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CCCLXXVI 計画者ロバート・ラドクリフ


<この章の登場人物>


ロバート・ラドクリフ(フィッツウォルター男爵)

この章の視点人物で、アーサー王太子の筆頭侍従で優秀な剣士。没落貴族の出身でプライドが高い。服や馬車は修理した古いものを使っている。既婚者でバッキンガム公爵の妹婿。男装したルイーズ(主人公)がエリザベス・グレイにマッサージをしている場所に居合わせて手を出したと勘違いし、二人の婚約の証人になってしまう。上背はないがルイーズの好みの顔をしていて、明るいオレンジブラウンの髪。


オズワルド・ホーデン

ロバートの執事でただ一人の付き人。


エリザベス・グレイ

メアリー王女の侍女で、ドーセット侯爵の妹。腰を痛めた際に男装したルイーズにマッサージされたところ、男女の仲になったと勘違いしてルイーズ(ルイス)と婚約に持ち込む。ルイスを慕っている。赤茶の毛。


アーサー王太子

病弱で死を予期していたが、別の変装をしたルイーズ(ルーテシア)にただの冷え性と診断され足のマッサージをされる。診断をあまり喜ばなかったが、マッサージで悦にいってしまいぼおっとしていた。マッサージの際に無理やり脱がされたため、周りに「プロの女に襲われた」と勘違いされる。王太子妃とはほぼ交流がない。顔色が悪くくまがある。赤髪とブロンドの中間のような髪。


サー・エドワード・ネヴィル


騎士で王太子と王太子妃がいる西棟の警備責任者。ルイーズいわくあまりイケメンではない。


ドナルド・ホーズバラ

北の国大使ダグラス・キンカーディン=グラハムの副官。偽名。


<声の出演>


ヘンリー第二王子

頑健で引き締まった体の大柄な教養人。極度の女嫌いで過去4年間は女性を20フィート以内に近づけていないが、男装したルイーズの性別に気づかず、マッサージに夢中になってしまった。ルイーズが女だと正体を明かしても「心が女性の男」だと思い込んでいる模様。男色の噂が絶えない。ラグビーマン風の見た目で、レッドゴールドの髪。


ヘンリー・(ハリー・)ギルドフォード

ヘンリー王子の従者で騎士。宮殿の会計監察官が父で、メアリー王女の家庭教師が母。王子とは幼馴染で気安い仲。ルイーズの性別を見抜くが、肩のマッサージが気に入ってしまい、引き換えに黙っている。兵科は銃と砲で、あまり仕事熱心ではない。黒っぽい茶髪で、美青年だがくまのぬいぐるみみたいな印象を与える。


ウィリアム・コンプトン

ヘンリー王子の従者で御手洗係。幼い頃に騎士だった父を内戦で亡くしており宮殿で王子といっしょに育てられた。散髪や髭剃りなど身の回りのことを担当し、王子を崇拝している。新人のルイーズ(ルイス)を警戒していたが、マッサージの餌食になってしまう。ただし、他の従者と違って毎回抵抗する。大きめの目に黄土色の髪で、かわいい顔出ち。


ルイス・リディントン

主人公ルイーズ・レミントンの男装した姿。ヘンリー王子の従者で保健衛生を担当。




「坊ちゃま、レディ・エリザベス・グレイがお見えになり、至急面会を要請しておられます。」


ホーデンが控室にいる私に声をかけにきた。嫌な予感しかない。


「至急の面会をするほど接点はなかったが、婚約の件か・・・」


偶然居合わせたあの場で、無垢なレディに手を出したリディントンを逃すわけにはいかず、二人の婚約に判を捺すのは仕方がなかった。だが色恋沙汰に巻き込まれたのは不幸だったとしか言いようがない。


「どうされます坊ちゃま、先方は今すぐにと、かなり急いでいるご様子でしたが。」


「リディントンが節操なくまた別の侍女に手を出したのかもしれない。そんな痴話喧嘩に付き合っている場合ではないのだが。アーサー様もあのようなご様子だというのに・・・ひとまず、待ってもらっていてほしい。」


