CCCLXXXII 反対者モーリス・セントジョン
甲冑の脛の部分は、足の形になっている金属のプレートをバックルみたいに留める仕組みになっていて、なんだか前世のスキー靴を思い出した。あんまりスキーしたことなかったけど。
靴の部分は足の甲のプロテクターを紐で縛る形だから脛と分離していて、スキー靴よりは歩きやすいけど、それでも私は不自然な歩き方になる。兜で視野が狭いからちょっと足元が不安になったりもする。
「ヒューさん、お酒と布の手配はできそう?」
私はバスケットに入った銀のゴブレットとアイボリーの筆箱をチェックしながら、ヒューさんと中庭を南に歩いていた。ゴードンさんと男爵はそれぞれ出陣準備に行っているみたい。
「すぐにエールの樽は片っ端から集めました。シェリーとワインも複数用意しています。布はベルベットも用意しましたが、素材よりも柄を重視して選んでいます。繊細な繊維は彼らの移動中にだめになりがちですから。馬車が揃う頃には全て終わっているはずです。」
プレゼントは揃いそうね。
「コンプトン先輩は?」
「魔法で放心状態のままです。後続の馬車に乗せてあります。」
現世だと横たわれる馬車がほとんどないから、コンプトン先輩はちょっと大変かもしれないけど。
「だから魔法じゃないってば、それで、砲兵のトップにはどう挨拶すればいいの?」
「ルイーズ様ご自身がトップでいらっしゃいます。」
「そうだけど、名目上の話でしょ?私、大砲なんて見たこともないから。」
スタンリー卿と交流があったから騎兵隊には知り合いがいたけど、砲兵なんてノリッジに来たことがないし、どんな人達なのか想像が難しかった。
「ちょっと頑固で職人気質な連中ですが、ルイーズ様なら」
「聖女様!この先をお通しするわけにはまいりません!」
話を遮られた私がヒューさんから目をそらして前を向くと、モーリス君が両手を横に広げ立っていた。
宝石みたいな緑の目はいつになく決意に満ちていて、なぜか出陣することになっている私を止めようとしているのは一瞬で分かった。
今日のモーリス君はアイボリーのチュニックに臙脂色のマントとストールをした、この国の宗教関係者の正装をしていた。透明感のあるモーリス君にはあんまり似合わないけど、どんな格好をしても芸術的な顔をしているのよね。
「モーリス君、心配してくれてありがとう。でも大丈夫、私は交渉にあたる名目上のトップで、戦闘には加わらないから。相手に弓矢とかもないみたいだし。」
「聖女様、恐れながら、聖女様はご自身が利用されていることに鈍感でいらっしゃいます。」
「えっ、鈍感って・・・」
モーリス君はいつも礼儀正しいから、頭を横に振ってベージュの髪を柳みたいに揺らして強い言葉を使うのには、ちょっとショックを受けた。
サラッとした髪が揺れるのはモーリス君の儚げなイメージにあっていて絵になるから、いつももっと頻繁に首を振ってほしいけど。
「聖女様、相手の責任者も分かっていないのに交渉などできるはずがありません。そもそも女性が交渉に当たるなら宮殿の城壁の中に籠もって使者を交わせばいいはず。防御のない場所で交渉する時点で立場を悪くしています。」
「・・・確かに、宮殿に籠城すればいいのよね、反乱軍に飛び道具がないならなおさら・・・」
城壁があれば守りやすそうだし、私が怪我をするリスクも低そう。モーリス君のハスキーな声で淡々と話す様子は、聡明そうな目と見た目の良さもあって説得力があった。
「モーリス・セントジョン閣下、恐れながら、反乱軍が宮殿まで到達し包囲した場合は民心の動揺を招きます。少数が事故的に侵入するリスクもあります。その上、メアリー王女殿下やマーガレット王太后殿下の目前で、反乱軍は皆殺しになってしまうでしょう。」
ヒューさんが介入した。この人は先を急ぎたそうな感じだけど、モーリス君は貴族だから無下にはできないみたい。
「モードリン、あなたはヘンリー王子の評判がこれ以上下がる前に鎮圧したいだけなのではありませんか?交渉などもともと成功の見込みはなく、『ベストを尽くした』と後で言うための口実でしかないのです。反乱軍が誰も助からない結果は変わりません。」
