XCVII 戦士トマス・ニーヴェット
王子に裸の付き合いを提案された後、私は自分の貞操を守るべく論戦を張ることになった。
「殿下、私は水が大の苦手でして、水浴びは謹んで遠慮させていただきとうございます。」
王子は首を傾げる。
「おかしいな、ニーヴェットから風呂好きだと聞いているが?」
トマス、余計なことを言ってくれたわね!確かに私は会うたびに「訓練の後はお風呂入ってね。」と言っていたけど。
このルートでルイーズ・レミントン情報が漏れていると色々厄介。一度ルイス・リディントンの詳細設定を一緒に詰めた方が良さそう。
「お湯は好きなのですが、冷水が苦手です。冷水は心臓にも悪いのですよ。」
王子は戦友を励ますように私に微笑みかけた。
「リディントン、古代に暑さが苦手な戦士がいた。暑い時期は戦うことを避けることで、問題なく武勇を誇っていた。ところが暑さという弱点を知られたその戦士は、暑い中襲われることになってしまう。暑い中で戦う経験がなかったその戦士は、簡単に成敗されてしまったのだ。」
王子、周りくどいです。
「殿下、つまり冷水を克服しろというのですか?私が冷水の中で襲われるという状況は想定できませんが。」
「雨の中の戦いという可能性もあるし、渡河が必要な場合だってある。また、現に北の国の戦士は蒸し風呂に入った後に湖に飛び込んで鍛錬をするそうだ。リディントンも苦手を克服すれば強くなれるかもしれない。怖ければ、私でよければ手伝っても構わない。」
強くなりたいわけではないし、そもそも戦士でもないけど、みるからに強そうなこの王子に話が通じるかわからない。
王子に鍛錬を手伝ってもらうって本来は光栄なことなんだろうけど、状況が状況だから寒気しか覚えない。
プランBでいくことにする。
「冷水が怖いのは確かですが、実はもう一つ理由があるのです。」
「長くなりそうだな、説明は馬車で聞くとしよう。」
泉に行く馬車に乗せられたら詰んじゃう。そして王子の例え話ほど長くはなりません!
「短い話です。以前、泉で水浴びをしていたところ、村の娘たちに襲われそうになったのです。それ以来水浴びは嫌で仕方がないのです。」
王子の女嫌いに訴える作戦。12歳から女嫌いってことは、ひょっとしたら王子にもそういうトラウマがあったんじゃないかと私は推察している。
王子は困ったような笑顔を浮かべた。あまり琴線に触れなかったみたい。
「それは気の毒だったな。心から同情する。だが聞いての通り私は女の排除を徹底しているからな、この泉から200フィートは男しか入れないようになっている。」
「でも泉を見ただけでも記憶が思い起こされて・・・」
王子は自信に溢れた顔で私の発言を制した。
「そのような嫌な記憶のせいで水浴びができないなんて勿体ないことだ。安全が保障された環境で、心ゆくまで水浴び本来の喜びを味わってほしいと切に願っている。」
この王子はなんで従者の喜びをここまで願っているのかしら。そしてなんで従者本人の意見をほとんど聞いてくれないのかしら。
王子トラウマ誘発作戦が不発に終わってしまい、後のない私。どうすれば・・・
「テイラーの馬車がついたようだな。リディントン、チャールズと先に乗り込んでくれて構わない。着替えに軽い服を用意させよう。サイズはノリスと同じで大丈夫だな。」
リアルテニス場の近くまで馬車が乗り付けてきた。追い込まれつつある。テイラーさんは私の正体を知っているはずだから気を利かせてくれないかしら。
今まで王子のことだけ心配していたけど。あれだけブランドンを痛めつけた後に、一緒に水浴びになったらどうなるか恐ろしい。そもそも水浴びの時点で社会的に死ぬけど。
・・・そうだ!
