LXXX 同伴者ヒュー・モードリン
急ごしらえのベルトはあまりサイズが合っていなくて、履き慣れないズボンがずり落ちないか不安になってきた。一応さっきヒューさんにベルト穴を空けてもらったのだけど。
でもモーリス君のサスペンダーも肩幅が合わなかったから、しょうがないよね。
「ご準備はできましたか、ルイーズ様。王子殿下の御到着まで1時間強です。」
部屋の外でヒューさんの声がする。
「もう少し待って。」
ヘンリー王子の一行が間も無く到着するそうで、昼食後にモーリス君と外まで出迎えに行くことになった。付き添ってくれるヒューさんによると、男爵は国王陛下が王子に挨拶する下準備をしに陛下のところへ詰めているらしい。家族でしょうに、なんの儀式があるんだか。
「ルイス様、もじもじしてないでウィッグを付けないと。」
スザンナは今朝少しあたふたしている気がする。
「はじめて男の服を着るんだし、ちょっとくらいもじもじさせてよね。」
スザンナに急かされるように、鏡台の前に座る。座るとちょっとベルトのバックルが気になる。
「似合っているかしら、スザンナ。」
これから王子様に謁見するから、スザンナの評価はあてにならないけど、やっぱり女の子の意見は聞いておきたい。
「ちゃんとしているし、従者として自然な感じ。ちょっと軍人さんっぽいけど。」
私の髪を纏めながらちらと鏡を見たスザンナだけど、絶賛というわけではないみたい。
「黒いブーツと高い襟のせいでしょう?オーバーの裾が少し広がっているから、そこまで軍人っぽくはないと思うわ」
外の馬場まで出迎えに行くことになったから、予定通り初日は青緑のオーバーに薄いグレーのズボンを履くことにした。モーリス君には小さくなったオーバーは私にちょうどいい丈だから、見た目はあんまり不自然じゃない。スザンナに毛屑をとってもらって、昨日見たときよりもシャキッとして見える。ズボンは少し緩かったけど、下は黒いブーツの中にたくしこんで、上はベルトで縛ってなんとか体裁は保っていると思う。
「ダブルの上着って新鮮ね。こういう服を着るのは初めて。」
銀のボタンを掛け替えて遊んでみる。風上の方を上にするのよね。
「こーゆー服女の人が着ることはあんまりないよね。なんで?」
スザンナは好奇心旺盛なのよね。
「人前でボタンを掛け替えづらいからじゃないかしら。あと風に当たる機会が少ないのかも。馬にも乗らないしね。」
前世でもダブルのコートとか着たことなかったな。鏡に映る自分を見つめると、なんだか乗馬できそうに見える。騎兵はちょっと言い過ぎだけど
「ルイーズ様、謁見前に昼食を食べるとするともう余裕がありません。」
ヒューさんが扉越しに警告してくる。ごはんを食べて歯磨きをしてから会う予定だったのに、なんだか時間がかかってしまったみたい。
「ごめんなさいヒューさん!スザンナ、ウィッグを急いで。まだお化粧した方がいいかしら。」
スザンナが鏡を覗き込む。それでも手を止めないのはすごいと思う。
「ローズウォーターとナッツオイルは使ってあるし、これくらいでいいんじゃない?」
この世界の化粧用具はゾッとする原材料のものが多いから、家にいたときもあくまで自然そうな原料を使うようにしていた。ローズウォーターは手を洗う用に部屋に用意してあるからさっと支えて便利。
「さすがに口紅はしないけど、乾燥止めに精油を塗っておこうかしら。」
スザンナが薬棚をチェックする。
「手元にあるのはラベンダーの精油だけだし、薔薇の匂いと相性が悪いかも。」
男としての身繕いに女二人が悩んでいるのもなんだか変な感じがする。
「ルイーズ様、セントジョン閣下が迎えにお見えです。」
ヒューさんの声がちょっと疲れてきたみたい。先に食堂に行っていたはずのモーリス君が来ちゃったってことは、私が遅いから引き返してきたのよね。
「本当にごめんなさい。スザンナ、ドアを開けて。」