モーリス君は淡々とヒューさんを責めた。反乱を起こしたのが普通の人達だから、説得しようとしたけど駄目でした、と後で言い訳になる、ということみたいだけど・・・PR戦略を考えていた男爵もそんな感じだったけど・・・
「セントジョン閣下、あなたはルイーズ様の力量をご存知です。確かに流血を防げる確固たる見通しがあるわけではありません。でもこの状況から大逆転できるとしたら、ルイーズ様のお力を貸していただくほかありません。」
「モードリン、聖女様の力の使う場面が間違っているのです。あなたは、関係がないはずの聖女様に罪の意識を植え付けている。聖女様が交渉を決裂されたら皆殺し、だなんて理不尽なこと極まりないのです。聖女様のこれからのお心持ちに必ず影を差します。聖女様には御本人が後ろめたくない場面で、きっと活躍していただけるときが来ます。」
モーリス君はどうやら、私のメンタルを心配してくれているみたいだった。
私が説得に失敗したら、軍隊が突入して・・・
私はその頃には馬車で逃げる訳だけど・・・
30分前に遠くから私と面と向かっていた人達が・・・
「ルイーズ様、もしご尽力にも関わらず血が流れたとしたら全て我々の責任です。ルイーズ様がお気になさる必要はまったくありません。」
「モードリン、無責任ですよ。すでにあなたは聖女様を名目上の責任者にしてしまっています。」
正確に言えば私を責任者にしたのは本当に無責任なくまさんだけど・・・
「私の・・・責任・・・でも私が出なかったら問答無用でみんな・・・」
「聖女様、裁判官は死刑判決を宣告することを承知で裁判官になるものです。聖女様はそんなことを一切引き受けていない。彼らが反乱している対象は聖女様ではありません。他の方に任せるべきです。」
私は関係ない、‘というのは、確かに一番納得する論理だった。私も最初はそう思ったし・・・
「でも、そしたらみんな・・・」
「聖女様、彼らは王族に対して武器を取ってしまいました。もちろんヘンリー王子の執政の問題や、コンプトンの取次の問題もありました。人数と女子供が混ざっているのを見ると黒幕に踊らされていそうな状況でもあります。しかし、いくら同情の余地はあったにせよ、彼らは暴力を選んでしまった。もはや、聖女様が救うべき無実の子羊たちではありません。裁判になっても死罪は免れません。」
モーリス君も、基本的には男爵と同じ考え方だった。どのみち助からないから、私がリスクを犯してまで動く必要はない・・・
「モーリス君、私もね、なんで関係ないのにこんなこと巻き込まれているのって、すごく思って、でも、私が戦場で逃げても、今このタイミングで逃げても、やっぱり同じような罪の意識ってあると思うの。だったら、私が将来の私に対して、『私にできることは全部やったから、もうしょうがない』って言いたいじゃない?」
どこまでも自己満足かもしれないけど・・・
「聖女様、逃げるなんてとんでもない。これはそもそも聖女様の戦いではないのです。」
「モーリス君、私ね、火事の鎮火に役に立てたの、すごく嬉しかった。なんだか手柄で騎士にされちゃうみたいだけどそういう褒め言葉が欲しかった訳じゃなくて、私が美しい心に溢れているわけでもなくて、何も悲しいことが起きなかったのが、嬉しかったの。私が助けられる人は少ないかもしれないけど、女性子どもだけでも、助けられたら、それはリスクをとってみるチャンスになると思う。何かを達成したい訳じゃなくて、何かが防げたらって思っているの。」
さっきまではそんなに深く考えていなかったけど、モーリス君と話しているうちに私の考えが固まってきていた。
「聖女様・・・どうしてもというのでしたら、僕を連れて行ってください。聖女様がお一人で思い悩むのをみたくありません。お側に置いてください。」
モーリス君の緑の瞳は悲しそうに潤っていたけど、ずっと決意に満ちた目で私を見据えていた。これを断ったら悪い浮気男みたいな感じになりそう。
「えっと、モーリス君がいてくれたら嬉しいし、領地のことを知っているから心強いけど、甲冑とか持っていないよね?モーリス君のこの肌に傷がついたら私・・・」
