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CCCLXXX 起床者チャールズ・ブランドン



*この章には性的に示唆的な表現が含まれますが、例によって何も起こっていませんのでご了承ください。こうした表現が好きでない方はこの章は飛ばされても大丈夫です。この小説は『小説家になろう』の全年齢ガイドラインを遵守しています。







ぼやけた視界に、やたら日当たりが悪い部屋と、木組みの天井が見え始める。


今まで忍び込んだ女官達の部屋ならたいてい天井を覚えているが、なにやら複雑で見覚えのないデザインだ。


起き上がろうとして、胸にズンと鈍い痛みが走る。


「くっ・・・ここは・・・どこだ・・・」


私は硬いベンチのような寝台から腰を起こした。寝心地が悪かったアグネスのベッドよりも数段硬いだろうか。


周りを見回すと、やたらと物が多い。ちらほら、真鍮の金具のようなものが鈍く光っている。


手を伸ばそうと背を曲げたが、それだけでまた胸が痛む。


この雑然とした部屋は確か、ハル王子の部屋と繋がっている物置ではなかったか。うっかり足をすべらせると高価な壺が転がっていたりして、後で冷や汗をかく危険な場所なのだ。


なぜここに寝かされていたのか。


いや、確か寝ていたわけではない、気を失ったのだ。


そうだ、ハル王子にリディントンの暴虐ぶりを見せつけるため、脱いで鞭のあとを見せようとしたときだった。リディントンの味方のウィンスロー男爵とハーバート男爵に取り押さえられ、頭に袋を被せられたままみぞおちを抉るように殴られたのだ。


ハル王子の目の前で、仮にも筆頭従者の私を攻撃するとは、あの連中は一体どういう了見なのだろうか。


「うぐっ・・・ハーバートめ・・・」


ベンチから立とうとするとグルンと体が回るような、目眩に襲われた。


誰が殴ったのかはわからなかったが、線の細いウィンスローにこの芸当は無理だろう。


「ドアは・・・内鍵はかかっていないな・・・」


物置は確か閉じ込める場所にもなったはずだが、幸い廊下に出られるようだ。


リディントンに鞭で打たれたのが昨晩、ハーバートに腹を殴られたのが今朝、日の角度からしてもう夕方か。日中気を失っていたと思うと、つくずく無駄な一日間を・・・


待て、なにか忘れてはいないか。


錠を動かしながら、ハーバート達に殴られた経緯を思い出そうとしていたが、殴られたのは胸なのに頭も痛い。


「・・・まったく・・・ん、コンプトンか?・・・」


ドアが開ききらない隙間から、衛兵二人に担がれていくコンプトンの姿が見えた。


よく見えなかったが、放心したような顔をしていなかったか。具合でも悪いのか。


「おい、コンプト・・・くっ・・・」


衛兵を止めて話を聞こうかと思ったが、腹から声を出そうとすると殴られたところが痛む。


腹筋はかなり鍛えているのだが、急所を狙われてはひとたまりもなかったか・・・


「・・・なんだったんだ、コンプトンは・・・」


ようやく廊下に出たときにはコンプトン達の足音も遠くなっていた。


ハル王子の部屋に行くと、中からごそごそという音が聞こえてくる。


やたらと飾りの多い真鍮のドアノッカーを叩く。


「ハル王・・・くっ、声が出ん・・・ハル王子・・・私だ、チャールズだ・・・」


自分でも情けないように小さな声を上げると、なにかドタドタと慌てたような足音がした。バタンとドアの閉まる音。


「ハル王子?・・・いるのか・・・?」


さっきからガサゴソ聞こえていた音がなくなり、しんと静まりかえった。


「ハル王子・・・いや、ノリスか・・・ノリス、チャールズ・ブランドンだ。部屋を開けてくれ。」


ハル王子がいるならなら返事をしただろう。王子の外出時はだいたい鍵番のノリスが部屋にいるはずだ。


「ノリス?・・・いるなら返事をしろ・・・」


大声を上げたいところだが声がでない。だが、この部屋は壁が薄いつくりになっているから、中までは聞こえたはずだ。


しばらくして、そろそろと氷を踏むような小さな足音が聞こえたあと、ドアがゆっくりと開けられた。


「ノリス、さっきから何なのだ・・・おい、本当にどうした・・・」


ドアの隙間から小人のように現れたノリスをたしなめようとすると、青くなって震えているのに気がついた。


「・・・ブランドン・・・お、王子様が、リディントンに襲われちゃったんだ・・・」



またか!



