LXX 幼馴染エリザベス・ズーシュ
俺は騎士は正々堂々とあるべきだと思っている。だから尾行なんて言語道断だ。
ただ今回は状況が状況なので、アンソニーが俺に気付いて気を遣う必要がないように、距離をとって後ろを歩いていただけだ。
アンソニーは中庭を歩いていたが、ふと宮殿の方を見上げると、突然走り出した。何か叫んだ気がするが聞き取れない。
「待つんだアンソニー!」
アンソニーは割と足が速い。俺の初動が遅れたせいで見失ってしまった。さっき何階を見ていたのか分からないから、どこを目掛けて走って行ったのか、候補が絞れない。
とりあえず東側の区画をチェックしてみればいいはずだ。さっきまでよろよろと庭を歩いていたアンソニーが急に元気に走り出したのだから、何か普通じゃないことがあったはずだ。
普段はあまり足を踏み入れない、ヘンリー王子の区画に入っていく。王子自身が鷹狩に出ているから人もまばらだ。この区画はそもそも貴族が少ないから、アンソニーの知り合いはモーリスくらいしかいないはずだが。
そんなことを考えながら探索していると、向こうからモーリスが歩いてくるのが見えた。
「モーリス、久しぶりだな。」
俺を見て少し驚いたようなモーリスが会釈をする。
「ジェラルド、珍しいですねこの区域に来るなんて。」
少し前までフィッツジェラルドと呼ばれていたのが、アンソニーのおかげでファーストネーム呼びになった。懐かない猫が心を開いたのを見るくすぐったさを今でも覚える。こいつの性格は猫とは正反対なのだが。
しかし、俺の記憶の中のモーリスはいつも物憂げな感じで、絶えず皮肉を言っていた気がするが、目の前の美少年はほくほくした感じの笑顔を浮かべていて、同一人物とは思えない。
「聞いてくださいジェラルド。今日聖女様が自分の皿とカップから食べ物と飲み物を分けてくださったんです。これで僕も弟子入りです。」
なんだか色々情報量が多い発言があった。
「聖女様がこの国に現れたなんて聞いていないぞ。」
島で聖女がいるという噂を聞いたが、王都までは届いていないし、ましてや宮殿にいるなんて初耳だ。
「まだ教会に申請されていないんですが、ウォーラム大司教様もご存知です。本物の聖女様ですよ。」
「教会に騙されていないか、モーリス?」
こいつは頭がいいんだが、なんでここまで信仰熱心になれるのか分からない。
「なんてことを言うのです。世俗的なジェラルドでも、証拠を見せられれば文句はないでしょう。ほら、僕の肩がこの通りに。」
モーリスはぐるぐる肩を回して見せた。確かに肩が痛い、肩が痛いと老婆のように愚痴をこぼしていた奴にしては、大きな変化だ。
「気のせいかもしれないが、右肩を痛める前よりも元気になっていないか。」
「そうでしょう、そうでしょう。聖女様は偉大です。肩以外も触れて頂いて、それ以来力がみなぎっているんです。」
モーリスは得意そうにしている。こいつの力がみなぎったところで怖くはないけど、陰鬱なため息を聞かなくていいならありがたい。
聖女か、もし本物ならアーサー様の力になってくれるだろうか。
「僕が聖女様の弟子になるまでは長い道のりでした。あれは一昨日の晩のことです・・・」
しまった、モーリスは一度話し始めると長いんだった。聖女はかなり気になるが、今はアンソニーが優先だ。
「モーリス、その話は今度聞かせてくれ。それよりアンソニーを見なかったか。ここへ走ってきたはずなんだが。」
「アンソニーですか・・・見ませんでしたが、何か用事があるのですか?」
モーリスはダドリー様の計画について知らされていない。どこまで言っていいのだろうか。聖女のおかげで肩が治っていたなら、魔女討伐計画にぜひ参加してほしかったのだが。
「いや、様子が気になったから、見守っていたんだ。」
「アンソニーについてくるよう頼まれたのですか。」
「いや、ただ今のあいつには俺が必要なんだ。」
モーリスは軽くため息をついた。
「ジェラルド、恋に落ちた若武者みたいなことを言わないでください。」
「違う!アンソニーは大事な親友だ!それに俺はヘンリー王子とは違う!」