アーサー王太子のところにいる野蛮人だったらむしろ傷があったほうが様になるけど、モーリス君の顔は国宝。傷なんかついちゃったら、そっちが気になってこの奇跡的な顎のラインが霞んでしまいそうだし・・・
「僕は心配ありません。そんなことより聖女様こそ、安全のためとはいえご無理をして甲冑など着られて・・・さぞお苦しいでしょう。」
「苦しい?うーん、意外と重くないし、体の動きはぎこちないけど、馬車に座るときはスカートを上げるみたいにすればいいし、そんなに苦しくはないかも。ノリス君と私は背丈が一緒だし、たぶんノリス君向けに軽めに作ってあるのよね。」
私の甲冑初体験はそんなに悪くなかった。
「しかし聖女様、いくら背丈が一緒でも、男性用の甲冑を女性が着られては胸部が圧迫されて苦しいかと。」
「胸部?別に・・・」
私はノリス君の甲冑の、装飾が豪華な胸の部分を見下ろした。
「・・・あっ・・・大変、大変失礼いたしました、聖女様、僕の考えが及ばず・・・」
・・・・・・
「・・・モーリス君、肩、凝ってない?凝ってるよね?」
「せ、聖女様、お待ち下さい、兜越しでも眼光が・・・あっ、せ、聖女様っ・・・あっ・・・いけませ・・・あっ・・・んっ・・・はぁっ・・・あっ、あっ・・・」
私はモーリス君の肩井を適度に刺激してあげた。私の手の甲のプレートが邪魔だけど、指の腹側は剣が握れるようになっていて不便はなかった。
「モーリス君、女性だからと言って一括りに考えるのは、個人に対して失礼だからね、やめようね。」
「あっ・・・せいじょさっ・・・・あっ・・・おゆるし・・・ぁ・・・」
今までモーリス君をマッサージするときは後ろからだったから、正面からマッサージするのは初めてで・・・
ちょっと破壊力がすごかった。
「モーリス君、えっと、そんな色っぽい目と表情で私を見ないで。」
モーリス君の真っ白な肌が桃色になってきて、緑の目をうるうるさせたまま、薄めの形のいい唇から吐息を漏らす感じは、もうこれブランドンあたりがヘンリー王子を裏切って襲っちゃいそう。
「・・・い、いろ?・・・あっ・・・そんな・・・あぁっ・・・んぁっ・・・」
「モーリス君、私、プロだから、絶対お客さんに対して変なことしないから。安心して。」
なんだか艶っぽいモーリス君の前ですごく自分が犯罪者みたいに思えてきて、私はなぜかモーリス君に対して弁明した。
「・・・ぁ・・・あっ・・・せいじょさっ・・・あ・・・僕・・・もう・・・」
モーリス君の体がゆらゆらし始めて、サラサラの髪がファサッと揺れてきた。天を仰いでいる緑の目は芸術的だけど、ちょっとこのままだと危なそう。
「ヒューさん!ヒューさん、モーリス君を支えてあげて!」
私はさっきから黙っていたヒューさんを呼び出した。
いつもみたいにへなへなと座り込んでしまうと、モーリス君の正装に土がついて汚れちゃうと思う。
「・・・あっ・・・んっ・・・」
「モーリス君は肩を脱臼しやすいから気をつけてね。ローブが土につかないようにお願い。えっ、なんで泣いているの!?」
ヒューさんはなぜか泣いていた。ちゃんとモーリス君の両腕を支えてくれたけど。
「・・・ルイーズ様・・・ご立派です・・・よくぞ言ってくださった・・・」
「ほら、男の人なんだから泣かないで・・・って男性を一括りにするのは相手に失礼ね。えっと、泣いてもらっていていいので、モーリス君はお部屋に運んであげましょうか。ここに置いておいたら絶対に老若男女に襲われちゃうと思う。」
モーリス君は霞んだ目をしていて、薄い桜色みたいな肌が禁断の雰囲気をかもしだしていた。
「ルイーズ様、セントジョン閣下も覚悟がお有りでした。コンプトンの馬車に乗せていきましょう。出陣がこれ以上遅れてはいけません。」
ぼおっとした二人が馬車に乗り合わせたらシュールそうだけど。
「モーリス君には絶対に危害が及ばないようにお願い。コンプトン先輩は元凶だから謝ってもらうけど。」
「承りました。」
私はモーリス君を抱えたヒューさんを従えて、砲兵隊が集合しているという南棟南側の庭に向かった。