そうだ、今朝ハル王子は女装したリディントンと偽装婚約するなどと寝ぼけたことを言い始めたのだった。ついにリディントンの遺伝子が下半身から頭まで到達してしまったのかと絶望したが・・・


部屋に足を踏み入れると、オットマンにだらりと崩れ落ちたハリーと、ベッドに乱れたシャツ一枚をまとっただけでうつ伏せに寝ているハル王子が目に入った。


「ハリーがついておいて王子の貞操を守れないのか・・・そうか、ハリーもリディントンにやられていたのだったな・・・」


「・・・はぇ・・・」


リディントンに手を出された後のハリーを見るのはこれが最初ではないが、一見すると気持ちよく寝ているように見えて、目があらぬ方向を向いて舌が覗き、ネジが緩んだような顔になっている。宮殿中の女を相手にしてきた私でも、相手をここまで狂わせたことは数度あるかないか。


「・・・まったく、ハリーがすっかり雌にされるとはな・・・ハル王子、・・・ハル王子!?」


おお、神よ!


ひと目見たとき、ハル王子はほぼ裸でうつ伏せだったが、それでも堂々と眠っているように見え、そこまで心配していなかった。だが目に飛んできた光景に私はうろたえた。


うっすらと開いた目が、恍惚としたように潤んで、すっかり恋する乙女のそれになっている・・・


ハル王子の幼馴染である私にしかわからないだろうが、王子基準ではかなり顔が崩れていた。褐色で分かりづらいがよく見ると頬は赤く染まっている。いつもきっと結ばれた口元は甘酸っぱいものを食べた直後のように緩んでいた。一般人が見ても様子がおかしいのが分かってしまう。


ハル王子がリディントンに初めて襲われ快感の虜になってしまったとき、私は廊下から一部始終を聞く羽目になったが、王子の様子を直接見ることはなかった。リディントンに襲われた後のハリーとコンプトンは後に見ることになったが、ハル王子はもうすこし男らしくしているのではないかという幻想をいだいていた。


薄く開いた口からハッ、ハッ、と聞こえてくる吐息は、もはや雌犬のようになってしまっている。


「私が亡命する前に、リディントンはどうにかして片付けなければ・・・」


ハル王子がリディントンに襲われてしまった時点で、メアリー王女の輿入れに同行して亡命することを検討し初めてはいたが、もはや東の国に下見に行っている場合でもないかもしれない。


「ノリス、この部屋で見たことは他言無用だ、特に王子のこの顔は国家機密ものだ、いいな!」


私は部屋の端で縮こまっているノリスを睨みつけた。ブンブンと縦に首を振るのを見届けて、王子に視線を戻す。


「偽装婚約の話も、低地諸国のマルグレーテ姫との婚約を避けるためとか言っておいて、この調子ではリディントンに本気で嫁入りしたいと言い出しかねない。ノリス、念の為聞くが、王子がねだったのか、リディントンが押し切ったのかはわかるか。」


「・・・ブランドン、僕は隠れていてわからなかったんだ。」


見るからにおどおどしたノリス。王子が襲われているのに隠れていたのはいただけないが、ノリスでは戦力にならなかっただろう。


そうか、さっき運ばれていたコンプトンは、王子を守ろうとしてリディントンにやられた後だったのだろう。コンプトンは王子やハリーと違いやられた後も夢中にはなっていなかったようだったが、別室でいたぶられているのかもしれない。


