LXV 侵入者アンソニー・ウィロビー・ド・ブローク
ギイとドアが開いて、部屋の明かりでアンソニーの体が照らされた。こげ茶のマントの下に、黄色の縁取りがある茶色いジャケットと赤いタイツを着ていて、なんだか前世のおもちゃ屋さんみたいな格好。走ってきたせいか肩が上下している。
「はあ・・・はあ・・・見つけたぞ・・・ついに見つけた・・・」
息が荒いし、何だか目が据わっているみたい。ちょっと怖い。
平静を保って普通の挨拶を心がける。
「こんばんはアンソニー、昨日ぶりね。髪型が違うのによくわかったわね。」
ここは私のペースを保たなきゃ。
アンソニーは乱暴にマントを脱ぎ捨てた。
「責任・・・とれよな・・・」
責任?アンソニーやっぱり左遷されたのかな。アーサー王太子周辺の人事に責任は取れないけど。
「アンソニー、王太子のそばにいられないのは残念かもしれないけど、何事も経験だと思うの。王宮だけが世界じゃないし、一度広い世界をみた方が、人格が陶冶されていいかもしれないわ。」
アンソニーはどうみても未熟だし、宮殿の狭い社会から解き放たれるのもいいかもしれない、と他人事だけど思う。
「違う・・・そんなんじゃない・・・俺のからだ・・・こんなにして・・・」
まだ息の荒いアンソニーがジャケットのボタンを一つ一つ外していく。
からだ?
ひょっとしてモーリス君みたいに「あんな破廉恥なことをされてもうお婿にいけない!」という感じかしら。責任とれって私が結婚しろということ?
ダメよ、こんな将来性も知性もない夫なんて。そういえば面食いなのはちょっと嬉しいけど。
「ごめんなさい、アンソニー、顔がいい人は他にもいるわ。それにアンソニーには由緒ある家柄とか、あと高貴な血筋とか、それに有力な親戚なんかがいるんだから、左遷されてもいい縁があると思うの。だからそれ以上近づかないで。」
家柄以外にいいところが見つからないけど、ゴードンさんの言っていた通り家柄は最優先事項よね。
私の制止を聞かずに、アンソニーは歩きながらジャケットを脱いだ。白いシャツと赤いタイツがあらわになる。レディの部屋で男性がジャケットを脱ぐことはタブー。ここは正式にはルイスの部屋だけど。でもアンソニーは気にしている様子がない。高そうなジャケットを床に放り投げて、私に近づいてくる。
モテない上に左遷されるからって、やけになって私を襲う気なんだ。
「ごめんなさい、アンソニーこの服を見て!今まで黙っていたけど、私実は男なの!」
さっきまで着ていた法服を指差す。アンソニーの脳細胞だし、なんとか騙されてほしい。
アンソニーはタイツのつなぎ紐をほどき始めていた。
「もうどっちだっていい・・・」
「ええっ!?」
大事でしょ?よく知らないしわからないけど、色々とだいぶ違ってくるんじゃないの?
事態は私の理解の範囲から逸脱してきた。こういう時こそ!
「行きなさいスザンナ!」
「はいっ!」
すでに鼻息が荒かったスザンナは私の前にでた。元はと言えばこの子が不用意にドアを開けたせいで色々困っているけど、アンソニーを倒してくれるなら大目に見てあげる。
「あたいに任せてルイス様!」
さあ存分に堪能しなさい、スザンナ。アンソニーは肩幅こそないけど、結構鍛えられた体をしているし、モーリス君よりはスザンナ好みのはず。
アンソニーは近づくスザンナを気にしないで赤いタイツを脱ぎにかかっていた。ピチピチのタイツなのでちょっと手間取っている。
「んっ・・・くっ・・・」
「ぶふっ、脱ぎ方セクシーっ!!」
スザンナはもんどりうって近くのベッドに倒れこんた。
そんな・・・
「スザンナ!宿屋で男の着替えを覗いていたんじゃなかったの!?この程度でダメなの!?」
この子は勇敢だけど経験値がないんだった。でもこれは計算外。こうなるならアンソニーがタイツを脱いでいるうちに逃げればよかった。
後ずさりをしていく私と、タイツを脱ぎながらゆっくり進んでくるアンソニー。でも私もまだカードは全部切ってない。
ゆっくり後ろに進んでいるけど、一歩一歩昨日男爵に教わったフランシス君の部屋への隠し扉に近づいている。
タイミングを見計らって後ろを振り返る。金属板をどんどんと叩く。
「フランシス君、フランシス君!」
「何事ですか!?」
驚いたフランシス君が10秒弱くらいで繋ぎ扉から出てきた。まだちゃんとした紺のローブ姿。
「フランシス君、あの変質者から私を守って!せめて時間を稼いで!さあ、いくのよ!」
なんだか前世の男の子たちの間で流行っていて、私も1ヶ月だけやっていたモンスターゲームみたいだけど、今回は負けたときに目の前が真っ暗になるだけじゃ済まないのよ!
