LXIX 研究者スザンナ・チューリング
アンソニーはすっかり満足してしまったみたいで、まぶたが重そうに見える。
ここから味方の名前を吐いてもらうまでは何をしたらいいかしら。さっきは悪い子の制裁だったけど、さすがに今回鳥の羽を使うのは拷問みたいでかわいそうだし。
でも、男爵が想定していなかった人がアンソニー達に黒服を着せて私を逮捕しようとしたわけだから、アンソニーが持っている情報は私の生き残りにとって重要なはず。何がなんでも話してほしい。
作戦を考えていると、まだ手付かずの膝の部分が目に入ってきた。
家族や使用人を相手に実践していたから、ふくらはぎより下のマッサージだったら私は現世でも慣れている。でも今回みたいに膝上まで肌が出ているのは前代未聞だから、膝裏のリンパ節を押してみてもいいかもしれない。
オリーブオイルを対象箇所まで広げて、指を全部使って押して離しての動作を繰り返す。
「うはあっ・・・すごいっ!・・・もう・・・おかしくなるっ!・・・」
アンソニーが起きたみたい。
「アンソニー、他に私を逮捕しようとしていた人、教えてくれない?」
「んっ・・・それは・・・うんっ・・・俺だって・・・プライドが・・・んんっ・・・」
さっきダドリー様の名前を売ったときは便宜が図れたって喜んでいたのに、アンソニーはダブルスタンダード。
名前がわかったところで、身分の高い人なんだろうし、男爵にはどうにもできないかもしれない。アンソニーの証言だけで捕まるような人ではないと思う。それでも慣れない王宮暮らし、できれば不確定なことは少なくしておきたいんだけど。
アンソニーから手を離す。
「えっ、いいとこなのにっ!やめるなっ・・・やめないでっ!」
懇願している今だったらいけるかしら。
「よく聞いてアンソニー、騎士としてのプライドはあると思うんだけど、私もいつ誘拐されるかわからない状況だと、安心して魔法をかけていられないのよ?だから、私を狙っている人の名前だけ教えて。男爵の力では逮捕したり傷つけたりはできないわ。」
「でも・・・」
アンソニーは快楽とプライドを天秤にかけているみたいだけど、意外とプライドも大事みたい。
しょうがない。私の身の安全がかかっているし。
本当は足の裏が傷ついたときは足裏マッサージをしてはいけないのだけど、さっきくすぐったおかげで血行もよくなっているし、肌も柔らかくなった。痛くないようにツボを押していく。
「あうううっ!・・・ひいっ・・・足がこわれるっ!」
「さあ、私の命を狙っているのは誰か言ってみて。」
「ひぎゃあっ!・・・まほう強すぎっ・・・!」
痛くないように気をつけてるんだけど。アンソニーがベッドで跳ねている。シャツを固定する革紐をそのままにしておいてよかった。
私人が拷問をするのは法律で禁止されているけど、現世では痛くないなら拷問に該当されないはず。24時間光に照らし続ける、みたいな前世の拷問は、多分採算がとれないんだと思う。
「痛くないわよね?」
「ふひゃっ・・・痛くないけどっ・・・ダメだっ・・・こわれるっ・・・しびれるっ・・・からだが壊れるっ・・・」
そこまでかしら。涙目のアンソニーから手を離す。
「はあっ・・・まだぞくぞくするっ・・・んっ・・・」
「それで、他の人は?言ってくれないとさっきの魔法をかけるわよ?」
アンソニーはまた長く逡巡していたけど、なんだか後ろめたげに口を開いた。
「・・・さっきの魔法・・・少し弱めにしてくれたら・・・そんなに嫌じゃない・・・」
そうくるのね。
アンソニーもさすがに自分のセリフが恥ずかしいのか、こっちを見ない。
「計算ミスしちゃったわ。作戦を変えないと。」
「え・・・さっきの魔法・・・弱いやつならかけたっていいんだぞ?・・・言わないならかけるんじゃなかったのか?」
そういえばそう言ったかもしれないけど、アンソニーのこの癖は誰かが治してあげないといけない。
「それが人に物を頼む態度かしら。」
「・・・もっと魔法をかけてください魔女様っ!」
アンソニー、多分我が儘放題で育っただけで、ちゃんとした人が躾ければ割と素直に育ったのかもしれない。
「よくできました。じゃあ、名前を言ったらこれくらいの弱い魔法をかけてあげるから・・・」
