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XCV 哲学者ヘンリー王子

長かったリアルテニス編、ついに最終章です

疲れ果てたブランドンがヨタヨタと打ち上げたボールは、天井に当たって力なく落ちた。


「リディントンのポイント、40対15、マッチポイント。」


「くっ・・・なぜだっ、なぜなのだっ!!」


跪いて床を叩くブランドン。整ったオールバックだった不思議な色の髪は、すっかり乱れてしまって青い目を隠している。私に前後左右に走り回されたせいか肩で息をしているみたい。ワイルドと言えばワイルドだけど、目立つ高い鼻が赤くなっていて、イケメン度は横ばいもしくは若干低下している。


あの後私にボールを当てられるのが怖くなったのか、ブランドンはコートの後方に下がるようになってしまい、私は横の壁を使って自由にプレイできた。


私がコートの前の方に出ていたから、何回かブランドンが私の後ろのボックスに山なりのボールを当ててポイントを取っているけど、試合の流れを変えるような良いショットは来なかった。


「ヒューさん、サーブをお願い。」


「私は負けない・・・負けてなるものか・・・」


勇者みたいに立ち上がったブランドンは、私の後ろのボックスを狙う割と鋭いショットを打った。私はノーバウンドで自分のコートの横壁に当てる。


「くっ・・・また前か・・・」


ヨタヨタと前に走り込むブランドン。あれだけ言ったのにまた前屈みでボールを返す。


「姿勢が悪い!」


ブランドンのボールが浅かったので、前に踏み込みながら打ち込む。


ふとブランドンの奥のギャラリーに、男爵とフランシス君がいるのが見えた。いつの間に見にきていたのかしら。


「ぎゃうん!!」


男爵達に気を取られていると、ブランドンが踏まれた猫みたいな声を出した。ギャラリーから視線を戻すと、ブランドンが亀みたいにうずくまっている。よく見えないけど、気のせいか青い顔で震えている気がする。


「勝者ルイス・リディントン。」


トマスのコールに合わせてギャラリーにお辞儀をしたけど、拍手はまばらで、みんなブランドンを心配そうに見ている。


「・・・アニー・・・マギー・・・ジョアンナ・・・マリー・・・ぐっ・・・私に力を・・・」


ブランドンはなぜ床で震えながら女の人の名前を連呼しているのかしら。


「えっと、また体に当たったの?わざとじゃないんだけど、ごめんなさい。」


普段ならブランドンに同情なんてしないけど、なんだかとても辛そうだから一応声をかけておく。


「レミントン、文字通りハーシュマンの仇を討ったな・・・」


審判トマスが何かしみじみと呟いている。


「ありがとう?」


よくわからないけど、悪漢を倒したのは気分がいい。ちょっと疲れたけどリフレッシュした気分。


王子が相手側のコートに入っていって、ブランドンの背中を摩り始めた。


「大丈夫か、チャールズ。」


「・・・ハル王子・・・」


顔をあげたブランドンはやっぱり顔色が悪い。体に当たったくらいで大げさだと思うけど、かなり疲れていたみたいだったし限界が来たのかな。


「済まないハル王子・・・私は醜態を晒した・・・王子の前座として活躍するはずが・・・完膚なきまでに叩きのめされた・・・しかも・・・俺の・・・俺の・・・うう・・・」


ブランドンの話し方がカジュアルになっている。さっきまで「ああ、私はなんて魅力的なのだ」みたいな口調だった気がするけど、人前では堅い話し方をすることにしているのかな。


