XCVIII 侍女エリザベス・グレイ
部屋に戻って整理運動をした後、スザンナにノリス君のウェアを洗濯に出してもらった。簡単なモスグリーンの部屋着を羽織る。
「スザンナ、お湯で濡らしたタオルを盆に入れてもらってきて。それと、厨房でもう一つ濡らしたタオルを窯で蒸してもらってきて。」
「釜で蒸すの!?タオルは食べ物じゃないよ!?」
驚いて目を丸くするスザンナ。蒸しタオルはあまりポピュラーじゃない。水があんまり衛生的と思われていないせいか、こっちの人は汗をかいた体を拭くにも乾布を使うことが多い。
「蒸しタオル、気持ちいいのよ?二つ蒸してもらったら、一つ体験させてあげるわ。」
食いつくかと思ったけど、スザンナは珍しく慎重そうだった。
「あたいは遠慮しとこうかな。二つ蒸してもらうから、喘ぐ人で試してみて。」
「モーリス君を実験台にしないで、スザンナ。」
モーリス君は透き通るような美少年で見るからに神々しいんだけど、体格が立派でないからか世俗的なスザンナの尊敬は勝ち得ていないみたい。喘ぐ人って本人の前では言わないようにさせないと。
スザンナが出払っている間に、部屋に用意してあった薄いアップルサイダーをぐびぐび飲む。リアルテニスで喉が乾いていたから、喉の潤いが気持ちいい。少しぬるいけど。
「濡れタオルもらってきたよ。」
スザンナがパタパタと部屋に入ってきた。
「ありがとう、そこでしばらく冷ましましょう。スザンナ、窓を開けて。」
衛生上、沸騰させた水につけるから、お湯で濡れたタオルはすぐには使えない。冷ます間、木目張りの部屋にカビが生えないように換気をしないといけない。
「ルイス様、窓の下に誰かいるよ。」
「どうせまたアンソニーでしょう?今度はお願いだからドアを開かないでね。」
部屋を覚えちゃったから、単純な性格のパブロフはここに入り浸ると思う。早く再教育計画の詳細を練らないといけない。そういえばアンソニーのお兄様方が王子の帰還に同行していたはずだけど、挨拶はスムーズに行ったのかしら。うっかり「魔女様」について話していないといいけど。
「ううん?むせび泣く人じゃなくいよ。女の人。」
「女の人?」
宮廷に来てからスザンナとマダム・ポーリーヌ以外に女性に会えていないから、すごく気になるけど、部屋着で窓際に立つのはレディのエチケットに反する。
ちなみに「喘ぐ人」よりもかわいそうな称号がアンソニーに与えられているみたい。庶民育ちにしては「むせび泣く」なんて珍しい表現を知っているのね、スザンナ。
私はさっと体を拭くと、麻のシャツを羽織って、その上からさっきまで着ていた青緑のモーリス君の服に着替え直した。
「スザンナ、ウィッグを直してちょうだい。」
スザンナのテキパキとした手つきに感心していると、窓の外から微かに女の人の泣き声が聞こえてきた。
「王子の部屋に出向くまで時間もあるし、庭に行きましょうスザンナ!女の子が泣いているし、慰めてあげるのがジェントルマンの仕事よ!」
いつもなら「おー!」なんて言ってくれそうなスザンナだけど、今日はなぜかもじもじしている。
「あたい、王子の目に触れる場所にはいけないの。あの位置は王子の部屋から見えちゃう。」
「王子は水浴びしているから問題ないわ。そもそも女性がこの区画に入っているのはニュースだし、真相を確かめに行かなきゃ。」
それもあるけど、何より久しぶりに同性とおしゃべりしたい。ルイザとして宮廷デビューすればもっと機会もありそうなものだけど。
窓から見下ろすと、レディの格好をした女の子が花壇の近くで泣いていた。首回りが赤くてその他は紺色のドレスは、所々白っぽい装飾が入っていてエキゾチックな割に変には見えない。生地も上等そう。帽子でよく見えないけど、髪はスザンナほど赤すぎない赤茶色。
身分は高そうだけど、侍女も連れずにどうして女嫌いの王子の区画に来ているのかしら。
なぜか躊躇しているスザンナを置いて、私はひとりで部屋を出て花壇の方に向かった。
女の子は私と同い年くらいに見える。泣いていなかったらクールに見えそうな感じの顔立ち。ダークな目に白い肌。近くで見るとかなり赤い赤茶色の髪は左右に等分するように分けて結ってある。少し広めの額に、高い鼻と薄い唇。
「どうしたの?」
その子はハンカチで目を押さえると、冷ややかな顔を作り直して、私に向き直った。
「殿方が紹介もないのにレディに声をかけるなんて、礼儀にかないませんわ。」
本物のレディ!!頭を下げる。
「これは大変失礼をいたしました。こんなに美しい方がお一人で泣いていらっしゃるので、我を忘れてお声をおかけしてしまったのです。どうかこの非礼、お許しください。」
レディへの挨拶はこんな感じかな。
「わかりました。お顔をおあげください。私も侍女も連れずに、少しおかしかったことは確かですから。」
弱っているからか、かなりリーズナブルなお嬢様。
「ありがとうございます。申し遅れましたが、私は昨日付でヘンリー王子の従者に就きました、ルイス・リディントンと申します。お会いできて光栄です。」
「ああ、どうりで・・・いえ、私こそ先ほどは失礼をいたしました。私はエリザベス・グレイ、メアリー王女の侍女をしております。」
スカートを支えてレディとして挨拶をするエリザベスさん。この人は話が通じそうだし、友達になりたい。何が「どうりで」なのか気になるけど、聞くのは失礼に当たりそう。
苗字からは貴族かどうかわからないけど、近くで見ると赤白紺のドレスは優美な装飾に溢れていて、レースで房房の襟ぐりも含めてとっても上等そうな服を着ている。ご実家の羽振りがいいんだと思う。赤い帽子はあんまり似合っていないけど。
「ありがとうございます、レディ・グレイ。しかし、ここは女嫌いで有名なヘンリー王子の区画、女性が一人でいらっしゃるのは危険が伴いますよ。もしよければご事情を知らせてもらえませんか。」
後ろめたいところがあったのか、エリザベス嬢は顔を背けた。
「ええ、その噂はかねがね聞いていたのですけれど・・・どうしても確かめたいことがあったので。」
悲しそうなのにどこか顔を赤らめるエリザベス。明るい話ではなさそうだけど、何か話したそうでかつ恥ずかしそうにしている女の子は可愛い。女の直感として、これは恋バナに違いないと思う。
心の中でベスって呼んでいいかしら。それともエリー?
「レディ・グレイ、私でお力になれるならば、力を惜しみませんよ。出会ったばかりで信用がないかもわかりませんが、私の実家は法曹関係の一族でして、秘密は守るように育てられておりますゆえ。」
レミントン家は信用が第一だからね。一昨日から嘘しかついていない気がするけど、事情も事情だし、少なくとも秘密は漏洩させません。
「ええ、殿方にしては、不思議とあなたには話やすい気がいたします。出会ったばかりで呆れられるかもしれませんが、もしよろしければ相談に乗っていただけるかしら。」
「喜んで。誰かに聞かれては都合が悪いのであれば、迷路に行きましょうか。」
エリーは少し逡巡したみたいだったけど、決心したように頷いた。
「やましいことは何もありませんが、確かに少し恥ずかしいわ。わかりました、迷路に行きましょう。」
マナーに則ってレディの手をとって、私たちはすぐ近くの迷路に向かうことになった。