル家には2人の娘と1人の息子がいる。長女レオーネ、長男ハバリー、次女セルドだ。


 セルドは病弱でろくに学院にも通えず、運動など以ての外、すぐに眩暈や貧血を起こし体調を崩す。


 そんな妹をハバリーは溺愛して何事にも優先する。学院ですら、妹のためにと休みがちだ。そのせいか、成績は低迷しているらしい。


 それでもなお、ハバリーはセルド最優先で動く。婚約したばかりでこれから関係を築いていかねばならないリンセよりも優先する。剰え、リンセにもそれを求めるのだ。将来の妹となる哀れなセルドを思いやれと。


 学院で楽しく友人たちと会話していれば『俺の可愛いセルドはろくに学院にも通えず、友人とも会えぬのにいい気なものだな』と嫌味を言われる。将来の義妹に合わせて友人関係を切れというのかと唖然とした。


 家族と観劇に行けば『か弱いセルドは外出もままならないというのに、お前には慈悲の心はないのか』と責められる。何もセルドに自慢したわけではないのに、何故責められるのかが理解できない。


 ならばと、将来の義妹との親交を深めたい、お見舞いさせてほしい、仲良くしたいと言えば喜んでくれた。これで関係が進むかと思ったがそうもいかなかった。


 翌日、ハバリーは見舞いに行きたいと言ったリンセに『病弱な妹に気を遣わせるなど、本当に思いやりのない女だな』などと言い出す。昨日は喜んで『セルドを気遣ってくれるのだな、俺はよい婚約者を選んだ』と自画自賛していたのに。


 どうやら、妹のセルドが嫌がったらしい。病弱で殆ど学院に行けない自分と華やかな友達も多いリンセでは話も合わないだろうし、きっとまた熱が出てしまうとか何とか。


 ハバリー曰く、セルドは繊細で傷つきやすいガラス細工のような少女らしい。愛らしく可憐で健気な天使なのだと言っては、お前も見習えと宣うのだ。会ったこともないのに見習えと言われてもとリンセは複雑な気分になった。


「婚約してまだ2ヶ月ですけれど、正直に申し上げてハバリー様と夫婦としてやっていける気がいたしません。結婚後も妹さんを優先するのは変わらないでしょうし。妹さんが結婚なさって家を出れば変わるのかもしれませんが……今のハバリー様だと妹さんの結婚を認めない気もいたします」


 正直な気持ちをリンセはレオーネに告げた。下位である伯爵家からの婚約解消の申し出はかなり難しい。侯爵家との縁がなくなることで貴族間の付き合いも変わるだろう。尤もまだ婚約して2ヶ月しか経っていないから、婚約による交流はそれほど広がっていない。


 逆にいえば今しか婚約解消の機会はないともいえる。これ以上婚約を継続していては、侯爵家との縁を基とした他家との関係が出来てしまう。そうなると婚約解消による不利益が多くなるのだ。


 だから、リンセはこうしてレオーネに相談しに来た。何とか穏便に婚約解消する方法はないだろうかと。


「判りましたわ。元々わたくしはこの婚約に反対でしたもの。婚約解消についてはわたくしに任せなさい。きっちり愚弟と愚妹を締めるから安心なさい」


 リンセの話を聞いたレオーネはにっこりと微笑み、そう請け負ったのだった。


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