ラファエロ殿下の婚約者候補
昨日一日で、皆の聖女への関心がすっかり薄れてしまった。盛り上がっているのは聖女がいるクラスと第二王子だけだった。相変わらず話題の中心は二匹の神獣だった。
「なんだか廊下が賑やかですわね」
数人の令嬢方が廊下の方を凝視する。確かに何やら黄色い声が……耳だけを廊下に集中させていたら教室の扉が勢いよく開いた。
「リーザ、いるか?」
決して大きい声で言っているわけではないのに、教室中に低音が響いた。
「ラフィ殿下?」
私を見つけた殿下はスタスタと教室の中に入ってくる。廊下で聞こえていた黄色い声が教室にまで伝播した。
何事?そう思いながらも立ち上がると、横に来た殿下はそのまま私を抱き上げた。
「キャッ、ちょっと殿下何を」
「黙ってないと舌を噛むぞ」
悪い顔で殿下に言われ渋々黙る。
「よし、ルーチェ、オスクリタ行くぞ。すまない、騒がせたな。エリーザを借りていく」
そのまま殿下は教室から出てしまった。
「あの、ラフィ殿下。一体私は何処に連れて行かれるのでしょう?」
「王族専用に作られた応接間があるんだ。そこでお茶にしよう」
突拍子もない事を言われた。
「いえ、あの、授業がありますので」
「それは大丈夫だ。教師には許可を取った」
根回し済みだったようだ。話しているうちに応接間に到着した。
部屋に入ると、お茶の準備がされていた。あとは注ぐだけになっている。
『わーい、お菓子だ』
『マドレーヌの匂いがするぞ』
二匹は脇目も振らずお菓子へ一目散だ。
ソファへとそっと降ろされる。ラフィ殿下は手慣れた様子でお茶を注いだ。
「ラフィ殿下、私がやります」
「いいんだ、これくらいは慣れている」
確かに。見た目は繊細なイメージの殿下が、お茶を注ぐ姿は似合っている。サラサラの黒髪が動きに合わせて揺れるのを見て、思わずドキッとしてしまった。
少し早くなった鼓動を落ち着かせようと、お茶を一口飲む。
「美味しい」
胸の辺りがポカポカして少し落ち着いた。
「それで、どんなご用件です?」
いきなりの強制連行。なにか余程の事があったに違いない。
「リーザと二人でお茶を飲みたかったからだが」
「それだけ?」
「むしろそれ以外に何があると?」
「はああぁ」
すっかり脱力してしまった。
「てっきり何かあったのかと」
「ははは、びっくりさせたか?すまなかった」
「もう。でも何もなかったのならいいです」
「聖女には会ったな」
昨日の夕食の時にお兄様が言っていたわ。
「そのようですね」
「驚かないのか?」
「昨日、お兄様から聞きましたもの」
「先を越されたか」
悔しそうにするラフィ殿下が可愛らしい。
「どうでした?」
ラフィ殿下は一体どう思ったのだろう?
「目がチカチカした」
友人もそんなことを言っていた。思わず笑ってしまう。
「ラフィ殿下ったら」
「あの髪の色はちょっとないだろう。間違っても賢そうには見えなかった。実際賢くなかったそうだな。魔力も大したことはなかった」
「そのようですね。でもバイアルド殿下はそのチカチカする髪の色を随分と気に入ってらっしゃいましたよ」
昨日のカフェでの話を聞かせる。
「なるほど、バイアルドだけ落ちたんだな」
「そうなりますね」
「ところで」
私をじっと見つめるラフィ殿下。美しい赤い瞳がキラキラしている。
「私は最近、リーザに会えなくて非常に寂しい思いをしているんだが……それについてリーザはどう思う?」
ドックン!鼓動が大きく鳴った。
「いつでも教室に遊びに来いって言ったんだがな。私が行ってもリーザはいないし」
「そ、それはたまたまです」
ラフィ殿下が私の隣に座り直す。
「学園にいる間は、多くの時間を共有できると思っていたのに、全然会えないのはどういう訳だ?」
一気に縮まった距離に、なんとも居心地が悪くなり少し端にずれようとする。
「逃がさない」
腰に手を回され、動きを封じられる。それどころか、先程よりも身体が密着してしまった。ドキドキと心臓が暴れ出す。
「リーザは俺には会いたくないのか?」
切ない表情で言うラフィ殿下。
「そんなこと!」
否定しようとして言葉が詰まる。
「そんなこと、なんだ?」
赤い瞳が困った顔の私を映していた。
私の心の閉めていたはずの大きな蓋がずれている。それどころか、外れかけてしまっていた。考えたくなかったのに、一度考えてしまえばもう止められない。気持ちが溢れ出てしまう。
「会いたいに決まってます。会いに行こうともしました。でも、私はあくまでも婚約者候補の一人だし、公にもなっていないし……行ってもいいのかなって」
言い終わるのと同時に殿下に抱きしめられた。
「すまない。俺が不甲斐なかったな。グアルティエロに中々認めてもらえないせいで。でも一つ間違っている。婚約者候補と言ってはいるが、リーザ一人だ。リーザだけが婚約者候補なんだ」
「え?」
どういうこと?
「グアルティエロに1年間無事にエリーザが過ごす事が出来たら婚約者として認めると言われたんだ」
お父様の1年というのは何故なのか気にはなるが、今はそれどころではない。
「私、一人……」
ずっと、何人かいるうちの一人だと思っていた。だから、私に決まらなくても心が痛まないように、好きにならないようにしていた。好きにならないようにって思っている時点で好きなんだと、二匹が笑うのに耳を塞いでいた。
「私は、ラフィ殿下を好きでいていいの?」
小さな声で呟けば、しっかり拾った殿下が抱きしめたまま額にキスをした。
「可愛いな、リーザ。心臓がドキドキしてるのがわかる」
密着した状態で耳元に囁かれた。
「一刻も早く正式に婚約したい。なんならすっ飛ばしてすぐに結婚するか」
頭に髪にこめかみに、口以外のあらゆる場所にキスを落とすラフィ殿下。もうダメ、嬉しいのと恥ずかしいので死んじゃう。そう思った時、扉がノックされた。