私は控室を後にすると、アーサー様の部屋のドアを叩いた。


「アーサー様、ラドクリフです。」


「入っていいよ、ロバート。」


アーサー様の、いつもよりは若干勢いのある声に続いてドアを開けると、やはり普段よりは血色の良いお顔をされていた。


「お具合はいかがですか、アーサー様。」


「すこぶるいいよ。ありがとう。それと、先程の会話が聞こえていてね、私は大丈夫だから、レディ・エリザベスに会いに行ってもらって構わないよ。彼女は気を遣う方だから、急いで会いたいというのなら、よほどのことなのだろうね。」


アーサー様はいつになく淀みのない声で話されていたが、私の心配は消えない。


朦朧としていらっしゃったアーサー様に、サー・エドワードと共にとりあえず上着をお着せしたのは、つい先程のことだ。


「しかし、アーサー様、まだすこし、落ち着かれない様子でいらっしゃいますから。」


私は慎重に言葉を選んだ。


「ああ、そうだね、とっても、気持ちよかったから、びっくりしてしまって。」


頬を赤らめるアーサー様はさながら乙女のようだった。



王太子妃が送り込んできた『女医』とやらに破廉恥なことをされ、無垢でいらっしゃったアーサー様はすっかり蕩けておしまいになられていた。



「アーサー様、快楽に夢中になってしまわれてはなりません。繰り返しになりますが、アーサー様を操縦しようとする輩が現れかねません。」


ヘンリー王子が東棟に囲っているという魔女ルイーズ・レミントンも、まさに似たような手口でアーサー様を狙っていると見られる。


「操縦か。私に実権などないのにね。」


「アーサー様!どうか気を強くお持ちになってください。誰がなんと言おうと、アーサー様が最終決定者でいらっしゃるのですから、全ては御意のままに。」


アーサー様は悟ったようなご様子でいらした。


「どうかな。たとえばの話ではあるけれど、仮に退位したいと言っても、私は退位させてもらえないだろうね。」


「アーサー様、周りの人間の圧力に屈してはなりません。平和を愛されるアーサー様を濁った政治の世界にお連れするのは残念なことですが、退位されて逃げられるものでもありません。退位とは重い言葉で、言及なさるだけでも新たな政争の種になりかねません。」


私は表情を変えないようにしていたが、最後は強い言葉で釘を刺さざるを得なかった。



アーサー様が退位という言葉を口にしたのは初めてだった。今までも即位しないような言葉はあったが、それは全て健康に紐づけたものだった。回復を諦めていらしたところに、お子がなせるとの診断があったことで、考えをお変えになったのだろうか。



アンソニーとグリフィス・ライスが、あの女医にやられて隣の部屋で寝込んでいるのは幸いだった。私しか聞いていない。メイドや従僕もみな下げていた。噂好きの彼女たちにアーサー様の蕩けたお顔を見せるわけにはいかなかった。


「たとえば、の話だよ、たとえば、のね。ロバート、レディ・エリザベスが待っているのではないかな。」


アーサー様はまた諦めたような笑みを浮かべたが、いつもより笑みが笑みらしかった。


「アンソニー・ウィロビーとグリフィス・ライスが人事不省の今、私がお側を離れるわけにはまいりません。」


「大丈夫だよ、サー・エドワードが着替えを取りに行ったばかりですぐに戻るからね。ジェラルドも回復したらしくて、もうすぐこちらにやってくるよ。」


ジェラルド・フィッツジェラルドは中庭で魔女に襲われたらしかったが、本人は打ち勝ったと豪語しているらしい。男を寝取って言いなりにする魔女であれば、男好きのフィッツジェラルドには勝てないだろう。


