LXVII 枢密院序列第二位エドマンド・ダドリー
アンソニーのシャツははだけないように革紐で固定してもらった。事故が起きないように腰の周りを布で巻いてもらう。手首足首も縛られた様子は拷問にあっているようにも見えるけど、パブロフ自身はワクワクした感じの表情をしている。
「今回は塩水を使った魔法か。私も楽しみだよ。」
ブランデー片手に笑っている男爵は、さっきから寸劇を見に来た観客みたいに振る舞っている。
「マッサージはしませんよ?悪い子にお仕置きをするだけです。」
アンソニーのせいでかなり恐ろしい目に遭ったし、お気に入りの靴を危険に晒した罪は許せない。
足の裏とか手の平のマッサージは「リフレクソロジー」っていう理論があったけど、あん摩マッサージの資格とか専門学校での訓練にはあんまり登場しないから、基本的には独学だった。神経や動静脈の通っている箇所とか、一部一部の特徴は現世でもちゃんと覚えていて、マッサージ以外にも用途はある。
「アンソニー、レディの部屋で服を脱いではいけないって習わなかったの?」
一応被告人の弁明を聞きましょうか。私、弁護士の娘だし。
「魔法は脱いだ方が効果的だっていうからな。特別に脱いでやったんだ。」
何その恩寵みたいな言い方。喜んでいるのはスザンナくらいよ?
「誰も脱いでとも頼んでないし、脱いでいいとも言っていないのよ?」
「別にいいだろ、魔女様は魔法に集中してくれればいいんだよ!」
その女は口を出さずに子供の世話をしてろ、みたいな言い方はよくないと思う!
「アンソニー、今度から私の部屋では絶対に脱がない、私の許可なしに私の前で脱がない、と約束できる?」
「私」じゃなくて女性一般にしてもいいけど、アンソニーはさっき性別を気にしていなかったから危険だと思う。
「イヤだ。だって魔法は地肌の方が効くんだろ?」
はい有罪確定。塩水をアンソニー足の裏にかけて、鳥の羽の根元の部分で少し引っ掻く。
「アンソニー、今からすることをやめて欲しかったら、私の前で脱がないと約束してね。」
「なっ、なんだ、むず痒いことするな!」
この世界の人らしく、アンソニーの足の裏も古い角質が残っているみたい。カサカサの足の裏に少し傷が付いたら、もう少し塩水をかけて、鳥の羽を持ち変える。
毛先を動脈が皮膚の近くを通っている部分に持っていって、細かく動かす。
「ひゃはっ!何をすりゅっ!!」
手足を縛られているアンソニーが体を波打たせて悶えた
「アンソニー、さっきいったこと約束する?」
「ふひゃっ、くしゅぐったいっ!たすけてっ!」
実践したことはなかったけど、理論通りだわ。アンソニーは笑ころげている。転がれなくて辛そうだけど。
「こしょばいっ!ひゃっ、やめてっ!」
私は足裏マッサージには自信がある。当然こうして技術とノウハウを悪用するのも簡単。足の裏は血管が皮膚の近くを通っているからマッサージに最適。
「パブロフ、約束するの?どうなの?」
「はっはひっ、はっはひふっ、ふひはっ」
アンソニーがちょっと苦しそうになってきた。少し過呼吸ぎみになっているみたい。流石にかわいそうなので手を止める。
「約束してね?」
「はあ・・・はあ・・・でも・・・でも魔法かかりたい」
意外としぶとい。鳥の羽は所定の効果がなかったみたい。
オリーブオイルを投入しようかしら。
「今度私の前で脱いだら二度と魔法をかけません。」
「そんな・・・」
アンソニーはあからさまに落ち込んでいる。
「それで、約束しないと左足が同じ目に合うわよ?」
「それは・・・ひゃんっ!わかったっ、ふひゃっ、ははひっ、約束しゅりゅっ!ゆるひてっ!」
「いいこねパブロフ。フランシス君、羊皮紙と羽ぺんをとってきて。」
手を止めてあげる。笑いすぎて息が苦しそうだったアンソニーは、今は棄権したマラソンランナーみたいに青くなってゼエゼエ息をしている。
「ま・・・魔女・・・昨日の・・・魔法・・・かけ・・・」
「悪い子にかける魔法はありません。」
ちょっと懲らしめてあげないと。
「そ・・・そんな・・・そんなあ・・・魔女・・・様・・・」
また子犬みたいな目で見てくるけど、私だってマッサージ師としてのプライドがある。招いてもいないのに勝手に部屋に入って脱ぎ出した男をお客様扱いなんてしない。
「ルイス、君がこんな凶悪な魔法まで持っていたとは。」
男爵は絶句していた。微笑した表情のまま固まってしまっている。
なんでこれまで魔法になるのよ?
「見ていましたよね、男爵?科学ですよ、科学!塩水も羽も全部日常にあるものでしょう?」
「いや、こんな凶悪なくすぐりは見たことがないよ。羽で人間があそこまでおかしくなるとは思えないな。これは魔法じゃないならなんというんだい。君たちもそう思うだろう。」
「はい、魔法に間違いありません。」
「あたい魔法怖くなった。」
三人とも恐ろしいものを見たような顔をしているけど、魔法の定義がおかしいだけなのかしら、この世界。
「俺・・・耐えたのに・・・魔法・・・かけてもらえない・・・」
「流石にウィロビーが気の毒じゃ無いかな、もっと優しい魔法をかけてあげなよ。」
男爵まで、なんでレディの前で脱ぎ出したアンソニーの肩を持つのかしら。
「アンソニー、大体、私たちに便宜をはかったら魔法をかけるって約束だったでしょ。今のところ迷惑なだけだから、魔法をかける理由がないわ。」
「俺は・・・ダドリー様の尋問で・・・ちゃんと沈黙を守った!」
アンソニーはまだ苦しそう。少しやりすぎたかしら。
「私たちの秘密を守るのは、魔法取引以前に合意済みよ。契約書をちゃんと読まなかったわね、アンソニー。」
秘密を守ってもらうのは絶対で、オプションじゃない。
「ちょっと待った!ダドリーだって?君らをけしかけたのはサリー伯爵じゃないのか?」
男爵の微笑で固まっていた顔から笑いが消えた。ドマチックなセリフもあって、この表情は今日の男爵のハイライト。
確かに、「ダドリー」なんて名前、男爵の説明には一切出てこなかった。
「サリー伯爵は・・・この一件をご存知だが・・・はあ・・・俺たちが主だって指令を頂いたのは・・・ダドリー様からだ・・・はあ・・・」
「弱ったな。ダドリーが出てくるとは思わなかった。」
自分の情勢判断ミスで悩む男爵は、月明かりに映えて美しい。こういう彫りの深いイケメンはやっぱり夜にほのかな明かりの下でほろ苦い表情を浮かべて欲しい。ブランデーよりはコーヒーの方が似合うと思う。黒服もいい味を出している、
でも私まで悩むはめになるんだろうな。サリー伯爵以外に私を狙っている人がいるということだし、男爵の情報はますますあてにならなくなってきた。
どうせ後で悩むんだし、今のうちは貴重な「男爵の真面目な顔」を堪能しておこうかしら。
「俺・・・べんぎ・・・はかったよな・・・」
アンソニーは「便宜」なんて言葉知らないんじゃないかと思っていたけど、意外とちゃっかりしている。
約束は約束だし、マッサージはしてあげようかしら。私、弁護士の娘だし。