「でも、でも、王子様はまず男のリディントンに襲われたけど、その後で、女のリディントンにも襲われたみたいだったんだ。」


ノリスが訳のわからないことを言い出した。


「女のリディントン?いくらリディントンが器用でもそんな芸当は無理だろう。」


ハル王子がリディントンに無様にやられるところを部屋の外で聞いていた身からすれば、ハル王子が攻め立てる展開は全く想像ができない。


「違うんだ!別人の、女のリディントンがいるんだ!」


「別人の女だと?そんなのがいたらハル王子が東棟にいれるはずが・・・いや、待て・・・」


そういえば、今朝の乱闘の前に、女人禁制の王子の部屋にはいないはずの、女がいなかったか。しかもハル王子のいる目の前で。


顔はよく覚えていないが、女装したリディントンとは思えない、自然な女の体型をしていた。あれが『女のリディントン』だとしたら、ハル王子はなぜ平然としていたのか。


「あと、ウィンスロー男爵達が、領民の反乱とかなんとか言っていたんだ!」


「反乱?・・・王子がこんな状態のときに偶然領民の反乱が起きたら・・・待て、起きたというより、起こしたのか・・・」


大事なことを忘れていた。


そうだ、ウィンスローは宴会で北の国のジェームズ王子の話を持ち出したではないか。ウィンスローがリディントンをけしかけてハル王子を雌犬にしてまで目指しているのは、ハル王子の失脚と王子の甥ジェームズ王子の即位に違いない。その推理は伯爵もある程度納得している。


ウィンスローはリディントンを捨て駒にして、ハル王子がこんな状態のときに簡単な領民の反乱を起こし、ハル王子が即位する芽を潰すにきたのに決まっている。


だが、リディントンも反乱の話が出たその場にいたはずだが、自分が性的に征服した相手が失脚しては面白くないのではないか。ウィンスローにとってのリディントンの利用価値も低くなる。王子の下半身を骨抜きにできることだけが取り柄のリディントンに・・・


「しかし・・・不自然だな・・・」


大柄のハル王子を動かすのはリディントンやウィンスローでは難しかったはずだ。だが、ほぼ裸で伏せっている王子の下のシーツは、取り替えたられたばかりのように清潔だった。ハル王子の着衣はかなり淫らに乱れているが、ハリーに至ってはきちんと服まで着ている。


二人が気を飛ばしてしまった後に体を清めて着替えさせたとすると、かなりの人間がこの部屋に入ったことになる。さっきコンプトンを運んでいた人間も、恍惚状態の王子を見ただろう。


ハル王子がリディントンの虜になっていることを知っている人間は、リディントンとウィンスローの二人ではない。だが、交代のある東棟の衛兵にこんな大事な機密を見せるだろうか。


私がまだはっきりしない頭を働かせようとしていると、廊下から足音が聞こえてきた。


「(やれやれ、王子の安らかな眠りを守れだなんて、レジナルドも人使いの荒いことだねえ。教会の人間は便利屋だとでも思っているのかねえ、ウッドワード?)」


この声は確か、今朝もリディントンの味方をしていたウォーズィー司祭か。会話の内容からすると影の薄い従者のフランシス・ウッドワードも一緒のようだ。


やつはハル王子の失脚を狙っているのか。だとしたら『反乱』とやらが起きていることになっている今、戦闘不能で忘我状態の王子を『発見』して噂を流すつもりだろうか。


ウォーズィー司祭はリディントンと王子の肉体関係についてはどれほど知っているのか。王子が女装リディントンと婚約すると言い出した場にいたということは、ある程度は知っているのだろうが・・・


「(ウッドワード、鍵をお願いするとしよう。もともと私は肉屋の倅でね、こういう機械仕掛けのことは苦手なんだよ。チューリング?中にいるのかな?)」


鍵番のノリス以外の人間が、鍵を持っているのか?ウィンスローのことだから合鍵くらいは作っているに違いないが・・・


しかしチューリングって誰だろうか。そういえば、見事な肉体をしたリディントンの女中はチューリングという名だった。あのときはお互い脱ぐ約束が私が脱いだだけで終わったが・・・


とにかく、女が王子の部屋に入れるはずがないから、兄弟か親族が衛兵でもしているのだろうか。


「(王子が起きないようにそっとできればいいのだけどねえ、まあ難しいだろうねえ。)」


ガチャガチャと鍵をいじる音。王子が寝転がっていることは知らされているようだが、夕方にもなってなぜ寝転がっているかは知っているのだろうか。


とっさにハル王子を見る。とりあえずこの惚けた顔をシャツで隠すか。


待て、ウォーズィーが『それ』を知っているにしろ知らないにしろ、王子と従者の情事の証拠を残さないことが大事だ。王子が脱ぐのは珍しくない。開放的な気分で寝ていたということにすれば・・・