「無理して喋らなくていい、チャールズ。圧倒的に不利な中、最後までよく頑張ってくれた。礼を言うぞ。」


二人はまた騎士道物語に入ってしまっているみたいだけど、私はとりあえず汗を拭きにギャラリーに入る。


リネンを持ってすごすごと駆け寄ってくるモーリスくん。私より身分が高いのに挙動が私のマネージャーみたい。


「聖女様、素晴らしいです。最後のショットはまさに天罰です。聖なる力が悪き淫らなるものを成敗したのです。」


「ありがとう?」


なぜかご機嫌なモーリス君の解釈はよくわからなかったけど、私はとりあえず休憩ムードに入ろうとしていた。


「・・・王子・・・どうかリディントンに勝って・・・俺の・・・俺の仇を・・・」


「案ずるなチャールズ、頑張ってくれたおかげで光明が見えた。ゆっくり休むといい。氷はいるか?」


「・・・もらう・・・」


王子にもたれかかってヨタヨタとギャラリーに向かうブランドン。去り際に私の方に青い顔を向けて話しかける。


「・・・リディントン・・・お前なんかには・・・王子の無敗記録は・・・破れない・・・」


「チャールズ、お前の気持ちは確かに受け取った。お前の誇りのためにも私の無敗記録を必ず守って見せよう。さあ、リディントン、今から勝負しよう。」


今からって、私6ゲーム取ったばかりなんだけど。足はまだ動きそうだけど、ブランドンを叱りながらプレイしていたから肺活量に限界があるかもしれない。


さっき無敗記録なんてどうでもいいとか言っていたけど、態度を180度転換していませんか、王子様?


「お言葉ですが、たかがブランドン、されどブランドン。大男一人を片付けた直後で私も疲れております。少し休憩を挟むのはいかがでしょう。」


「いや、父上との面会の時間が遅れているのだ。さっさと勝負を片付けようではないか。」


男爵の方を見遣る王子。多分男爵達は一向に現れない王子を迎えにきたんだと思う。


いや、国王陛下との面会が遅れているのはそもそも王子がテニスしたがったからでしょう?


「王子、弱った敵を叩くのは騎士道精神に反します。またの機会に延期を。」


「リディントン、今のままではチャールズの名誉はボロボロだ。私の名誉はともかく、チャールズの盟友として、私には彼の前で彼の名誉を復する義務がある。」


ブランドンの名誉はボロボロでいいと思うし、因果応報というかそうあるべきだと思うけど。


「王子、一度国王陛下に挨拶に行かれてからでも良いのでは?私は今晩の再戦でも構いませんので。」


「いや、今から勝負しよう。日があるうちが良いし、汗が冷えてしまうのも良くない。それに鉄は熱いうちに打てと言うだろう。」


これは王子が譲らないパターン。


「わかりました。では王子のサーブ、40対0からの再開で良いですね。」


王子は表情を変えずに口を開いた。


「いいかリディントン、ある古代の哲学者はこういった。全く同じ川を二度渡ることはできないと。なぜなら同じ位置にある同じ川でも、流れる水は変わっているからだ。それと同じ。先程の私と今の私のリアルテニスは似て非なるもの。パンタ・レイ、万物は流転し、一度として同じではない。つまりそう言うことだ。」


いや、「そう言うことだ」って言われても、結構無理のある理屈だと思う。


ただ、王子の目は小さめなので良くわからないけど、なんとなく目が笑っている気がする。これはひょっとしてトンチを期待されているのかしら。


「殿下、恐れながら、先程40対0で中断したゲームは水を無理に堰き止めたのと同じでございます。つまり同じ川の同じ水を、下流で渡るのに同じです。また、国王陛下をこれ以上待たせないためにも途中からの再開が望ましいかと。」


「ははっ、さすがだなリディントン。」


王子は笑った。どうやら言葉遊びが好きみたい。


「しかし、堰き止めた水を放水されたものは、もはや元の美しい小川のせせらぎではない。中断したものを再開したものは、途切れのないものが見せる滑らかな美しさを取り戻すことはできない。初めからのやり直しは継ぎ接ぎのない時間の流れを通じて、体験そのものの価値を最大限に活かすことを可能にする。タブラ・ラサ、白紙から始めることで、人は偏見のない心で真実を探究できるのだ。」


王子、やっぱりかなり教養はあるみたい。どこまで本気でどこまで茶化しているのかわからなくなってきたけど。


「殿下、それでしたら殿下の連勝記録も白紙から始めることで・・・」


「さあ、勝負だリディントン、これは勅令だ!」


王子はなぜか幸せを噛みしめるような顔をしていたけど、最高の笑顔で議論をぶった切った。


それにしても勅令乱発しすぎでしょう。そもそも口頭だけで捺印がない場合は正式には成立しないのよ?


40点を無法にも奪われて呆然としていると、いつの間にか試合は始まっていてトマスがボールを投げ込んできた。慌ててコートに出る。




ブランドンを叱りすぎて息が上がっていた私のところに、王子の必殺技クロスファイアが度々炸裂して、私は6対3であっさり負けた。


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