LXXIX キルデーン伯爵家従僕コナー・マクギネス
俺が食堂にいた連中を一人一人口止めして、アンソニーにしばらくアーサー様に近づかないように説得したときには、思ったより時間が経っていた。食堂にいた奴らはなぜか妙にニヤニヤしていたが、どこまで聞いたのかは分からなかった。
それよりも、さっさと例の部屋の位置を確認しに行かないといけない。昨晩部屋にいたのがルイーズ・レミントンかルクレツィア・ランゴバルドかわからないのは痛いが、どちらにしろ排除対象だ。ルクレツィアは凶悪だが、接近魔法の使い手だから、数人連れでかかれば袋詰めにするのは可能なはずだ。
モーリスの言っていた聖女にも早くコンタクトを取りたい。裏が取れていない噂の時点でダドリー様に報告するのも少し気が引ける。アンソニーを聖女に正気に戻してもらえたら、一石二鳥なのだが。
頭の中で計画を練りながら建物の中から移動しようとすると、掃除夫達が慌てて廊下を清掃していた。男ばかりだからヘンリー王子のスタッフだと察するが、帰還が予定よりも早まったんだろうか。
アーサー王太子付きの俺がヘンリー王子の区画にいるところを、大勢に見られたくはない。魔女の一派もきっと俺の情報を集めているだろうし、少し遠回りすることにする。
一旦外の射場に出る。今日は天気が良くて、朝の日差しを浴びるのは気分がいい。
ふと、前方を何やら仲の良さげなカップルが横切るのが目に入った。手前の男の方はトーナメントに優勝してヘンリー王子の従者になったやつだが、武勇が買われたと言うよりは筋肉のつき方が王子好みだったんだろう。王子は鷹狩に出かけているはずだが、留守番だったのだろうか。それにしても名前が思い出せない。ヘンリー王子の周りは名門出身者がいないから、聞いたことのない苗字ばかりでとても覚えられない。
男の奥にいる女性の方はよく見えなかったが、二人が立ち止まって別れの挨拶をしているときに、ようやく全身が目に入った。
人間って不思議だ。
親父から、女は丸みが大事だと聞かされて育ってきた。発育の良さは健康な子供に直結するからと。現に親父は毎朝ベティの実家に牛乳を届けさせているらしい。牛乳で乳が育つというどうでもいい郷土信仰のせいだと思うが。
そして人間のオスは本能的に発達の良いメスに惹かれるのだと言われてきた。えり好みができる上流階級に背が高くて丈夫な人間が多いのはそのせいだと。
今目の前で他の男に手を振っている女性は、その点では決して魅力的ではないはずだ。
だけどかわいい。それでいて美しい。
俺もヘンリー王子ほどではないが本能が倒錯してしまっているんだろうか。目が離せない。
朝日を浴びて輝くシルエットは、均整の取れた女神の石像のようだ。背は高くないがしゃんとしていて、小ささを感じさせないオーラがある。
一目で手入れが行き届いているとわかる栗色の髪は優雅に結われていて、気品と艶かしさが同居している。
遠くからでもわかる大きな目と小さな口、透き通った肌。美少女の顔立ちだが、どこか女性としての魅力もあるような感じがする。俺が狩で鍛えた眼力でじっと見つめると、多分少し長いまつ毛が目に入った。所々大人の女性を感じさせる要素が、でも不自然でないくらいに入っている。
そう、矛盾しているのだ、この子は。
背は低いのに小ささを感じなくて、上品なのに色気があって、健康的な美少女で艶やかな美人だ。女性とも女の子とも呼べそうだ。
もちろん、世間で言う一般的な美人ではないのだろう。こんなに美しいのに、見向きがしない男もいるだろうと簡単に想像できる。俺が変なのかもしれない。キャサリン王太子妃が輿入れしてきたときに、豊満な体つきを皆がもてはやしたが、俺にはどうも均整が取れていないように見えたのだ。