私は王子のシャツをまくり上げた。


大丈夫だ、特になんの痕跡も残っていない。リディントンも後片付けだけはきちんとしたようだ。


「ブ、ブ、ブランドン、なぜ無抵抗なヘンリー王子殿下を全裸にしているのだね!?」


部屋の中に誰かいるとも思わなかったのだろう、ドアから現れたウォーズィーが大げさに驚いていた。横のウッドワードも驚いた様子だ。いつの間にかノリスは逃げていた。


蕩けたハル王子を『発見』する計画は、私が潰したと言っていいだろう。


「何を騒いでいる。ハル王子が全裸になるのは珍しくない。」


教会関係者には言葉遣いにこまるが、ここは王子筆頭従者の威厳をもって追い払うのが一番だろう。


「・・・いや、いやいや、もう見飽きたかのもしれないがねえ・・・我々が入ってきたときは全裸ではなかったみたいだね・・・しかし、ハーバートやルイザから恋しているらしいと聞かされたときは、まさかとは思ったけどねえ、いやまさか、ほんとにまさか寝込みを・・・」


いつも調子のいいウォーズィー司祭は、本気でうろたえて意味のわからない内容をブツブツ呟いているようだった。


よく聞き取れないがこれは、リディントンと王子が深い仲になってしまったことを、まだ知らされていないに違いない。黒幕ウィンスローにとって、ウォーズィーはただの証人だ。


「いいか、ハル王子は服がまとわりつかない開放的な気分で寝ているだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。」


「・・・あー、その言い訳は苦しいのじゃないかな。現行犯で見てしまったけどねえ?」


現行犯?リディントンが襲っているところを以前に見たというのか?だが、それならなぜ今うろたえたのだ?


「言っておくがリディントンとハル王子の間には何も無い。厳密に部下と上司の仲だ。それ以上のものはない。今朝の婚約云々は王子のたわむれだ。」


「・・・いやはや、男同士の嫉妬がここまでとはねえ・・・焦って同意なく手を出すとはねえ・・・」


嫉妬?何を言っている?訳が分からないが、ウォーズィーとウッドワードはベッドに向かって歩を進めじ始めた。


ハル王子の顔は見られて大丈夫か。


「まて、ハル王子にそれ以上近づくな。」


私は王子の顔に被せたシャツをめくると、口元を少し修正した。目はさっきよりは閉じている。『良い夢をみている』くらいでなんとかごまかせるか。


「早まって唇をうばっちゃいけない!!・・・もう遅いかもしれないけどね、従者の身分で王子の体を独占しようなんて馬鹿なことを考えちゃいけないよ!」


独占?


いったい何を言っているのか。ハル王子を失脚させる計画が破綻して慌てているに違いない。


「ブランドン、ゴブレットが、ゴブレットが盗まれちゃったんだ!」


奥の部屋でノリスが声を上げた。


「ゴブレットなど代わりが大量にあるだろう、何を慌てている?」


「あれは、あの方から王子様への贈り物なんだ!」


なんだと?


ハル王子が起きたらただ事では済まない。あの方からハル王子へ物が渡ることは世間体の都合で珍しいのだ。


ノリスの確認作業を手伝うべきだろう。釘をさして置かねばならない。私はウォーズィー一行を再び睨めつけた。


「いいか、この王子の顔は、良い夢を見ている顔であって、極めて純粋で神聖な喜びに溢れた顔だ、分かったな。」


「・・・いや、恋は盲目というけどねえ・・・歪曲がまさかこれほどとは・・・」


ウォーズィーはまた訳のわからないことを言っていたが、少なくとも私とノリスがいたことで、仮に『王子が恋に落ちた目をした』などとほざいてヘンリー王子が襲われて雌になっていたと証言しても、こちらで反論ができるようになるはずだ。


私はまだぶつぶつ呟いている司祭と従者を放っておいて、控室に向かった。







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