LXXXIX 交渉人ルイーズ・レミントン
ノリス君の私への辞任要求を受けて、場は騒然となった。
「ルイス、このままでは危険だよ。すぐに魔法で服従させないと。」
男爵は何でこういう大っぴらな場で魔法なんて言葉を使うのかしら。そもそもマッサージには服従させる力なんてないけど。
「この程度の沙汰で聖女様の手を煩わせるわけには参りません。これくらいはこの僕の手で処理できます。」
モーリス君は武断派じゃなかったはずだけど。腕っぷしは頼りないモーリス君だけど、処理ってどうするのか逆に怖い。
「ルイーズ様、処置は議論するとして、ひとまず縛りますか?」
ヒューさんも少年を縛るのに以前ほど抵抗がなくなったみたい。ノリス君は貴族じゃないみたいだけど。
パブロフといい、何でみんなマッサージは縛るものだと思っているのかしら。
「・・・ぐずっ・・・だって・・・新入り君・・・僕のいうこと聞くって・・・言ってた・・・ずぶっ・・・」
私は「協力する」って言ったのだけど、都合よく拡大解釈しているノリス君。でも泣き顔は天使っぽさを失っていないから、ちょっと叱りづらい。
「レミントン、全く状況が飲み込めないんだが。」
トマスは混乱で目が定まらないみたい。それもそうよね。
「みんな落ち着いて。王子の寵愛がノリス君から移ってしまったら、ノリス君の立場が危うくなるのは客観的に明らかでしょう?私を邪魔に思うのは当然で、ここで脅したりしても根本的には解決しないと思う。私は王子の寵愛が欲しいわけではないから、私の従者生活がノリス君の立場を危うくしないよう、協力関係を築いていくべきだと思います!」
泣き止まないノリス君に、噛み砕いて説明するにはどうしたらいいか考える。
「ノリス君、寝室の他にもお風呂とか着替えとか、王子と身体的にお近づきになるところはノリス君が担当していいよ。私が王子と二人きりになるのが心配なときは、ノリス君が同席してくれても構わない。どうかな。」
私は何も失うものはない取引。兄さんの好きな「ウィンウィン」ってやつね。
「・・・うん・・・ぐすっ・・・あと・・・可愛い服着ないで・・・」
そこは譲れない。宮廷の流行には抗うつもりだし。
「それは・・・代わりにノリス君の格好をもっと魅力的にしてあげるから、それで手を打ちましょう。」
ノリス君の服装は大幅なレベルアップが可能だと思う。王子がこういうお菓子のイメージキャラクターみたいな格好が好きだったらどうしようもないけど、その場合は私の格好は王子にとって可愛くないわけだから問題ないはず。
「・・・わかった・・・それと・・・本人が嫌がると思うけど・・・王子様の耳には触らないで・・・あと髪も・・・」
生々しい要求に少し気圧される。一瞬、「王様の耳はロバの耳」って童話が思い浮かんだけど、どんな話だったかしら。
「わかった、気をつけるね。」
全く問題ありません。ノリス君が好きなだけ触ってくれていいです。
「待つんだルイス、それでは本末転倒ではないのかな。」
男爵が苦笑している。
「ルイス、これから王子とのスキンシップが重要になってくる。自分から機会を減らすのは契約違反ではないかな。」
私は男爵をできるだけ冷ややかに睨みつけた。
「そもそも男爵が事前に根回しをしないから、他の従者が私を目の敵にするんです。中の従者だけでもあと二人いるんでしょう?私が平穏無事に暮らすために、多少の妥協は必要になってきます。」
確か外の従者もあと二人いるはず。先が思いやられてため息が出そう。
「しかし肝心な点を妥協してしまっては、何もなし得ないのではないかな。私はルイスが契約の精神を大事にしてくれると信じていたよ?約束した任務に気が進まないとはいえ、少し誠実さに欠けるのではないかな。」
男爵の微笑が少しだけ真面目になっている。
「男爵、王子が他人に体を触られるのを嫌がると、私に隠していましたね。」
男爵の微笑が少しだけ不真面目になっている。
「しかしルイス、それはあくまで一般的に人間が嫌がることじゃないか。」
「マッサージに限ってみれば深刻な条件なのは明らかでしょう。いいですか男爵、契約者側に被契約者との信頼関係を破壊するような行為、またはそれに相当する重大事由があった場合に限って、被契約者は契約を解除することができるの。私たちの契約書にも書いておいたはずよ。」
私が詰め寄ると、男爵は諦めたように両手をあげた。
「降参だ、ルイス。分かった、無理はさせないから自分のペースで頑張って欲しい。だけど、頼むから少ないチャンスをものにするんだよ。」
男爵は残念そうにしているけど、色々と詰めが甘い自分のせいだとは分かっていると思う。
「さすがだなレミントン。しかし指圧をかけるくらいで、何でこんな大事になっているんだ。」
その通りよトマス。この世界の人たちはお茶の代わりに薄いアルコールを飲むから、きっと落ち着きがないんだと思う。
「重大事ですよ。聖女様の指には聖なる力が宿っているのです。」
「聖なる力・・・?」
モーリス君とトマスは気が合うかなと期待したけど、話が合わなさそう。主に私のせいだからちょっと申し訳ないけど。
「・・・ぐすん・・・女・・・?」
会話から取り残されていたノリス君が顔をあげた。
まずいかも。