とたとたとドアに走ったスザンナがドアを開いて、少しやつれたヒューさんと、心配そうな顔をしたモーリス君が現れた。
「ルイーズ様、派手すぎず地味すぎず、完璧な侍従でいらっしゃいます。」
きっと機嫌は良くないはずだけど、それでもヒューさんの評価は上々みたい。ヒューさん自身はいつもと同じ衛兵のクリーム色の服だから特にコメントしたいこともない。
「聖女様・・・僕の服・・・よく・・・お似合いです。」
モーリス君がほっぺたをピンクにしている。モーリス君基準では「真っ赤」に相当しそうなピンクっぷりで、紅白饅頭みたい。
本当は緑系統の服は色素が薄くて緑の目をしたモーリス君にぴったりなんだけど、気を使ったのかブルーグレーの上下を着てきてくれた。ジャケット自体は地味だけど、ワイン色のインナーが袖、襟、裾から覗くようになってアクセントになっていて、品が良さそうな格好。インナーが出ているけど、ズボンはどうやって固定しているのかしら。
でも革靴は茶色じゃなくて黒にすべきだったと思う。
「恥ずかしがらないで、モーリス君。改めて、服を貸してくれてありがとうね。」
モーリス君はまだ恥ずかしそうなまま、お辞儀をするポーズをとった。
「僕の古い服をお着せしてしまうのはやはり気恥ずかしいし申し訳ないのですが・・・でも聖女様のためなら、なんでも致します。」
相変わらず尊敬がヘビーなモーリス君だけど、今日は王子との謁見だから頼りにしてるね。
「ところでモーリス君、男の人はどんな香水をつけるのかしら。」
弱い香水をふるのがスタンダードみたいだけど、弱いからどんな香水を使っているのか分かりづらいのよね。
「そうですね、ペパーミントはどうですか?」
ミント、あんまり好きじゃないのよね。
「歯磨き粉みたいじゃない?」
「歯磨き粉と言うと、塩のことですか?」
そっか、大半の人が塩水で磨いているのよね。
「スペアミントの葉を粉にしたものを塩水と少しの石灰石に混ぜて歯を磨くのよ。お勧めするわ。そうだ、モーリス君、ちょっと息をはいてみて。」
「息ですか?ふ、ふう。」
戸惑った感じのモーリス君は肺活量があんまりなさそうな息のはき方をした。
「うん、あんまり気にならないわね。でもミントは息をきれいにしてくれるのよ。」
原理は知らないけど、私は前世のCMを信じている。レミントン家も私のおかげで爽やかになったし。
「聖女様、まさか僕の口臭をチェックされたのですか・・・そんな・・・」
捨てられた子猫みたいな顔をするモーリス君。
「いじけないでモーリス君。これを機会にミントを使いましょう。この後の歯磨きで試してみて。気に入ったら特別に私が調達してあげるわ。」
お父様を説得してハーブ栽培に投資してもらったんだけど、勝手に摘んでしまう人が続出したりして思ったほど利益が出ていないのよね。栽培費用が安いから損も大きくなかったけど、これを機会にセントジョン家御用達にならないかしら。
「聖女様がそうおっしゃるなら・・・」
頭がいいはずのモーリス君だけど、聖女詐欺に引っかからないか心配になってきた。
「皆さん、残念ながら昼食をとる時間がなくなりました。直接向かいましょう。」
明らかにとばっちりを受けた感じのヒューさんが苦々しく告げてくれた。
間違いなく私たちのせいだけど、それは困る。
「待って、王子のまえでお腹がなってしまったら大変だわ。」
おしゃべりだって体力を使うし、朝お風呂に入ってトマスに会いに行ったからカロリーも消費していると思う。
「でもお時間が・・・」
「スープだけ頂いてきていいでしょう?ね?」
まだ食堂に行くと大体汁系の食べ物があるのよね。多分大勢の分を調理するには焼くより煮込む方が効率もいいんだと思う。食べるのにあんまり時間はかからないはず。
「・・・スープだけですよ?」
苦笑いするヒューさんはきっと娘に甘いタイプ。既婚者らしいけど、子供はいるのかしら。