自慢げにしているそうだが、魔女をまったく捕縛できていないと聞いている。何を誇っているのか。


「フィッツジェラルドでは頼りありませんので。」


「私も気分がいいから大丈夫だと思うよ。ロバート、人間の身体って不思議だね。手で擦ってもらっただけなのに、体が暖かくなって、頭がぼおっとして・・・」


アーサー様は一見すると落ち着かれているが、内心では遅い性の目覚めに色めき立っていらっしゃるようだった。


これは、まずい。


「アーサー様、ご描写されずとも結構です。くれぐれも、このことは他の人間にお話にならないようお願いします。悪用されかねませんから。」


とりあえず他の人間に聞かれなくてよかった。


「でも、自分で同じことをしてみても、同じように気持ちよくはなれなくてね。」


「・・・そうですか。手をお洗いになる桶を用意させますね。」


この先、大丈夫だろうか。


「洗う?触った場所はルーテシア女史が親切にも清めてくれたけど。」


「それは最低限のことです。親切などではありません。アーサー様、やはり、落ち着かれていらっしゃらないご様子ですから、私がお側にいなければ・・・」


「いや、行ってきていいよ、ロバート。私は、恥ずかしいけど、少し、余韻にひたっていたくて。」


アーサー様にしては、この言い方はいつになく命令に近かった。


先程から前例のないことばかりで戸惑う。やはり初めてのインパクトが大きすぎていらしたのだろうか。


「承りました、なるべく早く戻ります。サー・エドワードが履くものを持ってまいりましたら、なるべく早くお召しください。」


私はアーサー様の部屋から辞すると、早足で階段を降り、待合室に向かった。


ドアを開けると、椅子に座っていたレディ・グレイが立ち上がる。


「レディ・グレイ、お待たせしました。十分にもてなせずに申し訳ありません。」


「こちらこそ、非礼を承知で約束もなしに参りましたもの。急を要していまして、時間がございませんわ。ご挨拶を抜くのはよくありませんけれど、なんとしても至急お耳にいれたいことがございます。」


レディ・グレイは目を伏せがちな他の侍女と比べると、まっすぐに相手の目を捉えてくる、意志の強い女性だった。ドーセット侯爵家で自由に育った面影がうかがえる。


「どうぞ、お話ください。」


「ロバート・ラドクリフ様に証人になっていただいた、私の婚約者、ルイス・リディントン様についてのことです。」


この女性は上背こそそこまでないが、姿勢がいいからか堂々とした存在感があった。


「婚約を破棄なさりたいのですか。」


「違いますっ!!」


眼の前ので勢いよく振られる首に、少し当惑する。


「驚かずにお聞きくださいませ。実は、哀れなリディントン様は、ヘンリー第二王子殿下に、虐げられていらっしゃるのです・・・それも・・・性的に・・・」


レディ・エリザベスは涙ながらに訴えた。自分を弄んでいる相手にこれほど同情するものだろうか。


「ああ・・・そうでしたか。」


リディントンは確か、中の従者だった。つまり、そういうことだろう。


「・・・驚かれませんの?」


彼女は私が驚かないことにむしろ目を丸くしている。


「ええ、残念ですが、こうしたケースは今までもあったのです。許しがたいことで、レディ・エリザベスの心中を察するに余りあります。」


そうはいえど着任早々、侯爵令嬢の純潔を奪ったリディントン。その純潔を王子に奪われたとて、因果応報ではないだろうか。


絶対に許せないのは、その身を神に捧げていたモーリスを襲ったことだった。あの横暴な王子を即位させては、この国に災難がもたらされるだろう。


「前例があるからと、諦めろとおっしゃるのですか。リディントン様は自分はもはや女だと思い悩み、騎士に上がる栄誉を捨ててまでも、辞任したいとおっしゃっているくらい追い詰められていらっしゃるのに。」