「んあっ、そこらめっ、あうんっ!」
私が弱めに膝の裏を押しただけなのに、突然アンソニーは男子中学生が出してはいけない高い声を出した。
「ちょっと!どうしたの、男の子でしょ!」
前世でジェンダーのステレオタイプを押し付けちゃいけないって習ったけど、慌てるとどうしてもこういうセリフを言っちゃう。
顔を見ようとすると、いつの間にかスザンナがアンソニーのシャツの中を触っていた。胸元あたりに手を入れている。
「どこを触っているのスザンナ!」
「あたいさっきの本で勉強したし、せっかくだから今、男性のにゅーとーをチェックしているの。」
「はうっ、いひゃっ、やめれっ!」
スザンナを見縊っていたわ。
「なんて破廉恥なことをしているの!ダメって言ったじゃない!」
「でも、男性のにゅーとーには『生殖関連機能』がないって、ルイス様の本に書いてあったよ。ルイス様は足を揉んでいるのに、なんでにゅーとーを揉むと破廉恥なの?」
「おひょっ、もうむりっ!」
スザンナも単語さえわかれば医学書が読めるのね。意外。
「ええとね、なんでかというと・・・なんでかしらね・・・」
確かに、足は本人の許可なく縛っていたのに、どうしたら男性の胸を触ってはダメと言えるのかしら。前世の水泳でも男の人は隠してはいなかったわね。
考えてみると客観的な理由は見つからないけど、でもダメだと思う。
「とにかくダメよ。社会的に認められてないの。あと足は本人の暗黙の了解があったけど、スザンナが触っている場所は嫌がっているでしょ。」
「別にこの子ははっきり嫌だといってないし、ルイス様も手を止めてないから、どっちが嫌なのかわからないよ?」
「だからあんっ、らめっれいってっ、んあっ!」
アンソニーはさっきから何をいっているのか聞き取れないし、確かに本人の明確な意思を確認するのは難しいかもしれない。
「ルイス様、にゅーとーがダメなら、こつばんには触ってもいいの?」
スザンナは意外にも真剣な顔をしている。この子はひょっとして医者を目指しているのかしら。
「むりいっ、ひうっ、もうむりっ、たすけええっ!!」
アンソニーが嫌がっている状況的証拠は揃っているみたい。アンソニーの顔の下に敷いたリネンがびしょびしょになっている。
「わかったわアンソニー、助けるから、その前に私を狙っている人の名前教えてくれない?」
「ぶぐっ、もうらめえええっ」
「二人とも、やめてあげてください!」
珍しくフランシス君が声をあげた。驚いて私もスザンナもパッと手を離す。
視界が開けて、アンソニーが青くなって痙攣しているのが目に入ってきた。
「大丈夫なのアンソニー?」
「はう・・・あ・・・」
アンソニーが半分白目になってしまっている。これはちょっと名前を教えてもらえなさそう。
「二人とも、その辺にしておいてあげなよ。気絶したウィロビーを運ぶのも大変だろう?」
男爵がアンソニーの革紐を解き始めた。フランシス君がいるのにこういう仕事を自分でするなんて珍しい。
「男爵、さっきの私のマッサージが魔法だったら、今のスザンナの攻撃だって魔法認定されるでしょう?」
「いや、普通は羽を当てたり指で押したりしても人間があそこまで壊れたりはしないが、スザンナのは因果関係がはっきりしているからね。例えば、原理的にはフランシスがやっても同じことができたよね。」
男爵はなんだか遠くを見るような顔をしている。なんだか不公平。やっていることはほとんど変わらないのに、マッサージだけ差別されるのはなんでかしら。
朦朧としたアンソニーを運ぶために男爵はわざわざゴードンさんを呼び出しにいった。
「大丈夫アンソニー?」
「うう・・・」
なんだか気の毒になってきたから、もう一度だけふくらはぎを揉んであげることにする。
「・・・ふわあ・・・もっと・・・」
さすがにパブロフだけあって懲りてないみたいだった。
ドアの外でなんだか揉めている音がし始めたけど、私は明日の午前中には王子に顔見せになるわけだし、アンソニーが出荷されたらさっさと寝ないといけない。
手続きミスで、「完結」扱いになってしまいましたが、まだ続きます。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。