だが一般的という言い方はそもそも似つかわしくない。そもそも格好からして普通じゃない。青と白のマーブル柄で少し前衛的なデザインのドレス。他の女官の服と違ってスカートがブワッと広がらないタイプで、体のラインに少しまとわりつく感じがなんとも言えない魅力を出している。朝日に照らされて風になびくドレスは、まさに女神のものだ。
なんだかもう、理由を探すのが馬鹿らしくなるほど美しいのだ。靴なんて気にしたことなかったが、ブルーの甲の出る靴までドレスにマッチしていて綺麗だ。
こんなまじまじと他人を見たことは生まれてこの方一度もない。でも目が離せない。仮にこれが種の保存に反しているとしても、俺の本能が言うのだからもう抗えそうにない。
俺が情熱を込めて見つめていたのに気づかなかったようで、その女は従者に手をふると違う方向に行ってしまった。笑顔が眩しい。上品だが、少女の天真爛漫さがまだ残っているような笑顔。
こちらに歩いてきた従者を捕まえる。
「おい、そこの・・・従者!」
なんだっけ、バッカナールとか言う名前だった気がする。
「お久しぶりです、ええと・・・閣下。」
俺を閣下呼びしてくると言うことは、ヘンリー王子の他の従者よりも身分を弁えているみたいだ。慣れてはいないようだが、多少は感心できる。
「あの女はお前のなんなのだ。」
「ええと、彼女は久しぶりに会った・・・古い友人とでも言いましょうか。」
古い友人にしてはやたら親しそうだったが。
「恋人ではないんだな。」
「俺・・・私は妻がおります。あいつも結婚式に呼んだんですが来れなくて・・・」
少しホッとする。この従者は宮廷にはまだ慣れていないようで歯切れが悪いが、誠実な感じで好感が持てる。もう少し身分が高ければアーサー王太子のところに呼びたいのだが。
「名前は?」
「私はトマス・ニーヴェットと・・・」
全然バッカナールじゃなかった。
「お前のじゃない。」
「失礼しました。ルイザ・・・確かルイザ・リディントンだったかな。」
ルイザ・リディントンか。すっきりした、いい名前だ。
「ルイザ」、確かに凛とした風格と女性的な可愛さが同居する、ピンクの大理石のような雰囲気が出ていてる。
ルイザ、ルイザ・・・
「古い友人の割には名前がうろ覚えなんだな。」
「それが・・・ええと、そうだ、彼女は最近養子に入ったんですよ。と言っても元々の生まれも悪くないんですけどね。」
「なるほどな。」
宮廷に仕える女官や侍従は、実家との連絡役になったり、利害関係を取り持つこともある。年頃の少年少女がいない名家は養子をとることも珍しくない。
リディントン家など聞いたことがないが。
とりあえず名前が分かった。ルイザ・リディントン。
「ありがとう、礼を言うよ。お前はヘンリー王子の従者にしてはまっすぐで話しやすいな。あの王子にはもったいない。」
「いえ、ヘンリー王子は言われていたほど怖くはありませんよ。伯爵の勧めで勤める前に慌てて結婚したんですが、杞憂だったみたいです。」
そうだ、思い出した。こいつはサリー伯爵の婿でもあった。既婚者に手を出さないだけの良識はヘンリー王子も持っているらしい。
「ルイザ・リディントンか・・・」
「閣下、苗字に自信がなくなってきました。」
「分かった、ルイザ某だな。とりあえずファーストネームが分かっただけでも嬉しい。改めてありがとう。」
ルイザ、ルイザ・・・
後でマクギネスに花を積んでこさせよう。いい感じの花言葉のやつを選んでもらおう。
どうせなら俺も選んだ方がいいよな。本人のイメージに合うやつがいい。花言葉がずれていないか後でマクギネスにチェックしてもらうくらいでいいだろう。
俺はスキップしたくなる気持ちを抑えて、花畑まで行進するようにズンズン歩いた。
この後ジェラルド視点はしばらくありませんが、忘れないであげてください。