VI 枢密院議長エドマンド・ダドリー
俺たちがダドリー様の執務室に呼ばれたときには、もう6時の鐘が鳴っていた。日が長くなってきたとはいえ、普段はこんな夜に呼ばれることはない。俺もアンソニーも何があったのか気になって、廊下を急ぎながらお互い顔を見合わせていた。
先導していた衛兵がドアをノックする。
「ジェラルド・フィッツジェラルド、及びアンソニー・ウィロビーをお連れしました。」
「入ってよろしい。」
古いドアが開いて、少し薄暗い部屋に通された。机の奥にダドリー様が座っている。一見すると痩せた冴えないおじさんといった雰囲気で、内戦後の傾いた財政を立て直した辣腕政治家にはあまり見えない。
「ダドリー様、フィッツジェラルド及びウィロビー、ただいま参上致しました。」
「挨拶は結構。それより王太子殿下の具合はどうかね。」
少し弱いが不思議とよく通る声が部屋に響いた。
「相変わらずです。悪くはなっていませんが、よくもありません。」
アーサー様は伏せってはいないが、運動ができるような状態でもない。原因については医者の診断もちぐはぐで、そばで見ている俺たちにはもどかしい日々が続いていた。
ダドリー様はため息をついた。
「15になるまで病気らしい病気をしていなかったのに、キャサリン様と結婚した途端にこうなってしまうとは。」
「優しいアーサー様は気を遣われすぎているのです。キャサリン様が連れてきた侍女たちが傍若無人だから、アーサー様は日々悩んでおられます。」
あの侍女達は本当に我慢できない。アーサー様が外出できない日にピクニックの護衛を俺たちに命じてきたときの、「当然の権利」って風にすました感じの表情といったら。
「ヘンリー王子が馬上槍試合や鷹狩りに興じている中、アーサー様が虚弱と思われてしまうのが俺は心配ですね。」
アンソニーはヘンリーとよく比較されるアーサー様を心配しているようだ。ちなみに俺は、アーサー様のオルガン演奏の直後にあえて同じ曲目をより上手に引いた第二王子をいまだに許せていない。ヘンリーは当時9歳だったとはいえ、根本は変わっていないはずだ。
「国王陛下は王太子殿下を気に入っておられる。ウィロビー、余計な心配はするものではない、不要な疑惑を作ってしまうからね。それとフィッツジェラルド、口調から察するに王太子殿下が悩んでいるのはお前達の憤りを抑えたいこともあるのではないかな。あまり優しい殿下を気遣いさせてはならないよ。」
「はい・・・」
返す言葉がない。ダドリー様は少ない情報から色々なことを見抜くのが得意な方だ。男爵の次男の息子だとかで自分の領地がないらしく、地主貴族の親父なんかはダドリー様を馬鹿にしていたが、近くで接すると自然と尊敬の念が生まれてくる。
「さて、お前達をこんな時間に呼んだのは、当然急な用事ができたからだ。東の魔女ルイーズ・レミントンのことは覚えているね。」
「ルイーズ・レミントン・・・俺たちが来週にも裁判を傍聴する手はずになっていましたが。」
名前を聞いても俺はピンとこなかったが、アンソニーは覚えてくれていたようだ。
「左様。だが王立裁判所で行われるはずだった裁判が、急に星室庁裁判所に変更になった。日時もなぜか前倒しされ、明日になっている。」
「星室庁裁判所ですか、ルイーズは貴族ではないのですよね。」
星室庁は現国王陛下が内戦後の処理に作った機関で、貴族や王族の特権が例外扱いされて誰でも裁けてしまう場所だ。ただしその代わりにプライバシーが極力守られることになっている。
「弁護士の娘だ。母方は準男爵の位を持っているが、本来は星室庁で裁くような案件ではない。そもそも魔女裁判が非公開、陪審員なしで行われた前例はない。おまけに枢密院に通達が来たのが裁判の前日だ。」
ダドリー様は手元の書類を指差して首を振った。
「星室庁で扱うかどうかは枢密院が決めるのではないですか。」
「王令だよ。もともと私の担当は徴税と予算編成で。裁判の詳細にはタッチしていない。だが今回は介入せざるを得ないな。ウィンスローが陰で動いている。そして奴には裁判所を変える権限はないから、もっと大きな勢力が裏にいると私は見ている。」
「そうですか、あのウィンスローが。」
若いうちに男爵の位のまま国王陛下付き侍従に抜擢された、例のウィンスローの顔を思い出す。絶えず不気味な薄ら笑いを浮かべる奴だが、蜘蛛みたいなトリックを張る油断できない男だ。
「怪しいのはわかりました。でもそれと俺たちにどういう関係があるのですか。」
今のところ俺たちが呼ばれた理由がわからない。
「そうだな、それには彼女が操る魔法の詳細が関係してくる。お前達にはまだ説明していなかったね。」
アンソニーがごくんと飲み込む音が聞こえた。
「まず彼女は魔法の目を持っている。それを使って、見ただけで男の服の下の全てが見えてしまうらしい。」