アンソニーはとうとうタイツを完全に脱ぎすててしまって、丈の長いシャツ一枚になっていた。前世で言う『彼シャツ』だけど、「彼」がきている場合に彼シャツ認定はされるのかしら。幸い透けないタイプのリネンだけど、まっすぐ見るのが憚られる。でも私にはフランシス君がいる。
「ひゃあっ」
フランシス君はアンソニーの格好を見るなり、自分の目を覆って立ちすくんだ。顔が真っ赤。
なんで!?
「ちょっとフランシス君、あなたモーリス君二号なのっ!?なんでみんな揃って乙女なのっ!?王子と全裸で水浴びしているんじゃなかったのっ!?男爵は何を考えてこの人たち選んだのっ!?もうバカっ!バカバカっ!!みんなバカなんだからっ!!」
とりあえずフランシス君の部屋に逃げる。
私は今ネグリジェにガウン姿。下にコルセットはしてない。コルセットは着るのが大変だけど、脱がすのが面倒っていう意味ではいい防護だったのね。
後ろを見るとアンソニーはフランシス防衛線を突破してフラフラとこっちに歩いてくる。フランシス君はドアに立っているだけでもよかったのに何をしていたの?
味方は二人とも散ってしまった。味方だったのか怪しいけど。
この姿で廊下は逃げきれないし、男女さえ気にしない今のアンソニーならギャラリーだって気にしないはず。廊下でみんなの前で襲われるのは辛い。
アンソニーがいよいよ近くに寄ってきて、もうまともに目を向けられない。
マッサージの裏知識を生かして丹田に一発殴りを入れてもいいけど、アンソニーの「彼シャツ」スタイルだとどこまでが胴なのか今一つわからない。
すごく嫌だけど、急所を蹴り上げるしかないのかも。でもこの引っ掛け靴、ノリッジのレミントン家でもすごくお気に入りにしていたのに。相手はシャツしか着てないのに。
夜に内緒で蜂蜜を舐めに行ったとき、足音に気をつけて階段を降りた靴。朝目が覚めてしまって日の出を見に屋根を登ったとき、瓦葺きを慎重に踏み締めた靴。雷に怯える弟の部屋で一緒に抱き合っていたときも、初めてお兄様をチェスで負かした時も、いつも一緒だった緑の靴。
ああダメ、この靴を犠牲にできない。思い出でいっぱいのこの可愛い緑の靴を、一生もののトラウマまみれにすることなんてできない。靴に罪はないわ。あとこれ甲が出るデザインなの。
お父さん、お母さん、こんな口ばっかりで意気地のない娘でごめんなさい!
これって走馬灯ってやつよね。それにしても走馬灯って長いのね。一瞬だと思っていたのに。
終わるならさっさと終わって欲しい、こういう辛い場面のスローモーションが一番堪え難いと思う。
男爵もそこで薄笑いしてないでなんとかしてよ。
男爵!?
「やっと正気に戻ったかな、ルイス。」
おかしそうに笑っている男爵。視界が開けてきた。
「笑っている場合じゃないでしょ!彼シャツはどこなの?」
「彼シャツ?ウィロビーのことならそこだよ。」
男爵は見慣れないクリーム色のベッドを指さした。
「早くしろよっ、魔女様っ」
シャツ一枚のアンソニーがうつ伏せにねっころがっている。
「どういうこと?バカなの?それとも信じがたいほどバカなの?」
自分があられもない姿でベッドに転がれば、女は魅力に屈してベッドに引き寄せられるとでも思っているのかしら。だとしたら稀代のバカだわ。後世の研究のために脳をホルマリン漬けにしたいくらいのバカだわ。
男爵は肩を竦めた。
「見ての通りだ。アンソニーは魔法中毒になったんだよ。」
へ?
見ての通りと言われてもよくわからないけど。じろじろ見たら私の教育によくないような気がしてはっきり見る気が起きない。
「早く魔法かけろってば・・・なあ魔女様っ!」
アンソニーはなんだか訳のわからないことを口走っている。見るに耐えない格好をしているけど、勇気を出して顔の方に焦点を合わせてみると、なんだか餌をもらう前の飼い犬みたいな顔をしている。
アンソニーの思考回路は人類の謎だけど、でも私を襲ってきそうには見えない。一応なぜか男爵もいるし、私は助かったのよね?
「襲われるんだと思った・・・」
腰から力が抜けるみたいな感覚に襲われて、私はヘナヘナと近くの椅子に座り込んだ。
「ルイス、君はパニックになると固まってしまうんだね。意外な発見だったよ。」
男爵は今日も意地悪だけど、もう反論する気力が残ってない。
「ふっ」
私はため息をつこうとしたけど、もうため息も出てこなくて、消化不良な吐息をついた。




