XL 知人トマス・ニーヴェット
マダムに急かされて私も男爵も生地をいじり始めたけど、そもそも生地を選ぶ意味があるのかに疑問が湧き始めていたし、割と手触りのいい生地が多いのにあんまりワクワクしない。
「男爵、このえんじ色なんかは誰とも被らないし、黒と合わせて、赤黒系統が好きな王子様の好みにも合うんじゃないですか?」
「悪くないと思うけど、臙脂色は教会関係者みたいじゃないかな。王子を含めてワインレッドの上着を持っている人は多いし、私としてはこの鮮やかな青がいいと思う。」
「さすが男爵様はお目が高いです。この青は遠洋から取り寄せた藍で染めた、ひときわ鮮やかな色でございます。」
調子が戻ってきたマダムの手前、ちょっと生地の話をしないといけないけど、男装するかどうか怪しくなってきたのに生地を選ぶ意味があるのかしら。
「男爵、簡単に整理しますけど、私の任務は男装してヘンリー王子が女の子に近寄れるようにすることで、私の知り合いのトマス・ニーヴェットがヘンリー王子の従者をしていて、トマスのお義父さんはヘンリー王子が女の子に近寄れない現状を維持したい、ということでいいですか。」
「さすがルイスだね、簡潔にまとめられていると思うよ。」
男爵は派手なピンクの生地をぼうっと見つめながら答えた。ここで褒められても嬉しくないし、その生地で男物を仕立ててもピエロにしか見えないと思う。
「つまり男爵の計画は始まる前から破綻していた、ということでいいですか。」
私はクリーム色の生地を手に取りながら男爵を横目で睨んだ。本当に、この人は顔以外に取り柄がない。
「まだ諦めるのは早いよ、ルイス。ニーヴェットは剣や馬上槍試合の腕を買われてヘンリー王子付きの従者になっているけど、王子とともに育ったチャールズ・ブランドンやヘンリー・ギルドフォードと違っていつも一緒にいるわけじゃない。もしルイスが室内に引きこもるなら、四人のよそ行きの従者の中では顔を合わせる機会は一番少ないはずなんだ。それでこの生地はどうかな?」
男爵は黒と白の市松模様の生地を掴んでいた。その柄のドレスなら持っているけど、男性用のジャケットがどう出来上がるのか少し楽しみかもしれない。
「少ないって言ってもゼロではないんでしょう?それに四六時中逃げ回るのなんて嫌ですよ?その格子柄の生地は面白いと思うわ。」
コーディネートは難しそうだけど、中のシャツは黒がいいと思う。
「そうか、無理を言っているのは承知なんだけどね。それとこの水色はどうだい?」
男爵は白い縦縞の入った水色の生地を見つめていた。
「パジャマみたいであまり気が進まないです。男爵、サリー伯爵が怖いのはわかりますけど、トマスには事情を話すしかないと思うの。一度疑われたらすぐにバレると思うし。このチェック柄はどうかしら。」
前世にもあったような、少し毛を立たせたチェックの生地を男爵に見せる。
「遠目で見ると地味だし、その柄は北の国を彷彿とするから王宮ではオススメしないね。あとニーヴェットの視点から見れば君はヘンリー王子の庶子を産むために派遣されてきたように映るだろうから、たとえ彼が同情的でもこの重要事項はサリー伯爵には話が上がるはずだよ。その場合困ったことになる。この水色はゲイジと被ってしまうしね。」
空色というか、主張の強くない水色の生地を男爵が見せてきた。
「トマスは説明すればわかってくれると思うし、伯爵には知らせないように頼んでおきます。そもそもそういう宮廷のままごとに首を突っ込むタイプの人じゃないですよ?そのふわっとした水色の生地、白い薄い生地と合わせて女性用のドレスにしたいわ。」
「ままごとって、私たちはキャリアを賭けているんだけどね。私もトマスにも相談しないと。」
そこは人生を賭けて、の方がかっこいいと思うけど。それとお互い別のトマスを指しているからややこしくなってきた。
「もう女々しいですよ男爵、いざとなったらお礼としてトマスにマッサージをしてあげますから、大丈夫です。」
「その手があったか!!」
男爵が急に明るい顔になって水色の生地の切れ端を放り投げた。
「サンプルを荒く扱わないでください!」
マダムは不満をあらわにしていた。
「そうだった、たとえ伯爵陣営に幸運の女神が振り向いても、私たちにはそれを無効化する魔女がついているんだ!」
今まであんなに悩んでいたのに、マッサージに言及するだけで機嫌が直るなんてお気楽な人だと思う。
マッサージしても口止め効果なんて皆無なことを知っている私としては、トマスとどう向き合うかがとっても悩ましい。男爵と反比例してちょっと鬱々としてくる。
「マダム、ルイスにこの白と黒の市松模様と、このマリンブルーの生地で、それぞれブラケットを一着ずつ作ってあげてください。それに合うホースと小物もね。あとこの水色で女性用のドレスを作ってあげてください。」
「承りました。」
マダムは部屋に入ったときのような涼やかな表情に戻っていた。
「えっ、ほんとにいいの男爵!?」
「ああ、これは私からのプレゼントだよ!」
男爵は今度は珍しく朗らかな笑顔をしている。
「ありがとう!楽しみだわ。」
男爵もたまにはいいことをしてくれる。もちろん顔以外にも長所はあるって私はちゃんと分かっていたけどね。