「もちろんそんなことはなく、私も諦めてなどおりません。大切な友人があの王子に汚されましたから・・・リディントンがそこまで思い詰めていたとは知りませんでした。」


リディントンは確か東部の港町、ヨーマスの出身だったと聞いた。ヘンリー王子の噂が届いておらず、知らないまま『中の従者』になったのだろうか。


大の女好きのリディントンが、上司の男に襲われて嘆き悲しむのは、滑稽ではあるが気の毒でもあった。狩人のはずが獲物になってしまったとなっては、傷心のまま辞任して故郷に帰りたくもなるだろう。


「今、リディントン様は今まさにまた襲われようとしているのですわ。教会の関係者をお呼びして、ヘンリー王子の横暴を律することはできませんの?」


「・・・ヘンリー王子の淫乱ぶりには、ウォーラム大司教を始め教会上層部はだんまりを決め込み、宮殿付きのウォーズィー司祭に至ってはヘンリー王子即位を狙って暗躍している始末です。国外にいる有力者で枢機卿のドン・ペドロと文通している王子ですから、部下の男に手を出したくらいでは、罰される見込みがありません。」


私を非難の目で見つめる女性を相手に淡々と説明するのは難しかったが、前提として知ってもらわねばならない事項ではあった。


「なぜですか?教会は神の教えに忠実なはずではありませんの?」


「いいえ、教会もただの慈善事業ではないのです。土地と事業と免税特権を持つ、れっきとした利益団体でもある。ヘンリー王子を批判した場合、仮に即位となったら復讐されるおそれがあります。また、教会と対立する大貴族はアーサー王太子殿下についていて、教会には名家の支援がないヘンリー王子を推すメリットが大きい。」


真実の重みに耐えられる女性だと判断して話したが、レディ・グレイには辛い情報だっただろうか。うつむきがちになり、そのまま意気消沈して帰るかと思ったが、彼女は決心したようにまた顔を上げた。


「教会以外に、訴えられる場所はありませんの?」


「軍人や官吏はヘンリー王子への支持が割れていますが、教会と違ってあまり性道徳に厳しくはありません。行政裁判は可能性がありますが、王族を扱うことはまれで、あまり大事にしたがらないでしょう。」


貴族層は反ヘンリー王子でほぼまとまっているが、どの政府機構にも騎士や平民出身のヘンリー王子派がいて、組織として一体となった行動が取りづらい。アーサー王太子派の中には内戦から続く旧白軍派と旧赤軍派のわだかまりもある。


「さきほど、諦めないとおっしゃったのに、ほとんど諦めていらっしゃるのではないですか。」


私を責める彼女の目には、火が灯っていた。



良いだろう。この部屋はこうした密談のために音が漏れない工夫もしてある。レディ・グレイは不用意に情報を漏らすタイプでもない。


私の計画には味方が必要だった。戦と違い、強ければいいというわけでもない。いろいろな場所に、様々な強みをもった、味方が。特に情報戦となれば。



「いいえ。攻め口を変えているのです。私が考えているのは、ヘンリー王子の部下の扱いを糾弾すること。」


「部下の扱い、ですの?」


彼女は少し戸惑ったようだったが、私の話に真剣に耳を傾けていた。


「はい、ヘンリー王子の支持者の多くは、馬上槍試合で活躍するスポーツマンに見惚れ、古典を諳んじる教養人に魅了され、それがために彼がベッドに美少年を引きずり込んでも見ないふりをする。しかし、美少年たちが命令を断れない部下であるということはあまり考えられていません。」


「もう少しお聞かせください。」


もう大半は理解したことが目から分かった。


「ええ、ヘンリー王子はまだ部下が多くなく、多くの人は健康で教養のある少年として見ていますが、王子の下で働いたことがある人間は非常に少ない。彼がやることは断れない部下に強要し、無理な滅私奉公をさせ、人格を壊していく。これに考えがいたれば、むしろアーサー王太子殿下を好ましいと思う人が、多く出てくるはずです。」


