LXIV 学習者スザンナ・チューリング
蜂蜜酒を飲んじゃったせいか、豚肉のキャセロールは食べきらなくて、モーリス君と分けることになった。「聖女様と同じお皿から、パンを分けていただくって、意味をご存知ですか?恐れ多いです・・・」なんていつもの問答があったけど、結局二人で完食した。間接キスを知らなかったのになんで恥ずかしがるのかしら。
下の階で、塩とミントの粉末で歯磨きもしたし、あとはノリッジの家族に手紙を書いて寝るだけ。
スザンナは手際よくベッドを整えてくれていて、ネグリジェに着替える間は部屋の外で蝋燭の準備をしてくれているというプロフェッショナルさだった。人格はともかく実務はできるのね。
着替え終わったあと、スザンナに蝋燭と羊皮紙を持ってきてもらう。私が丸テーブルで手紙を書いている間、スザンナは肘掛け椅子に座って何か本を読んでいた。字が読めると思ってなかったからすこしびっくりする。
「ねえルイス様、あたいこの単語わからない。」
「そういう時は『教えてください』っていうのがマナーなのよ。ちょっとみせて。この単語は『乳頭』って言って・・・
なんでこんな本読んでるのバカつ!!」
乳頭はともかく前後の動詞と形容詞に狂乱しそうになった。
「ああっ乱暴にたたまないで、男爵からいただいた参考書なのにっ」
「こんな本破れた方が社会のためになるわ!」
憎むべき男爵の忌まわしき本を取り合っていたら、腕に当たったのかテーブルの上の蝋燭が倒れてしまった。
「きゃっ」
「わっ」
スザンナが靴で火を踏み潰す。火はすぐに消えてくすぶる感じになった。
私がちょうど変えたばかりだった毛布を手渡すと、優秀な女中さんは消防士みたいに使って消火してくれた。
「ごめんなさいね。男爵からいただいた本を読んでいるあなたに落ち度はなかったのに、こちらが取り乱してしまって。靴は男爵に弁償してもらいましょう。」
「気にしないでルイス様、蝋燭を倒したのはあたいだし。じゃあごめんの代わりにあたいに『乳頭』を教えて。」
私はふうと息をつくと、部屋にある医学書を持ってきた。ノリッジの裁判で、「医学書もないのになんでリンパ管を知っているんだ」と突っ込まれたから、男爵に頼んで王宮の図書室から持ってきてもらってあった。
解剖の絵があるページを開く。
「ここで探してみて・・・そんな下じゃないの!」
スザンナが熱心に探しているのを見つつ、すこし煙たくなった空気を入れ換えるために窓を開ける。
「今夜は涼しいわ。」
フランス窓みたいになっているところか身を乗り出して夜風に当たる。手前に庭園、近くに橋、遠くに王都の灯りが見えて、ちょっとした風景画見たいな景色。
「えっ」
誰かの微かな声がして、下を見た。見下ろすと人がいる。
見覚えのある鮮やかな金髪。ちょっとやんちゃな感じの顔。
「魔女様だっ!」
迷惑なのに見つかっちゃったみたい。
バタンと窓を閉める。誰かが駆け出す音が聞こえる。
「スザンナ、王子のいる区画は女性が入り込まないように厳しいチェックが敷かれているのよね?」
そう、ここは国内最高峰のセキュリティを誇る宮殿、そして神経質な王子の住む区画。何の心配もないはず。
「いつもはそうだけど、今は王子様がいないから誰もいないよ?それより『骨盤』って何?」
そこに絵があるでしょう?
今骨盤どころじゃないのよ!?
「ホネよホネ!それより籠城するわよ!準備をして!」
階段を駆け上がる音がしたかと思うと、ドンドンとドアを叩く音がした。
「はあい!」
スザンナがドアを開けに行く。
「籠城するって言ったじゃない!ドア閉めてよ!」
「ろーじょーって何?」
そう言いながらドアを開けるスザンナを呪った。
クリスマスプレゼント、辞書にしてあげる。