「殿下、恥ずかしいので先ほどごまかしましたが、先ほど娘たちと言った私を襲ってきた連中は、実は少年達だったのです。私がこんなに華奢な体をしているので、勘違いをしたようで。そのときは幸いことなきを得たものの、実はそれ以来心に深い傷を負い他の男性と水浴びができなくなってしまったのです。」
「そうだったのか・・・もちろん私たちはそんな野蛮なことはしないが。」
王子の表情が曇る。
「ええ、私は殿下を信頼申し上げております。ですが、私を襲おうとした少年たちは、ちょうど王子やブランドンのような体格をしていました。あの時の恐怖を思うと・・・」
実はあんまり信頼申し上げていないのは置いておいて、これは効果的だったみたい。
「リディントン、200年ほど前のことだが、その頃王都では・・・」
「殿下、恐れながら、あの恐ろしい追体験をするくらいなら克服できずに弱いままでいる方がましですし、仮に水浴び自体を克服しても、殿下を見るたびに思い出して恐れ慄くようになってしまうかもしれません。」
「そうか・・・それなら仕方ないな。」
非常に残念そうな王子。なぜ私を水浴びに連れて行くためにここまで労力を惜しまないのか謎だけど、私の安全は守られたみたい。
「わかっていただけて幸いです。」
「うむ・・・モーリスは水浴びに行かないのか。」
王子の標的が変わった。
「恐れながら、僕は水浴びを好みませんし、殿下の裸体を見たくもありません。」
モーリス君は一国の王子に向かって冷たく言い放った。全然恐れてない。私にもこの勇気があれば早かったのに。
「目に毒だとは思わないが、心外だな。仕方ない、ではチャールズとニーヴェットとで泉まで出かけるとしよう。ハリーとゲイジが現地で後で合流する。」
王子は特に傷ついてはいないようだけど、モーリス君は親戚だし昔からこういう関係なのかもしれない。
「えっ。俺ですか。」
トマスがとばっちりを受けて戸惑っている。
「もちろんだ。」
「しかし・・・」
どうやらトマスも話題の水浴びは経験していないみたい。
「ニーヴェット、少年に襲われた経験はないな」
「ないですけど・・・」
「私の裸を見るのは不快か。」
「いえ、滅相もない。」
畳み掛けられて押され気味なトマス。
「戦士たるもの、苦手は克服せねばならない、私は間違っているか。」
「いえ・・・」
「決まりだな。さあ、馬車に乗るんだ。」
トマスはもともと弁論に強くないし、助けてあげられそうになかった。
「ではリディントン、泉から帰ったら部屋で会おう。フィッツウィリアムは具合が悪いが、コンプトンに引き合わせる。それでは、汗が冷えぬよう、風邪をひかぬようにな。」
リアルテニスの汗よりも、水浴びをめぐる冷や汗の方が深刻だったけど。
笑顔の王子は気が進まなそうなトマスと、未だに布袋を体の前で押さえているブランドンを伴って馬車に乗り込んだ。危機を脱した私はモーリス君と一緒に笑顔で見送る。
トマス、奥様のためにも操を守ってほしいけど、無事で帰って来られるかしら。でもトマスは私と違って本物の戦士だから、なんか色々克服しちゃうかもしれない。
馬車が去ったのを待って、そろそろとリアルテニス場を去ろうとしていた男爵に詰め寄る。
「男爵、なんで助けてくれなかったんですか。乙女の危機だったじゃない!」
男爵はいつもの微笑に戻っている。
「いや、水嫌いの設定は用意していたが、それ以上のでっち上げはルイスに任せた方が後々スムーズかと思ってね。」
確かにそうだけど、援護射撃くらいしてくれてもいいと思う。
「せめて同意してくれるとか、王子に反論するくらいはできるでしょう。」
「ルイス、助けてもらうことに慣れてはいけないよ。フランシスを見習って、危機を未然に防ぐ術を身につけないといけない。」
そういえばフランシス君はその場にいたのに誘われていない気がする。
「そのフランシス君はどこへ行ったのかしら。」
「見失ったね。多分水浴びの話題が出てから姿をくらましたんだと思うよ。」
男爵がおかしそうに笑っているけど、そんな高等テクニックすぐには習得できそうにない。
「私はモーリス君を見習って、正面突破を図るわ。」
「聖女様、その意気です!」
「ルイス、ブランドンに言っていたように、身分を弁えないと。」
とりあえず水浴びの危機は脱したけど、フランシス君流にフェードアウトを図るか、モーリス君流に王子に冷水をかけるか、次のピンチで戦略をどうするか難しくなりそう。