XLIII 小間使ルイザ・リディントン
ゴードンさんが部屋の一同のためにワインをあけようとしていたとき、どんとドアを叩く音がした。
「初仕事ねっ!」
スザンナがルンルンとしたステップでドアの方に歩いていく。
「待つんだスザンナ、不用意にドアを開けてはいけないよ。」
男爵が呼び止める前に、スザンナはドアを開き始めていた。
ドアの向こうの廊下は暗かったので最初は見えなかったけど、人影が部屋に入ってくるにつれてだんだん姿が照らし出される。
本物の美少年だった。
あまり光沢のない金髪というか、猫みたいなベージュの髪の毛に深緑の目。少し青白い肌で、唇が若干薄い気がする。まつげが長い。深緑のローブを着ていることもあって、ミステリアスな雰囲気がある。背はアンソニーくらいあるけど、見た目から何歳か判断しづらい。
「もうこの廊下の従者は寝る時間です。引越しと聞いて我慢していましたが、さすがにもう少し静かにしていただけますか。」
少しハスキーだけど、声もイメージとあっていると思う。あまり機嫌が良くない感じだけど言い方は丁寧。
「すまないねセントジョン。色々打ち合わせがあったもので。」
男爵は美少年の知り合いみたいだった。ゴードンさんはさらっとワインを隠していたので、ビスケットを食べつつ打ち合わせをしているように見えなくもない。
美少年は私たちを見るなり、急に不審そうな顔になった。
「ウィンスロー男爵、衛兵の二人はともかく、この女性二人はなぜここにいるのです?」
セントジョンと呼ばれた美少年は私とスザンナを指差した。
スザンナはルイスの女中ということにすればいいかもしれない。でもセントジョンってさっき男爵が言及していた従者の一人よね。つまりルイスの同僚なわけだけど・・・
私の着ている服を見つめる。小紫のワンピースにモスグリーンのドレス。これで男だと名乗るのは厳しい。
クライシス。
一か八かにかけるしかなさそう。一歩前に出てレディの挨拶をする。
「初めまして、私はルイザ・リディントン、ヨーマスの公証人バーソロミュー・リディントンの娘です。この部屋の新しい主人ルイスの双子の妹で、王宮教会付きの小間使いになったばかりです。今日は女中のスザンナと兄の引っ越しの手伝いをしにきました。」
ルイザはリヴィングストン姓だったと思うけど、まだ設定も固まってないみたいだったし、これでいくしかないと思う。
美少年は冷めた目で私を見つめ直した。
うん、これは信じてないね。
「私はモーリス・セントジョン。アーサー王太子殿下の侍従をしています。ヘンリー王子殿下は女性を好みませんので、この区画に入らない方がいいですよルイザさん。」
思ったほどバレてないのかしら。でも声が同じだからこの先ずっと一人二役は少しつらいかもしれない。
モーリス少年は男爵の方を向き直った。すごく不審そうな目つきをしている。
「ウィンスロー男爵、あなたは魔女ルイーズ・レミントンを修道院まで護送する責任者だと聞いていましたが、なぜこの忙しい時期に従者の付き添いなどされているのですか。」
少年はいたって真っ当な質問をした。
「私は責任者ではあったが、彼女は魔女ではないことが証明されたし、護送中に危険も見当たらなかったので部下に任せたんだ。」
男爵の微笑にはまだ余裕がある。
「結論ありきの裁判だったとフォックス司教から伺いましたが。果たしてどう危険がないことが証明されたのですか。」
裁判官の名前を全員覚えてはいなかったから、フォックスさんがどれだかわからない。
「彼女が魔女だとしても、彼女は16年の間誰にも危害を加えたことはないからね。どこまでご存知かわからないけど、彼女の魔法は脱走や逃走に使えるものではないよ。それに彼女の裁判については国王陛下自らのご了解があるんだ。」
男爵は割とロジカルだった。あとでピーター少年の事件が浮上しないといいのだけれど。
「国王陛下の勅令は存じています。前例のないことですよね。星室庁裁判の経緯も、非公開になったことも。」
モーリス少年はどんどん冷たいトーンになっている。
「魔女自体なかなか例のないことだからね。それに前回の結果など20年以上も前のことだし、火あぶりなど野蛮じゃないか、前例などあてにならないよ。」
表情は変わらないけど、男爵の旗色が怪しくなっていた。男爵の援護をしたいけど、ルイザがルイーズの裁判を知っていたら少し説明が難しそう。
「確かに王都に魔女が現れるとなると、なかなか先例のあるものではありませんよね。しかし普通は対処に困るような魔女が地方に現れたら、王都に送るような真似はしないはずです。ましてや星室庁のような権力の中枢には。どうもおかしいと思っていたんです。」
モーリス君はとりわけ頭がいいみたい。私が男爵でも反論し続けられる気がしない。
「ルイーズ自身が危険ではない以上、王都で見識のある人々に判断してもらうのがいいのではないかと思ってね。」
「見識のある人々が5分で判断したのですか。」
そうなるよね。あの茶番の裁判に味方じゃない人がいた時点で勝負がついている。
「そしてあの日星室庁にいた人間以外、王都の誰もルイーズ・レミントンを見ていない。王太子に近い重臣はなぜか裁判から外れています。せっかく王都につれてきたのに、不自然ではないですか。本人が危険をもたらさないならなおさらです。」
まずい展開。
「そう早まってはいけないよセントジョン、魔女裁判の管轄権は本来なら教会にあるから、星室庁が代行したとはいえ財政や軍事の担当者がいるのはおかしいんじゃないかな。それに、ルイーズが魔女じゃなかった以上見世物にするのもかわいそうだよね。」
男爵は微笑を湛えたまま頑張っている。
「魔女は男性を籠絡する魔法を使うと起訴状にありました。魔女自身が悪用する意図がなくても、これを利用したいと思う人間はこの宮廷に少なくないでしょう。」
そうですよね、男爵を筆頭にいっぱいいるよね。
「セントジョン、ルイーズは魔女じゃないのだし、その魔法はデマだったよ。」
「デマと当局が判断しただけでしょう、5分で。それにレミントンに逃走の恐れがなくても、噂を信じた第三者に誘拐されないように、本来なら警護に細心の注意を払うはずです。男爵、あなたがここリッチモンドの宮殿でワインを開けているのはあまりにも不自然です。」
「何が言いたいのかな、セントジョン。」
男爵の顔から微笑が消えた、今回は私もハラハラして、じっくり横顔を鑑賞している余裕がない。
「男爵はルイーズ・レミントンをよく知る数少ない人間の一人です。一方で、僕たちや王太子周辺はレミントンを警戒しようにも、どんな見た目かもわからない。これは男爵にとても都合がいいですよね。」
チェックメイトをかけられた気分。
「男爵が後見する新任の従者の部屋に、男爵と衛兵と見知らぬ女性が二人。本来なら男爵は未知の魔女を護送して北に向かっている時間なのに、です。」
モーリス君は一歩後ろに下がって男爵を見つめなおした。
「つまり、例えばこの二人のうち一人がルイーズ・レミントンだと仮定しても、男爵は反証できませんね。」