ヘンリー王子にその傾向があるのは俺たちの間で公然の秘密になっている。みんなが見た目のいいモーリスの行末を心配したけど、怖いので誰も代ろうとは言わなかった。
「ジェラルド、親しき中にも礼儀あり。親友を信頼しているなら、尾行なんてしてはいけませんよ。」
上機嫌だったモーリスがお馴染みの説教口調に戻ってしまった。
「尾行なんてしていない。後ろで距離を置いて歩いていただけだ。」
「・・・どうやら島では尾行という言葉の意味が本土と違うようですね。」
またこれだ。本土の貴族は悪気がなくても言葉の端端に島を馬鹿にしている。
「悪かったな田舎者で。」
「いえ、すみません。僕も無神経でした。」
「いやわかれば・・・えっ?」
俺は心底びっくりした。こいつは本来、「客観的事実を述べただけなのに、あなたの感性にかかればなんでも差別になりますね。パラノイアは精神衛生上良くありませんよ?」って言ってくるような奴なのだ。言い返したかったけどパラノイアの意味を知らなくて何も言い返せず、俺は悔しい思いをしたのだ。いまだに意味を知らない。悔しい。
しかし今、モーリスは俺に謝っている。何が起きたんだ。
「それと、エリザベスは元気ですか。」
「ああ、月一回手紙のやりとりをしているが、ベティは元気そうだ。」
ベティは俺の幼なじみで婚約者だ。モーリスの叔母様が島の有力者に嫁いで儲けた娘なので、モーリスの従姉妹に当たる。俺が王都での人質に決まって島を出てからは一度も会えていないが、文通は続いている。
俺が人質になったときは本土の貴族を妬んだものだが、考えてみればモーリスの叔母様は俺と逆のパターンで島に渡ったのだ。本土の高貴な血筋も楽ではないのかもしれない。
「それはよかった。叔母様は体が強くありませんでしたからね。エリザベスが健康に育つか心配しているのです。」
やっぱりこいつは俺の知っているモーリスじゃない。普通だったら、「島ではまともな家庭教師を雇えないでしょう。セントジョン家にふさわしい教育を授けてあげられずに申し訳ない気持ちです。」なんて言っているはずだ。
ひょっとして・・・
「モーリス、ひょっとして聖女様には心をきれいにする力もあるのか?」
「はい。聖女様に触れられてから、生まれ変わったような、爽やかな気分なのです。もっとも、聖女様は僕にいくつもの精神的な試練を課されましたが、僕は辛苦を耐え抜いたのです。」
モーリスの目が輝いているが、頬が紅潮して少し恥ずかしそうでもある。
アンソニーは精神力のある奴だ。モーリスが耐え抜いた試練ならアンソニーだって平気なはずだ。
そうすると、聖女にアンソニーを治してもらうことができるかもしれない。
「でかしたぞモーリス、ありがとう。」
「なんのことですか?」
まず聖女にアンソニーに触れてもらい、アンソニーを魔女の呪縛から解き放つ。元に戻ったアンソニーの情報を元に、俺とアンソニー、モーリス、グリフィスの四人で魔女を討伐するのだ。なんならラドクリフを入れてもいい。
大陸の魔女ルクレツィア・ランゴバルドは袋に詰めて川底に沈め、東の魔女ルイーズ・レミントンは北の国の修道院に送り込む。脅威を取り除いた後、満を持して聖女にアーサー王太子を治癒していただく。
完璧だ。
分析や情勢判断なら、モーリスの方が俺より優れている。アンソニーの方が俺より人望と勇気がある。だが、違う要素をつないで、新しいことを考える、という点では、俺だってそれなりの力があると思う。
やるぞ。やってやる。
「大丈夫ですか、ジェラルド?」
「ああ、最高の気分だ。」
その時だった。
「・・・ひゃはっ・・・何をすりゅっ・・・」
遠くでアンソニーの声が聞こえた。2階だろうか。
「モーリス、今アンソニーの声が聞こえなかったか。」
「・・・いや、気のせいではないですか?」
モーリスの返答になんだか間があった。
耳を澄ます。
「・・・ふひゃっ・・・くしゅぐったいっ・・・たすけてっ・・・」
間違いない、よく聞こえないがアンソニーの声だ。この上の階から聞こえてくる。
アンソニーが助けを求めている。たとえこれが罠だとしても、騎士として助けに行かねばならない。