「は・・・裸を見られるんですか。」
「それ以上だ、体内の血管配置や経穴まで見えてしまうそうだ。」
思わずゾッとする。アンソニーを見るとこっちもすくんでいるようだ。
「でも・・・見えるだけですよね。」
「いや、その上で彼女が使うのは指魔法だ。体内の弱点を探し当て、そこを直接指で触って魔力を注ぎ込む。」
「そんな・・・」
想像しただけで足がすくんでしまう。俺の弱点が瞬時にバレて、触るだけで魔力を注入してしまうって、小さい頃聞かされた幽霊の話よりよっぽど怖い。
「それで、魔法にかかったらどうなるのですか。」
「魔法にかかった男は魂を抜かれたようになり、魔女のいいなりに操られてしまう。男としてのプライドもなくなり、いわば奴隷になり、魔女の好みに沿って醜態を晒すのだ。」
俺とアンソニーは見合わせる。アンソニーの顔に血の気がなくなっているが、俺の顔もきっと大差ないんだろう。
なんて恐ろしい魔法だ。意思のない人間なんて死んだも同然だ。その上一族の恥を晒すなんて。
「でも、触られる前に倒せばいいんですよね。」
「油断するな。あのスタンリーでさえ魔法をかけられ戦闘不能に陥っている。」
「あのスタンリー卿が?そんなんあり得へん。」
まだ20代前半の、俊敏で屈強な軍人を思い浮かべる。まさか。
「フィッツジェラルド、宮廷では言葉に気をつけなさい。」
「すみません、ダドリー様。」
俺はさっきから動転していて、さっきから少し島の訛りが出てしまっている。
「スタンリー卿の件から見えてきたところでは、魔女自身には野望はなかったようだ。彼女は家の者を支配下に置くだけで満足していたようだった。しかし、悪意のあるものがもし彼女を王宮に潜入させたら、どうなるかわかるね。」
「はい、アーサー様がターゲットになりますね。」
アーサー様は断じて女性を荒く扱ったりしないし、今の体調では魔の手から逃げきれないだろう。魔女に裸にされて指でつつかれ、虚ろな顔で魔女の背後にいる奴のカラクリ人形になってしまうかもしれない。
ああ、アーサー様!
「このアンソニー・ウィロビー、命をかけて王太子殿下をお守りします。」
アンソニーに先を越された。
「このジェラルド・フィッツジェラルド、必ずや魔女を倒してご覧に入れます。」
いつでもアーサー様の周りで警戒をしているより、その方が早いはずだ。
「その件についてだが、魔女は傷つけずに生け捕りにしてほしい。星室庁裁判が容疑者死亡で中止となると、国王陛下のメンツに関わる。彼女が怪力使いだという情報はないから、彼女の前で皮膚を晒さないようにしていれば、二人掛かりなら身柄を確保できるはずだ。」
ダドリー様は立ち上がると、部屋の隅にある黒い布を指差した。
「この服はできる限り一枚布でできていて、スカーフのように頭の大部分も隠れるようになっている。手首と足首できつく縛るようにできてあるから、このうえに長いブーツを履いて、きつい手袋をはめること。魔女は魔法をかける前に服をたくし上げる習性があるから、手こずっているうちにもう一人が縛ってしまえばいい。くれぐれも肌を晒さないように。」
準備された厚い黒服を手に取ってみる。全身を隠してくれそうで心強い。手触りも悪くない。
「実行は明日の午後だ。星室庁の入り口から審議室までの廊下に控えていてもらう。手配したものが魔女の従者を引き離すから、魔女自身を確保してほしい。情報によれば魔女の護衛は手薄だ。ただし捕まえる際に、神聖な星室庁で血を流しては絶対にならない。」
「はい。」
「わかりました。」
俺とアンソニーは大きく頷いた。
「この件はサー・リチャードとサリー伯爵にも伝えてある。それ以外には一切口外しないように。」
「モーリスには伝えますか。」
モーリス・セントジョンもアーサー様の従者だが、今は人手不足のヘンリー王子のところに出向いている。
「それも考えたが、レミントン家の使用人を調べたところ、魔女は肩や腰に痛みを訴えるものを好んで襲うという習性があるらしい。セントジョンは肩の痛みを訴えていただろう。」
「確かに違和感があると言っていましたね。」
「肩や腰を弱ったものを狙うのは、おそらく自分が斬られる危険性が低下するからだと思われるが、詳細はわからない。大事を取ってセントジョンは今回の計画から外す。とりあえずは大ごとにしないことが重要だ。今回は隠密にことを進める。分かったかね。」
「はい!」
重大な任務だ。でもやる気がみなぎってくる。横を見ると、多分アンソニーも同じなんだろう。鼻息が聞こえてきそうだ。
アーサー様が体調を害してから、俺たち従者にはあまり面白い仕事がなかった。久しぶりにワクワクするような任務だ。帰りの廊下を走り抜けたい誘惑にかられる。
必ず魔女をひっ捕らえて手柄を立ててやる。