LXVI 隣人フランシス・ウッドワード
落ち着くまで少しかかったけど、自然とフランシス君の部屋が目に入ってくる。
レミントン家の私の部屋に近い明るい雰囲気のインテリアで、白っぽい漆喰が壁に塗ってある。木目の床に薄いオレンジ色のカーペット敷いてある。私が座っている木の椅子と机は白く塗られていて、他の衣装箪笥や化粧棚は明るい色の木製。お洒落というわけではないけど、前世の一般家庭にありそうな、整った感じの部屋だった。
クリーム色のベッドはふかふかしていそうで気持ちよさそうだけど、シャツ一枚のアンソニーが転がっているのが玉に瑕ね。
「少しは落ち着いたかい、ルイス。」
今晩は微笑が柔らかい男爵がブランデーを注いだカップを渡してきた。
「ありがとう、でも結構です。アンソニーがいなければもっと落ち着くのだけど。」
とりあえずこの状況を解決してアンソニーを追放しないといけないし、ブランデーを飲んで眠る場合じゃない。
「君がレディみたいな反応を見せるとは、びっくりしたよ。」
「レディみたいって、そもそも私レディですからね?忘れないでください。」
前世でマッサージ師だったし半裸の男の人を見るのは平気だと思ったけど、やっぱり現世の感性の方が勝っているのかもしれない。恵まれた家に育ったから、ああいう際どい格好は家族でも見ない。
今回は状況も状況だったし、アンソニーの格好も前世ではかなりレアな部類に属すると思う。
「それはそうと、男爵はなんでここにいるんですか?」
「ああ、ルイスの部屋とフランシスの部屋の間の秘密の扉が開くと、そこの窓の外にある仕掛けが動いて、私の部屋まで鉛の管で水が運ばれるようになっているんだ。私の部屋でその水を堰き止めて、水の滴が水桶に少しずつ落ちる仕掛けになっている。私が席を外していても戻れば異常に気づくというわけだ。」
仕組みは男爵が考案したみたいで、説明する間すごく顔が生き生きしている。あんまり黒服男爵のイメージと合わない。
「なんでそんなピタゴラスイッチみたいなものが仕掛けてあるんですか。」
私の設定も無駄なところで凝っていて肝心なところでツメが甘かったけど、これが男爵の性格なんだろうと思う。
「ピタゴラスイッチ?」
「高名な数学者です。必要以上に複雑なスイッチを作って楽しんでいたんです。そんなことより、スザンナとフランシス君を呼んできてもらえますか。」
「わかった。」
男爵は私のことが見える位置に留まったまま、隣の部屋に声をかけているみたいだった。
「いつまで待たせるんだ、魔女様!」
外野がうるさい。この世界に保育所があったらアンソニーを預けられるのに。
呼ばれたフランシス君は申し訳なさそうに縮こまっていたけど、スザンナは反省の色が見えなかった。
「ルイス様、いきなり王子様の相手をするのも大変だし、ここらへんで場数を踏んでもよかったと思うよ。」
問題を招いたのに解決もできなくて、さらに悪びれない態度を取られると流石にイラッとする。
「スザンナ、まずその言葉あなたにそのまま返すわ。私はそういうお相手はしません!それと、ごめんなさいが聞こえてこなかったけど?」
「・・・ごめんなさい。」
アヒルみたいに口を窄めているけど、一応悪かったという意識はあるみたい。
フランシス君はアンソニーに戸惑っているようだった。
「その、なぜウィロビー閣下が私のベッドに?」
「私が聞きたいけど、私のベッドだったらもっと問題があるでしょう?それよりフランシス君、革紐を持ってきて頂戴。古いやつでいいわ。スザンナ、一階に行って、オリーブオイルと塩、鳥の羽、それに水とリネンをもらってきて。」
鳥を料理するキッチンにはかなりの量の羽が余っていて、ペンにしたり布団につめたりする。
「わかったわ、行ってきます!」
スザンナは意気揚々と部屋を出て行った。この状況でなんで鼻歌をふけるのかしら。
「今度はどんな魔法が始まるんだい?」
男爵がブランデーを片手に楽しそうにしている。
「魔法はかけません。レディを怖がらせた人には痛い目にあってもらいます。」
よくもレディを恐怖のどん底に落としてくれたわねアンソニー。
それにしても、従者を引退したら自営業をするんだろうとぼんやり考えていたけど、今夜の一件でセキュリティーが心配になってきた。サービス業だとお客さんが変なことをしてくるかもしれないし。
将来のことを考えていると、フランシス君が革紐を持ってきた。
「ありがとうフランシス君、それでアンソニーの足の付け根をシャツの上から縛ってくれる?ついでに手首も後ろで組んで縛っておいて。」
「ええと、私がですか?」
「ええ、そうしたらさっき私を守ってくれなかったことを責めないであげるわ。」
なんだか顔が赤いフランシス君はやたらと手際が悪かったけど、アンソニーが無抵抗なので割とスムーズに縛り終わった。
「アンソニー、今日はジタバタしないのね。」
「魔法をかける前には縛るんだろ?」
昨日マッサージをかける前に、身柄確保のためにアンソニーを縛っていたから、マッサージ前は縛られるものだと勘違いしているみたい。
パブロフの条件反射みたいなものね。
「ねえアンソニー、今日からあなたをパブロフって呼んでいい?」
「パブロフ?なんでだよ。俺にはアンソニー・ウィロビー・ド・ブロークっていう由緒正しい名前があるんだぞ。」
アンソニーでも流石に自分の取り柄は家名だってわかっているみたい。
「パブロフは偉大な科学者の名前よ。」
「偉大な人にちなんでいるのか、じゃあいいぜ魔女様!」
本人の許可が出たから、気分が向いたらこの子をパブロフって呼ぼうと思う。
「ルイス様、羽とオリーブオイル、塩に水、あと布ももらってきたよ!」
スザンナが色々と抱えて戻ってきた。一往復で全部持ってこられるのはすごいと思う。
「ありがとうスザンナ。さて、グッズも揃ったし、お仕置きの時間ですね。」
パブロフには言葉で説明するよりも、ダメなことはダメって体で覚えてもらおうと思う。