「でしたら!!!」


レディ・グレイは急に目を輝かせた。


「でしたら、今すぐに、リディントン様をお救いくださいませ。」


「・・・理由をお聞きしても?」


少し話が飛んだようだが。


「リディントン様はヘンリー王子の要求をことさら嫌がっておいでで、辞任まで考えていらっしゃるのですよ。王子の告発をするのであれば、最善の証人です。リディントン様は私にも詳細な話をすることを憚れれているようですが、ロバート様が現場に踏み込んでリディントン様を救出なされば、きっと心を開いて王子の失脚に協力してくださいますわ。」


なるほど、失業を恐れて王子を非難しない人間が多い中で、辞任しても構わない、と思っているのはむしろ強みになるだろう。


やけになっている人間を利用するのは気が引けるが、これも暴君の即位を阻止するためだ。


「よいアイデアだと思います、レディ・グレイ。ただし、私としても男同士が触れ合っている場所に踏み込むのは気が引けるので、より計画を練ってから話を進めるべきかと。」


「ロバート様、早くしないとリディントン様が里に帰ってしまわれます!あなたは騎士でいらっしゃるのでしょう?いくらたくましい王子とはいえ、服も着ず無防備な男性など怖くなどありません!」


このまま話に乗っては今晩の食欲がなくなりそうだが、レディ・グレイの協力を取り付けることは大事になるだろう。リディントンの騎士叙任は明日。彼女の言う通り故郷に錦を飾ろうとそのまま帰ってしまうかもしれず、時機を待っていては戦力にならない可能性もあった。


「わかりました、東棟に参ります。」


「ご立派でいらっしゃいます、ロバート様。王子はリディントン様に今すぐ手を出そうとなさっていましたから、早ければ早いほどよいと思いますわ。」


こんなしっかりした女性がリディントンの毒牙にかかってしまったのは不幸だったが、ヘンリー王子の失脚に協力してもらえることは、私としてはありがたいことだった。




火事の後は中庭の大部分は封鎖されていて、フィッツジェラルドが取り逃がした魔女に出くわすのも嫌だったので、私は南棟を迂回するように東棟に向かった。


東棟に歩いていくと、前方にやや見覚えのある男が東棟方面に歩いていくのが見えた。確か北の国の大使についている男で、ホーズバラと言ったか。


ヘンリー第二王子しかいない東棟になんの用があるのか不審に思ったが、東棟が近づくにつれて、いよいよ不審な動きを見せ始めた。なにか東棟の建物に沿うように歩いているが。



「(・・・ビリビリっ・・・あひゃっ・・・きもちいのビリビリっ・・・きもちいのとまんないっ・・・あふああっ・・・と、とろけゆっ・・)」



急に、断続的に聞こえてきた声は、ヘンリー・ギルドフォードの声のようだった。屋外でなにか怪しいことでもしているのか。


先程の話から王子に襲われているのかと思ったが、言動が異様だ。


ギルドフォードは確かすでに東棟にいる魔女に襲われている。今回の異常な声も魔女にやられている最中ではないのか。



「(・・・あはっ・・・もっとっ・・・そこすきっ・・・ふやぁっ・・・もっとついてっ!・・・)」



いや、やはり王子に襲われているのか。ギルドフォードは外の従者で、王子の相手は対象外だと思っていたが・・・


私が判断しかねていると、ホーズバラは東棟の外のなにもない場所で立ち止まった。



「(そんなっ、俺がこんなぐちゃぐちゃにされちゃったら、誰が王子様をお守りするんですかっ!?)」



今度は中の従者、ウィリアム・コンプトンの声がした。もう一人のヘンリー・ノリスと違いコンプトンは東棟の外によく出るので、声に聞き覚えがある。


『こんなぐちゃぐちゃにされちゃった』ということは、コンプトンがさっきのギルドフォードの断末魔に居合わせたということか。犯人は魔女か、王子か・・・


それにしても、屋内の声のようだが、屋外からにしては妙に鮮明に聞こえる。



「(王子様っ、ギルドフォードはもうかなり壊れてますっ!こんなの危ないですっ!)」



またコンプトンだった。王子がいる、ということは犯行者は魔女ではなく王子で、コンプトンは壊れてしまったギルドフォードを王子の仕打ちから守ろうとしているのか。ヘンリー王子の女性嫌いは筋金入りで、さすがに魔女がこの場にいるとは思えない。


そして、室内の声はどうやらホーズバラが立ち止まったあたりから聞こえてくるようだった。


「ホーズバラ殿とお見受けする、東棟にどのような御用か訪ねても良いだろうか。」


大使たちに話すときのトーンを選ぶのはなかなか難しいが、ホーズバラもこの異様な会話を聞いているのだから、多少のことは大目に見ることになるだろう。


「おや、アーサー王太子様のところの・・・」


私の服装をさっと見たホーズバラの目が、目下の者をみるものに変わったことに私は気分を害された。


着るもので相手の身分を判断するとは、無礼にも程がある。外交官失格ではなかろうか。


「ラドクリフ。フィッツウォルター男爵ロバート・ラドクリフ。」


「ありゃ、男爵様でいらっしゃったか。何をしてたかって、新大陸から来たこのタバコという葉っぱですよ、これがパイプに詰めて火でふかすと、不思議と頭が冴えるもんでしてね。屋内や中庭じゃ煙が溜まるんで、人気のない屋外の場所を探しとったところですよ。男爵の旦那もどうです、タバコ?」


外交要員にしてはさも物売りのような口調だったが、急に声をかけられて動転する様子はなかった。


「いえ、結構。しかしなぜここに?」


「あっはっは、聞いての通り、東棟はウィンスロー男爵とやらが改築したそうで、よくわからないパイプが色々通ってましてねえ、こうして室内の痴話喧嘩が聞ける場所もあるんですよ。」


ウィンスローが東棟に色々と手を加えていたのは知っていたが、中の声を外に出すこのパイプは欠陥か、それともなにか目的があるのか・・・


「王子たちの乱痴気騒ぎを聞いて面白いのか。」


「そりゃ面白いですとも。聞いて青くなるやつもおりますがね。北じゃあまずこんなことはありませんや。ジェームズ国王陛下はまっとうなお方で、ジェームズ王子様ご教育も熱心なんでね。」


私の様子を伺うように北のジェームズ王子の存在を示唆してきたホーズバラ。おそらくは継承順位第二位ヘンリー王子の失態を見せて、第三位のジェームズ王子のほうがふさわしいとでもいいたいのだろう。


この北の人間は第一王子アーサー様を軽んじているようでもあるが、アーサー様が快方に向かわれつつあることを知らせて慌てさせてみるのも一興か。いや、ジェームズ王子陣営とヘンリー王子陣営の騒ぎは、静観したほうがアーサー様も穏やかに過ごされることができるだろう。



「(寝ている部下の服を脱がせるのはアウトです、殿下!)」



私達の会話を遮るように、なにか聞き慣れないない声がしたが、たしかこれは火事のときに聞いたものだった。


「ルイス・リディントン?」


「おや御名答!男爵の旦那も耳が肥えてらっしゃるね。」


ホーズバラに馬鹿にされるのは気に食わなかったが、私にはリディントンを仲間に引き入れるという難しい問題が待っていた。呆れたような口調からは確かにコンプトンよりもヘンリー王子との距離を感じるが。


考えてみれば火事の際は暗く、レディ・グレイの事件では隣室でことに及んでいたので、私はリディントンの顔を知らなかった。まあ、部屋に踏み込んだ際に王子に襲われているのがリディントン、ということになるのだろうから判別は問題がないが。


だが話から察するにギルドフォードは着衣のままだったのか?色々解せないが。


面白がるホーズバラの前で情けないが、私も二階から降りるパイプに耳を傾けた。



「(いいかリヴァートン、絶対に俺に話しかけるな!)」


「(え、でも痛いかもしれませんよ?)」


「(俺は王子さまの一番のしもべだ。すこしくらい痛くたってがまんできる。)」



なんという忠誠心であろうか。このコンプトンの忠誠心がよい方向に導かれていたら、優秀な騎士になっていただろうに。もともとコンプトンの父は戦士した騎士だったというが、息子が王子の慰み者になるところを見なかったのは不幸中の幸いと考えるべきか。



「(そうですか・・・では黙っていますね。)」


「(コンプトン、準備は良いのか。)」


「(はい王子さま!準備万端です!)」



やはり体格差を考えると準備が必要なのだろう。何をしたかは想像したくないが。



「(大丈夫か。)」


「(大丈夫です、王子さま!俺、初めてじゃないですから、ご心配なさらないでください。)」



当然ながらコンプトンはこれが初めてというわけではないだろうが、ギルドフォードも実は長年王子と肉体関係にあったのだろうか。



「(いだいいいいいいいいっ!!!!)」



やはり初めてでなくても痛いのか。コンプトンのさっきの威勢は瞬く間に消え失せた。



「(さ、刺さってるっ!!いたいいっ!)」


「(どうした、コンプトン!?)」



どうした、という問いにはコンプトンが既に簡潔に答えているが、王子は自分を客観的に見ることができないのだろう。



「(お、王子さまっ、からだになに、ぐあっ・・・刺さってっ・・・グサッてなって・・・からだ、さ、裂けちゃ・・・血が出てっ・・・)」


「(大丈夫かコンプトン、いつもと違わないようだが・・・血も出ていない・・・)」



どこまで冷徹なのか。部下が必死に堪えているというのに。



「(大丈夫かコンプトン、やめておくか。)」


「(だ、大丈夫です、王子さま・・・この程度の痛み、俺、王子さまのためならがまんできます!)」



最初は気分が悪くなるかと思っていたが、コンプトンが気の毒な感情が先行して思ったほど生々しく感じなかった。


それにしても、なぜ自分を痛めつける王族をここまで敬愛できるのだろうか。



「(ごっ、ゴリゴリだめっ、んあっ・・・こわれるうっ・・・ゴリゴリしちゃやだあっ!!)」


「(コンプトン、体がつらいのか?)」


「(はあっ、はあっ、だ、だいじょうぶ・・・これくらい、なんとか、なんとかなります・・・俺、がんじょうですからっ・・・)」



どう考えても大丈夫ではないだろう。だが、大丈夫か、と王子に聞かれたらコンプトンは大丈夫だと答えざるを得ない。


やはり、このようにしていざというときに強要を否定できる条件をつくっているのだろう。曲がりなりにも同意を得ているとすれば、告発は難しくなる。


だが上下関係を利用した性関係の強要は法に触れるはずだが、同性については基準があっただろうか。



「(・・・ほあっ・・・こすれて・・・きもひぃ・・・)」



いきなり、どうした?



痛かったのではなかったのか。あまりにも急で、不自然だ。



「(善くなってきたのか、コンプトン?)」


「(・・・王子さまぁ・・・きもちいですけど・・・ふあっ・・・これ、バカになりましゅう・・・んふゃっ・・・脳みそとけちゃうよお・・・)」



痛みがこんなに急に治まるものなのか。急に甘えだしたコンプトンは、王子を満足させる演技には聞こえないが。こんなになるものなのか。性別も違う上に世間の標準も知らないが、ベスは夜の私に不満をもっていないだろうか。


不自然だ。やけに不自然だ。



「(コンプトン・・・)」


「(・・・んぅ・・・きもひぃ・・・)」



さっき痛みに耐えつつも丁寧な返答をしていたコンプトンは、退化しているように聞こえた。まるで暗示にでもかかったような・・・



暗示・・・



魔女のいる東棟・・・魔女に寝取られたギルドフォードが王子にも寝取られる・・・王子に襲われて急に痛みを感じなくなるコンプトン・・・異様な光景にもかかわらず、ギャラリーがいて、誰も不思議に思う様子がない・・・



これは、まさか・・・



「女嫌いの王子が魔女を囲うのはどうしてかとずっと疑問に思っていたが・・・」


「魔女、ですかい?」


思わず口に出していたようだった。ホーズバラが反応する。


「いや、こちらの国の騎士用語だ。男性の相手をする男性を指す。」


とりあえずはそれらしい嘘をついておく。




「(んいっ!!??あっ、あっ、なにこれっ、あっ、あっ、あっ、やっ、あっ、待っ、あっ、はげしっ、あっ、)」


「(コンプトン、痛いか?)」



やや怪しげなホーズバラの視線を遮るタイミングで、王子がペースを上げたようだった。



「(あっ、あっ、あっ、からだっ、ビリビリっ、あっ、もうっ、あっ、わけっ、あっ、わかんな、あっ、あっ、あっ、あっ、ぞくぞくっ、あっ、とまんなっ、あっ、あっ、からだ、へんになって、あっ、たしゅけてえ、あっ、あっ、)」


「(コンプトン!大丈夫か!?)」



どう考えても大丈夫でないときに、あえて大丈夫か尋ねる、これが王子の論理武装か。


しかし、コンプトンは本当に壊れそうだ。魔法の具合を間違えたのだろう。


事前に魔女に部下を寝取らせ暗示をかけさせる。そうすると王子の望み通りの爛れた反応と、王子の質問に『正しい』答えをする、都合のいいおもちゃが出来上がるのだろう。


恐ろしいことだ。本当に恐ろしい。



「(あっ、あっ、王子っ、さまっ、あっ、あっ、あたまっ、チカチカ、あっ、あっ、おれっ、もっ、ぐいぐいっ、だめえっ、あっ、っあ、おう、じ、さまあっ、おれ・・・もう・・・)」


「(コンプトン・・・)」


「(んふぁ・・・あっ、あふうんっ・・・・・・・・・・・・)」



あの王子のこと、魔女を部屋にいれるとは思えない。だから従者たちを操るにしても、細かい調整ができないのに違いない。王子がやりすぎると壊してしまうのだろう。


王子が繰り返し『大丈夫か』と尋ねるのも、いざというときの言い訳に加えて、確証がないことの裏返しも含まれているのかもしれない。


ギルドフォードにコンプトン、見たことのある二人の男が相次いで、魔女と王子に壊されるのを聞くと、思わず身震いがした。



「(コンプトン、大丈夫か?)」


「(・・・ふぇ・・・)」


「(リディントン、コンプトンは無事なのか。壊れてしまったように見えるが。)」



二人の痴態は、やはりリディントンの前で繰り広げられたのか。いままで黙って見ていたことを考えると、リディントンもやはり正気を失っているのだろう。


そうなると魔女には既に寝取られていることになる。女性に手の早いリディントンのことだ、意外ではまったくない。



「(いたって健康体ですよ、ちょっと痛そうにしていましたけど、体には問題ないはずです。それでは、もうちょっと上のあたりを)」


「(リディントン、コンプトンは限界のようだ。ここでやめておこう。)」



私はこの男を王子の毒牙から救出にいくはずなのだが、もはや王子を焚き付けている。暗示にかかってしまっているのだろうが、だとしたら救出したとしても意味がないようにも思える。


だがレディ・グレイとの約束は最低限守るべきだろう。まだリディントンの『順番』は来ていなかった。


「ホーズバラ殿、私はここで失礼する。案内には礼を言う。」


人を敬わない態度はいただけないが、パイプの件を含めてそれなりに情報は得られた。


「おや男爵の旦那、これから盛り上がるってのに帰っちまうんですかい?」


「盛り上がらせないよう、あるレディから頼まれたのでね。」


私は逡巡しながらも、私は東棟の入口に向かって歩いた。


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